Sunday, December 11, 2022

すべては朝食前のこと ―ハノイでジョギング―★★★★

 

(ひと)(くるま)(とお)らない

Tシャツのそでで

(あせ)をぬぐった

太陽(たいよう)がじりじりと(はだ)()

(のこ)った(みず)()()すと

(おとこ)(たび)()たことを(こう)(かい)した

 

数年前(すうねんまえ)……たしか8(がつ)のことだ。ぼくは上司(じょうし)Mさんとともにハノイのノイバイ(くう)(こう)()()った。ベトナムへ出張(しゅっちょう)()るのはもう5()()だった。スーツケースを(ころ)がして、エアコンの()いた(くう)(こう)から(いっ)()(そと)()ると、(どく)(とく)のにおいと(ねっ)()(つつ)まれた。

  (くう)(こう)から(ちょく)(せつ)()(ない)()()(しょ)(まわ)り、いつものホテルに到着(とうちゃく)したときには、時計(とけい)はもう8()(まわ)っていた。()()があるので、()(ほん)では(よる)10()()ぎ。(ちょう)()(かん)()(こう)()()っていたこともあって、Mさんは(つか)れていた。チェックインを()ませ、()()()(もつ)(はこ)()れると、すぐにホテルのレストランで(しょく)()()り、「明日(あす)は7()にロビーで」と(やく)(そく)()わして、エレベーターの(まえ)Mさんと(わか)れた。

 だが、ぼくはそれほど(つか)れていなかった。(やす)むよりむしろ身体(からだ)(うご)かしたいと(おも)っていた。けれど、このホテルにはジムがなかった。そこで、ぼくは(はや)()きしてジョギングに()こうと()めた。

(いま)までも(なん)()かこのホテルの(ちか)くを(はし)ったことがあった。ハノイには(みずうみ)がたくさんある。それで、たいていどこかの(みずうみ)一周(いっしゅう)するコースにしていた。今回(こんかい)はその(なか)でも(もっと)(おお)きいタイ()挑戦(ちょうせん)しようと(おも)った。

かなり(なが)(きょ)()(はし)ることになるが、(はし)()()(しん)があった。その(ころ)のぼくは(いち)(ねん)(さん)()もハーフマラソンの大会(たいかい)()るぐらい(たい)(りょく)があった。だから、「(みずうみ)(はん)()(けい)(まわ)りに(いっ)(しゅう)するだけなら、まさに朝飯前(あさめしまえ)だ」と、ちゃんとコースを調(しら)べなかった。しかし、のちにきちんと調(しら)べてみたら、その(きょ)()はなんと17kmもあったのだ。

 

 ()(ぜん)()。アラームが()ると(どう)()に、ぱっと()()めた。カーテンを()けると、(あさ)()(かがや)くタイ()(ひろ)がっていた。そう、タイ()はこのホテルの()(まえ)にあるのだ。(かお)(あら)い、ひげを()り、コンタクトレンズを()けると、ぼくはその(うつく)しい()(しき)(なが)めながら、バナナを()べた。

 Tシャツとハーフパンツに着替(きが)え、いつものジョギングシューズを()いた。()(けい)は、まだ5()13(ぷん)冷蔵庫(れいぞうこ)から()えたペットボトルの(みず)()()し、(かた)いふたを()けると、ごくっと一口(ひとくち)のどに(なが)()む。そして、ボトルをつかんだまま、(いきお)いよく()()()()そうとした。だが、まだ(そう)(ちょう)だったことを(おも)()し、そっとドアを()めた。

 

 (あさ)のさわやかな(くう)()(なか)、ぼくは一人(ひとり)(はし)()した。あたりは(しず)かで、(ひと)(くるま)(すく)なく、(はし)りやすい。(あし)(はね)のように(かる)く、()(めん)()るたびに、心地(ここち)よい(おと)(ひび)く。

すべてが(じゅん)調(ちょう)(すす)んでいるように(おも)えた。そのとき、ふと(うで)時計(とけい)(わす)れてきたことに()づいた。()りに(もど)ろうかと(おも)ったが、それはささいなことだし、わざわざ()(かえ)すまでもないとすぐに(おも)(なお)した。ぼくは(みずうみ)()かい(がわ)にある、(しろ)(こう)(そう)ビルを()()した。

 

()りをする()ども

フルーツを(はこ)ぶおばさん

(しょく)(どう)のシャッターを()ける(せい)(ねん)

(ねむ)そうな(いぬ)

すべてがスローモーションのように

(なが)れていく

 

