Monday, September 21, 2020

イノリ島⑤「カンガルーガール」★★★

 




 カンガルーのルウの父(ちち)親(おや)は考(こう)古(こ)学(がく)者(しゃ)だ。イノリ島(じま)の歴(れき)史(し)を調(しら)べるために遠(とお)い国(くに)から家(か)族(ぞく)を連(つ)れてやってきた。丸(まる)い形(かたち)のイノリ島(じま)の真(ま)ん中(なか)には古(ふる)い大(おお)きな石(いし)の像(ぞう)が立(た)っている。いつ、だれが、何(なん)のために作(つく)ったか、だれも知(し)らない。

 

母(はは)から聞(き)いた話(はなし)では、最(さい)初(しょ)は生活(せいかつ)が大(たい)変(へん)だったそうだ。この島(しま)は住(す)んでいた国(くに)とは全然(ぜんぜん)違(ちが)う。天(てん)気(き)が違(ちが)う。食(た)べ物(もの)が違(ちが)う。家(いえ)の形(かたち)も習(しゅう)慣(かん)も違(ちが)う。そして、言(こと)葉(ば)が違(ちが)う。そのうえ、この島(しま)では辞(じ)書(しょ)に載(の)っていない言(こと)葉(ば)も使(つか)う。両親(りょうしん)はいつも辞(じ)書(しょ)を持(も)ち歩(ある)いていたが、なかなか覚(おぼ)えられなくて大変(たいへん)だったそうだ。

一方(いっぽう)、ルウはまだ母(はは)のおなかを出(で)たり入(はい)ったりしていた時期(じき)で、おなかの中(なか)でじっと話(はなし)を聞(き)いていて、ときどき顔(かお)を出(だ)して、にこっと笑(わら)ってあいさつをすればよかっただけだ。でもそれで、この島(しま)の言(こと)葉(ば)をいつの間(ま)にか覚(おぼ)えてしまった。「子(こ)どもはずるい」と母(はは)はよく言(い)った。

 幼(よう)稚(ち)園(えん)に入(はい)ると、すぐに友(とも)だちができた。キツネのモニカとは今(いま)でも大(だい)の仲(なか)良(よ)しだ。よくいっしょにゴリじいさんのうちへ行(い)って、絵(え)本(ほん)を読(よ)んでもらった。それですっかり本(ほん)が好(す)きになった。両(りょう)親(しん)には「いつか帰(かえ)るんだから、うちの中(なか)では島(しま)の言(こと)葉(ば)を使(つか)わないで」と言(い)われるけど、寝(ね)る前(まえ)にベッドで本(ほん)を読(よ)むのは、やめられない。

 ある日(ひ)、学(がっ)校(こう)から帰(かえ)ると、めずらしく父(ちち)がいた。

「どうしたの? お父(とう)さん」

「ルウ。急(きゅう)ですまないが、国(くに)へ帰(かえ)らなきゃいけなくなった」

「えっ!」

「さっきおばあちゃんから電(でん)話(わ)があったんだ。おじいちゃんが倒(たお)れて、病(びょう)院(いん)に運(はこ)ばれた。前(まえ)から心(しん)臓(ぞう)が悪(わる)かったから……」

「いつ帰(かえ)るの?」

「明後日(あさって)だ。お母(かあ)さんにはもう言(い)ってある。今(いま)、国(くに)へ帰(かえ)るために手(て)続(つづ)きをしに行(い)っているよ」

「じゃあ、もうこの島(しま)には戻(もど)って来(こ)れないの?」

「ああ、当分(とうぶん)は無理(むり)だ」

「いやだ! わたし残(のこ)る!」

「何(なに)言(い)ってるんだ! ひとりじゃ何(なに)もできないだろ!」

 その日(ひ)は、夕(ゆう)食(しょく)の時(じ)間(かん)まで部(へ)屋(や)で泣(な)いて過(す)ごした。頭(あたま)では仕(し)方(かた)がないとわかっているが、帰(かえ)りたくなかった。

