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「東京タワー」
私の家の居間の壁には、大きな東京タワーの絵がかけてある。こんな田舎の家には似合わない立派な油絵だ。さっき、夕食の後、お風呂から上がると、父がその絵をじっと見ていた。
「お父さん、お風呂あがったよ」と声をかけると、
「ああ。……咲良、ちょっといいか?」
と言うので、ソファーに座った。
「どうしたの?」
「うん、ちょっと話しておきたいことがあって。長くなるけど」
「うん」
すると、父は自分の子ども時代について話し始めた。
* * * * * * * * * *
うちはずっと農家だった。父も祖父も曽祖父も農家だった。私は父と母のことが好きだったが、農家は好きじゃなかった。
農家の仕事は本当に大変だ。暑い日も、寒い日も、毎朝、早起きして、働かなければならない。休みもない。大人になったら、こんな大変な生活はしたくないと思った。
それに、田舎は好きじゃなかった。田舎にあるのは山や川だけで、おもしろいものは一つもないと思っていた。
私が好きなのは、絵を描くことだけだった。毎日、いろいろな絵を描いた。友だちや先生もみんな「上手だね!」とほめてくれた。私は将来画家になりたいと思った。
高校三年生の秋、私は、父と母に言った。
「東京へ行きたい。東京で絵の勉強をして、画家になりたい」
すると、父は怒った。
「だめだ! うちにそんな金はない!」
「自分で働く」
「働く? ふん、田舎しか知らないおまえには無理だ。東京は外国と同じだ」
「だれが何と言っても、おれは東京に行く! こんな田舎にいつまでもいられるか!」
そう言って、私が立ち上がると、父はそれ以上何も言わなかった。母は悲しそうな顔をして、となりで泣いていた。
卒業式の次の日。東京行きの電車に乗るとき、母が駅まで見送りに来てくれた。父は来なかった……。母は少しのお金とおにぎりをくれた。そして、「いつでも帰って来ていいからね」と言った。でも、私は「画家になるまで帰らない」と答えた。
私は東京で絵の勉強を始めた。絵の先生はとてもきびしい人だった。私が少しでもデッサンを間違えたり、下手な絵を描いたりすると、すぐにしかられた。
昼は絵の勉強をして、夜は働いた。母からもらったお金は、すぐになくなった。勉強と仕事の毎日で疲れて、身体はどんどんやせていった。
それでも、私は古くて狭いアパートの部屋で、毎日、毎日、絵を描き続けた……。
東京に来てから五年が過ぎた。私は自分が描いた絵を、いろいろなところで、いろいろな人に見せた。でも、だれも私の絵を買ってくれなかった。ある人から「あなたの絵はさびしい」と言われた。何を描いたらいいか、わからなくなった。
その頃から毎日お酒を飲むようになった。友だちも恋人もいなかった。酔っぱらって、ベッドの上で、「東京は外国と同じだ」という父の言葉を何度も思い出した。「トウキョウか……」。そして、絵を描くのをやめた……。
さらに五年が過ぎた。その日はクリスマスで、街はとてもにぎやかだった。私はアルバイトに行くために、電車に乗った。その電車の窓から東京タワーが見えた。それで昔のことを思い出した。
小学生のころ、テレビを見ていると、画面に東京タワーが映った。私は両親に「東京タワーに上ってみたい!」と言った。両親は少し笑っただけで何も言わなかった。東京へ行くお金も時間もなかったからだ。けど、父はそのことをちゃんと覚えていて、私の誕生日に東京タワーの置き物をくれたのだ。東京にいる友だちに頼んで送ってもらったそうだ。私はうれしくて、その夜、なかなか寝ることができなかった。
急に絵が描きたくなった。東京タワーの絵を描こうと思った。部屋に戻ると、すぐに押入れから絵の道具を出してきて、足りない絵の具を買いに行った。そして、次の日、東京タワーがよく見える公園を見つけて、絵を描き始めた。
一か月、二か月が過ぎ……桜の花が咲くころに、ついにその絵は完成した。公園で遊んでいた女の子が、その絵を見て、「わあ、きれい」と言った。自分でも今までで一番すばらしい絵が描けたと思った。
知り合いにその絵を見せると、みんなすばらしいとほめてくれた。買いたいと言ってくれる人もいた。
私はその絵を両親にも見せたいと思った。父と母に会いたい、母の料理が食べたい、あの家、あの庭、あの田んぼ……。私は田舎に帰ろうと決めた。
何本も電車を乗り継いだ。それまで十年間、一度も両親に手紙や電話はしていなかった。
ドアを開けると、母が出てきた。私が「ただいま」と言うと、母は「おかえりなさい」と涙を流した。だが、父は家にいなかった。重い病気にかかって、隣町の病院に入院しているということだった。
母と見舞いに行くと、父はベッドの上から手を伸ばし、私の手を握った。そして、
「死ぬ前に、もう一度おまえに会えてよかった……」と言った。
私は持ってきた絵を壁にかけた。
「東京に行って描きたかった絵がやっと描けたんだ」
と言うと、父は「おお、東京タワーか」と、うれしそうに笑った。
その三日後、父は亡くなった。
それから、私は母と二人でこの家で暮らし始め、農家を継いだ。そして、結婚して、娘が生まれた。私はその子に「咲良」と名前を付けた。
* * * * * * * * * *
「咲良、むこうに行っても、元気でいろよ。でも、いつでも帰って来ていいからな」
父は話し終えると、棚に飾ってあった東京タワーの置き物をくれた。
私は、この春、東京の大学に入る。明日、トウキョウに行く。
<おわり>
感動して涙が出ました。 お話をありがとうございました。
ReplyDeleteコメントをありがとうございます。実は、私は昨日東京に引っ越したところで、この話を思い出していました。きっとこれは偶然ではないような気がしています。
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