(しろ)いビルの(まえ)(とお)()ぎたとき、ペットボトルの(みず)(たい)(りょく)もまだ(はん)(ぶん)()(じょう)(のこ)っていた。

——このまま()けば、Mさんとの(やく)(そく)()(かん)にも(じゅう)(ぶん)()()うはずだ。

しばらく()くと、(みち)()(ゆう)()かれた。どちらに()こうか(いっ)(しゅん)(まよ)ったが、(ひだり)(みち)(えら)んだ。(はん)()(けい)(まわ)りに(すす)んでいるのなら、(ひだり)(がわ)(みずうみ)()えていれば(みち)(まよ)うことはないだろうと(おも)ったからだ。

だが、その(みち)複雑(ふくざつ)で、何本(なんぼん)(はし)(わた)っているうちに、ずいぶん(とお)(まわ)りさせられていることがわかった。そこで、(みずうみ)にそって(はし)るのをやめ、できるだけまっすぐ(すす)むことにした。

そのうち(ひだり)()から(みずうみ)()えなくなり、やがて(おお)きな(こう)(えん)にぶつかった。その(こう)(えん)をまっすぐ(とお)()けると、(おお)(どお)りに()た。

——おかしい……。たしか(みずうみ)(ちか)くには(おお)(どお)りはなかったはずだ。

とりあえず(とお)りにそって(はし)ってみたが、()(どう)はでこぼこで、(ひと)(おお)くて、(はし)りにくい。しかたなく、また(みずうみ)(ほう)へと(ほそ)(みち)(くだ)っていった。       

 ()(のぼ)り、(あつ)さでじわじわと(たい)(りょく)(うば)われていく。ぼくは(なん)()(みず)(くち)にした。(のこ)りの(みず)はあとわずか。(はね)のように(かん)じた(あし)も、まるで(ぼう)のように(うご)かない。(いき)(くる)しい……

 

 あとどのくらい(はし)ればいいんだろう?

 この(みち)(ほん)(とう)()っているのか?

 (いま)(なん)()だ?

そうか。ぼくは(まい)()になったんだ……

 

 (あし)()まった。

もうだいたいの()(かん)さえわからない。

——やはりあのとき(うで)()(けい)()りに(もど)るべきだったか……

そのとき、(とお)くに(さん)(かく)(ぼう)()をかぶった(ひと)(かげ)()えた。(のこ)った(ちから)()(しぼ)り、ぼくはまた()()した。

(ちか)くまで()くと、その(じん)(ぶつ)50(だい)ぐらいの女性(じょせい)だとわかった。(かの)(じょ)はかごに()れた()(さい)(はこ)んでいた。

ぼくがベトナム()で「シンチャオ」とあいさつをすると、そのおばさんは()(あん)げにあいさつを(かえ)してくれた。しかし、ぼくが(はな)せるベトナム()はそれだけだった。

(えい)()()(かん)(たず)ねると、おばさんは(こま)った(かお)をした。そこで、ぼくは()(ぶん)()(くび)(ゆび)さして、“Time!”と(おお)きな(こえ)()った。すると、おばさんはゆっくりとポケットから懐中時計(かいちゅうどけい)()()した。そして、(すこ)(かんが)えてから、“Seven”と()った。

——7()? もうそんな()(かん)? やばい、Mさんに(しか)られる。いや、それだけで()めば、まだましだ。もしかすると、警察(けいさつ)()ぶかもしれない……

 (つめ)たい(あせ)(なが)れた。ぼくは(さい)()まで(はし)()くことをあきらめ、なんとかして(はや)くホテルに(もど)方法(ほうほう)(かんが)えた。(まわ)りを()(わた)すと、(おお)きな(たて)(もの)があった。

——ホテル? あれがホテルなら、あそこでタクシーをつかまえられるはず!

おばさんにお(れい)()い、わずかな()(ぼう)(むね)に、必死(ひっし)(はし)った。

だが、それはホテルではなく、(しょう)(がっ)(こう)だった……

もう(はし)るエネルギーはどこからも()いてこなかった。ぼくはさっきの(とお)りまで、とぼとぼと(ある)(はじ)めた。

いつのまにか、ぼくはある(うた)(くち)ずさんでいた。

 

(うえ)()いて(ある)こう

(なみだ)がこぼれないように

()きながら(ある)

一人(ひとり)ぼっちの(よる)

 

(「(うえ)()いて(ある)こう」()()(えい)(ろく)(すけ)

 

 まだ(あさ)なのに……と(おも)いながら、何度(なんど)(うた)っただろうか。ついに、(おお)(どお)りまでたどり()いた。そこで、()(せき)()きた。タクシーがぼくの()(まえ)()まったのだ。そして、(いま)まさに(じょう)(きゃく)()りようとしていた。