 次(つぎ)の日(ひ)、ルウは母(はは)といっしょに学(がっ)校(こう)に行(い)き、校(こう)長(ちょう)先(せん)生(せい)に国(くに)へ帰(かえ)ると伝(つた)えた。クラスメイトには自(じ)分(ぶん)の口(くち)から伝(つた)えたかったけど、何(なん)と言(い)ったらいいかわからなくて、結局(けっきょく)、担(たん)任(にん)の先(せん)生(せい)にお願(ねが)いした。そのあと、教(きょう)室(しつ)で荷(に)物(もつ)を片(かた)付(づ)けていたら、モニカや仲(なか)の良(よ)い友(とも)だちが集(あつ)まってきた。みんな「手(て)紙(がみ)、書(か)くね」、「また会(あ)えるよ」と優(やさ)しい言(こと)葉(ば)をかけてくれたけど、うまく返(へん)事(じ)ができなかった。

 家(いえ)に帰(かえ)ると、うちの中(なか)は段(だん)ボールだらけになっていた。

「ルウ、自(じ)分(ぶん)の部(へ)屋(や)の物(もの)を段(だん)ボールにつめて」

と母(はは)に言(い)われ、「うん」と返(へん)事(じ)したが、部(へ)屋(や)に入(はい)ってベッドに倒(たお)れ込(こ)むと、しばらく起(お)き上(あ)がれなかった。すべてが急(きゅう)で気持(きも)ちがついてこなかった。

――明日(あした)には、この島(しま)にわたしはいないんだ……――

枕(まくら)元(もと)に置(お)いてあった本(ほん)が目(め)に入(はい)った。次(つぎ)の瞬間(しゅんかん)、飛(と)び起(お)きた。

「ちょっと出(で)かけてきます!」

「えっ、ちょっと待(ま)ちなさい。片(かた)付(づ)けもしないでどこ行(い)くの?」

「図(と)書(しょ)館(かん)! 借(か)りてた本(ほん)を返(かえ)してくる!」

 ルウは玄(げん)関(かん)のドアを勢(いきお)いよく開(あ)けると、駆(か)け出(だ)した。

――図(と)書(しょ)館(かん)に行(い)って、ゴリじいさんに会(あ)わなきゃ。そして、その帰(かえ)りにケーキ屋(や)さんに寄(よ)って、シュークリームを食(た)べなきゃ。最(さい)後(ご)の木(もく)曜(よう)日(び)も、いつもの木(もく)曜(よう)日(び)と同(おな)じように過(す)ごしたい――

 図(と)書(しょ)館(かん)のカウンターには、ゴリじいさんがいつものように座(すわ)っていた。

「おう、ルウちゃん。ちょうど良(よ)かった。紅(こう)茶(ちゃ)を入(い)れようと思(おも)っていたところだ。いっしょに飲(の)もう」

「ありがとう」

 ゴリじいさんがゆっくり紅(こう)茶(ちゃ)を入(い)れている間(あいだ)、本(ほん)棚(だな)を眺(なが)めて歩(ある)いた。

――この本(ほん)も読(よ)んだ。あの本(ほん)も読(よ)んだ。この本(ほん)はおもしろかったなあ。あれはむずかしくて、途(と)中(ちゅう)でやめたっけ――

「あれ? この本(ほん)は……」

「ああ、その本(ほん)は新(あたら)しい本(ほん)だ。メイさんがおもしろそうだって教(おし)えてくれたんだ。借(か)りて行(い)ったらいいよ」

「でも……借(か)りても返(かえ)せないから……」

「どうして?」

「わたし、明日(あした)、国(くに)へ帰(かえ)るの」

「なに!……そうか。明日(あした)か。急(きゅう)だなあ。だが、借(か)りて行(い)きなさい」

「え、いいの?」

「また島(しま)に戻(もど)ってきたときに返(かえ)せばいい。ずっと待(ま)っているから」

「ゴリじいさん……。ありがとう。でも、ずっと待(ま)ってたら、ゴリじいさん、ますますおじいさんになっちゃうね」

「ははは。そうなる前(まえ)に返(かえ)しに来(き)てくれ」

 紅(こう)茶(ちゃ)のおかわりを断(ことわ)り、あいさつをして図(と)書(しょ)館(かん)を出(で)た。ゴリじいさんと話(はな)していたら、少(すこ)し気(き)持(も)ちが楽(らく)になった。

 ケーキ屋(や)さんは混(こ)んでいた。店(みせ)番(ばん)をしていたボーノさんは、レジを打(う)つのに忙(いそが)しそうだ。ショーケースを眺(なが)めていると、奥(おく)からピコさんが焼(や)き上(あ)がったケーキを持(も)ってきた。

「あら、ルウちゃん。いらっしゃい」

「こんにちは。ピコさん」

「今日(きょう)はリンゴのタルトがおすすめよ」

「おいしそう! でも、やっぱり今日(きょう)はシュークリームにします」

 店(みせ)の外(そと)にあるベンチにはだれもいなかった。夕(ゆう)日(ひ)が木々(きぎ)を赤(あか)く染(そ)めていた。風(かぜ)も涼(すず)しい。もう秋(あき)だ。ベンチに座(すわ)り、ルウはしばらくシュークリームを見(み)つめてから、思(おも)い切(き)りかぶりついた。バターの香(かお)りとクリームのやさしい甘(あま)みが口(くち)いっぱいに広(ひろ)がる。何(なん)度(ど)食(た)べてもおいしいが、今日(きょう)は特(とく)においしく感(かん)じる。夢(む)中(ちゅう)で食(た)べ続(つづ)けていると、なぜだか涙(なみだ)があふれてきた。胸(むね)がいっぱいになった。最(さい)後(ご)の一(ひと)口(くち)はなかなか食(た)べられなかった。

 夜(よる)、ラジオを聞(き)きながら、ひとりでもくもくと部(へ)屋(や)を片(かた)付(づ)けた。今日(きょう)借(か)りた本(ほん)を段(だん)ボールに入(い)れ、すべて終(お)わったのは真(ま)夜(よ)中(なか)だった。

 次(つぎ)の日(ひ)、トラックが家(いえ)の中(なか)の荷(に)物(もつ)を全(ぜん)部(ぶ)運(はこ)んでいくと、もうルウたちは港(みなと)へ向(む)かわなければならなかった。

 港(みなと)には、両(りょう)親(しん)の知(し)り合(あ)いや友(ゆう)人(じん)たちが集(あつ)まっていた。クラスメイトも来(き)ていた。ゴリじいさんとメイばあさんもいた。

ひとりひとりに別(わか)れのあいさつをして、最(さい)後(ご)にゴリじいさんにところに行(い)った。

「ゴリじいさん。今日(きょう)は図(と)書(しょ)館(かん)、閉(し)めてきたの?」

「いいや。ちょうど息子(むすこ)が島(しま)に帰(かえ)ってきていて、留(る)守(す)番(ばん)をしてくれているのさ。……実(じつ)は、来(らい)月(げつ)から息子(むすこ)家(か)族(ぞく)が島(しま)に戻(もど)ってきて、いっしょに暮(く)らすことになったんだ。息子(むすこ)はトラの親(おや)分(ぶん)のところで漁(りょう)師(し)になるんだが、手(て)が空(あ)いているときは図(と)書(しょ)館(かん)も手(て)伝(つだ)ってくれるらしい。助(たす)かるよ」

「ほんと! よかったね」

 それから、まわりのみんなに聞(き)こえないようにゴリじいさんの耳元(みみもと)でそっと言(い)った。

「ゴリじいさん、わたし、ゆうべ決(き)めたの。将(しょう)来(らい)、作(さっ)家(か)になる。ロブさんがこの島(しま)のことを歌(うた)にしたように、わたしはこの島(しま)のことを小(しょう)説(せつ)にするの。わたしの国(くに)の言(こと)葉(ば)と、この島(しま)の言(こと)葉(ば)で。きっとそれはわたしにしかできないことでしょ?」

「おお、それはすばらしい!」

「完成(かんせい)したら、ここに持(も)ってくる。必(かなら)ず」

「わかった。次(つぎ)に会(あ)うまで、その二(に)冊(さつ)をどの棚(たな)に入(い)れたらいいか考(かんが)えておくよ」

「ありがとう。でも、二(に)冊(さつ)じゃなくて、もっとたくさん持(も)ってくるわ。島(しま)のみんなに読(よ)んでほしいから」

「じゃあ、また新(あたら)しい本(ほん)棚(だな)を作(つく)らないとなあ」

「ふふふ」

 ボー。船(ふね)の汽(き)笛(てき)が鳴(な)った。

ルウは船(ふね)の上(うえ)から港(みなと)が見(み)えなくなるまでずっと手(て)を振(ふ)り続(つづ)けた。白(しろ)い灯(とう)台(だい)の上(うえ)には抜(ぬ)けるような青空(あおぞら)が広(ひろ)がっていた。イノリ島(じま)から風(かぜ)が吹(ふ)いた。ルウはかぶっていた帽(ぼう)子(し)が飛(と)ばされないよう、ぎゅっと手(て)で押(お)さえた。

<完>

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