()いた()(せき)()()むと、運転手(うんてんしゅ)のおじさんはぼくを()てぎょっとした。(おどろ)くのも()()はない。ジョギングの(かっ)(こう)をした(あせ)だくの(おとこ)(とつ)(ぜん)()()って()たのだから。ぼくはお(かね)()っていないことなどおくびにも()さずに、ポケットからカードキーを()()し、ホテル(めい)()げた。

 タクシーが(うご)()した。ほっとして、(つめ)たい(かわ)のシートにもたれると、(あま)南国(なんごく)(かお)りがした。ふと()ると、(じょ)(しゅ)(せき)のエアコンの(かぜ)()てくるところにパイナップルが()いてあった。「ベトナムらしい」と、くすっと(わら)った。グ~とおなかが()る。バナナは()べたが、まだ朝食前(ちょうしょくまえ)だと(おも)()した。

()(だい)にまぶたが(おも)くなってきた。(おお)きなあくびを(ひと)つしたら、ますます(ねむ)くなった。そこで、(とつ)(ぜん)、タクシーが()まり、(うん)(てん)(しゅ)()()いた。何事(なにごと)かと(おも)って()()(ひら)くと、そこはもうホテルの(まえ)だった。

「えっ、もう()いたの!?」

(おも)わず()ってしまうほど(ちか)かったのだ。たぶん2kmもない……

 ぼくは(うん)(てん)(しゅ)のおじさんに()()(えい)()とジェスチャーで、ホテルの()()(さい)()()(わす)れたので()ってくるから(すこ)()っていてほしい、と(たの)んだ。(かれ)はしかたがないという(かお)で“OK”と()った。

 ホテルに(はい)ると、ロビーにMさんが()っていた。(もう)ダッシュで()(まえ)まで()き、

(もう)(わけ)ありませんでした」

(あたま)()げた。すると、Mさんは

「ああ、(だい)(じょう)()。わたしも(いま)()たところだから」

()(がお)(かえ)した。

「えっ?」

 フロントの(うえ)(かべ)()(けい)があった。ぼくは()(うたが)った。()(けい)(はり)が7()(ふん)()していたのだ。

どう(かんが)えても、おかしい。時間(じかん)()わない。いったいどうしてこんなことになったのか(まった)()(かい)できなかった。だが、とにかく(いま)はタクシーの(りょう)(きん)()(はら)わなければならない。ぼくはMさんに、ジョギングに()たけど(みち)(まよ)ってタクシーで(かえ)ってきたと(せつ)(めい)し、お(かね)()りて、タクシー(だい)(せい)(さん)した。ロビーに(もど)ると、Mさんは(あせ)まみれのぼくを()て、

(さき)にレストランに()って()べているから、シャワーでも()びて()なさい」

(やさ)しく(こえ)をかけてくれた。

 シャワーを()びながら、ぼくは(かんが)えた。なぜあのベトナム(じん)のおばさんは “Seven [()]”と()ったのだろうか。ぼくをだまそうとしたのか。いや、そんな()()(わる)をするはずはない。じゃあ、()(けい)(でん)()()れていたとか。しかし、それなら、時計(とけい)(おく)れるはずで、(すす)んでいるのはおかしい……。

しばらく(かんが)えて、やっと(おも)(いた)った。そうか、あのおばさんは英語(えいご)がよくわからなかったのだ。おそらくぼくが(かの)(じょ)(はな)しかけたのは6()45(ふん)ごろ。しかし、彼女(かのじょ)は「1」から「10」までは英語(えいご)()えても、「45」が()えなかった。だから、ちょっと(だま)ってから、だいたいの時間(じかん)()げたのだ。そして、ぼくはそこから(しょう)(がっ)(こう)()き、がっかりして、(とお)りまで(ある)いたのが1213(ぷん)。そこから3(ふん)ほどタクシーに()ったとすると、ホテルに()いたのが7()(ふん)でもおかしくない。

(はら)(そこ)から(わら)いがこみあげてきた。真実(しんじつ)は、いつもばかばかしいほど単純(たんじゅん)で、複雑(ふくざつ)だ。(せま)いバスルームは(わら)(ごえ)がよく(ひび)いた。

 

 (おとこ)(しず)かにソファーに(すわ)っていた

 (かれ)(こころ)(おも)()()たされていた

 

 (おお)ざっぱな(けい)(かく)(よろこ)びと()(あん)()み、

 (おお)ざっぱな()(かん)()(げき)()(げき)(はこ)んできた

 

 (なが)い、(なが)(たび)()わり、

(なが)い、(なが)一日(いちにち)がまた(はじ)まった

 

 (おとこ)(ちから)(づよ)くソファーから()()がった

 (から)っぽのおなかを朝食(ちょうしょく)()たすために

 (かれ)はまた(はし)()した

(完)

トウキョウタワー★★★

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