――やっぱり島の風は気持ちがいい――
オオカミのロブは、船からバイクを降ろすと、大きく息を吸った。しばらく海を見ていたが、やがてヘルメットをかぶり、エンジンをかけると、北へ向かって走り出した。
「ただいま」
玄関のドアを開けると、すぐに母親のリリーが出てきた。
「おかえりなさい!」
とロブに抱きついてきた。
「やめろよ。はずかしいなあ」
「まあ! 10年ぶりに帰ってきたのに、何よ!」
母は少ししわが増えたが、何も変わっていない。
母は、父のロジャーが亡くなってから、ひとりでロブを育ててくれた。そして、ロブがこの島を出ていってからは、ずっとひとりで暮らしている。
「腹が空いてんだけど、なんか食べものない?」
「もちろん、あるわよ。いっぱい作って待ってたんだから。ちょっと待ってて、今、温めるから」
部屋の中は昔のままだ。テーブル、ソファー、化粧台。そして、棚の上の父の写真。そのとなりには古いギターが置かれている。
ロブにギターを教えてくれたのは父のロジャーだ。ロブが簡単な曲をひけるようになると、誕生日に新しいギターを買ってくれた。その日から毎日ギターを弾いている。父が亡くなってからはバイクに夢中になった時期もある。だが、いつもギターはロブのとなりにあった。やがて自分で曲を作るようになった。まわりのみんながいい曲だとほめてくれた。それに、とってもいい声だと言ってくれた。ロブは「歌手になろう」と決めた。
卒業式の翌日、ロブは島を出た。しかし、現実はきびしかった。ロブのように歌手を目指して都会にやってくるものは、星の数ほどいる。次から次へとやってきて、次から次へと消えていく。それでも、ロブはがんばった。アルバイトをしながら、何度もオーディションを受け、曲を作り続けた。一年、また一年……と時間は過ぎていった。そして、ようやくCDを出し、ライブハウスで歌えるようになった。だが、まだ歌手として食べていくことはできなかった。アルバイトを続け、狭い部屋でひとり過ごした。ついに、十年がたち、もうこんな生活に疲れてしまった。……島に帰りたい。
食事の後、母はお皿を片付けながら、ロブに話しかけてきた。
「ジョニーくんには連絡したの?」
「いや、してないよ」
「あなたが帰ってるって知ったら、きっと会いたがるわよ」
「ああ、あいつ、元気にしてる?」
キツネのジョニーとは子どものころからの親友だ。
「ええ。もう結婚して、子どももいるのよ」
「ふうん」
「明日、連絡してあげなさい。ところで、あなた、歌手のほうはどうなの?」
「ああ。……もうやめようと思ってる」
「そう。いいんじゃない。もう十分がんばったでしょ」
十分かどうかはわからないが、母親にそう言われると、少し気持ちが軽くなった。
ロブは棚の上に置かれた父の写真を眺めた。
翌日、暇だったので、バイクで島を一周してみることにした。
――ああ、昔のままだ。あの森も、あの川も、子どものころよく遊んだ……。あ、新しいお店ができている。ケーキ屋か。あの丘は、ゴリじいさんのうちだ。元気かな。よし、行ってみよう――
丘の上の白い立派な建物を見て驚いた。入口に「イノリ島図書館」と書かれた立派な看板が出ていた。中に入っていくと、なつかしいにおいがした。紅茶のにおいだ。そして、貸出カウンターの中に、大きな体のゴリじいさんがいた。
「ゴリじいさん!」
「おお、ロブくんじゃないか。ひさしぶりだねえ」
「おれのこと、覚えていてくれたんですか?」
「もちろん。小さいころ、よくうちにジョニーくんと遊びに来てくれたじゃないか。それに、きみはこの島のヒーローだからね」
「ヒーロー? おれが?」
「そう。島のみんなはきみのことをずっと応援してるんだよ。歌手になるためにがんばってるきみは、この島に夢と元気を与えてくれるんだ」
「う、うそだ!」
「うそじゃないさ。きみが出した曲は全部聴いているよ。息子にきみのCDを送ってもらったんだ。ほら、この図書館にも、ちゃんときみのCDが置いてある」
「えっ!」
「きみのお母さんもここへ来ると、いつもうれしそうにきみの話をしているよ。きっとお父さんも空の上で応援しているはずだよ」
「父さんも……」
その日の夜、ジョニーから電話があった。
「ゴリじいさんに聞いたぞ。こっちに帰ってきてたんだって。元気か?」
「ああ、ひさしぶりだな」
「10年ぶりだ。ところで、明日、ひまか? いいところに行こうぜ」
「いいところ?」
いくらロブが聞いても、ジョニーはどこに行くのか教えてくれなかった。
次の日の朝、ジョニーは家族といっしょに車でやってきた。
「彼女はナナ。そして、こっちが娘のマニー」
ジョニーは車に乗るように言ったが、車よりバイクのほうがいいと言って断った。ロブはジョニーの車の後ろをバイクで走った。
――いったいどこへ連れて行こうとしているんだ? ピクニックか?――
島の中央に向かって20分ぐらい進むと、ある建物の前で車は止まった。運転席の窓からジョニーが顔を出して「ここだ」と言った。ここはロブとジョニーが最初に出会った場所。イノリ島幼稚園だ。
ロブがバイクを止めていると、娘のマニーがロブのところへかけて来た。
「きょうは、うたのはっぴょうかいなんだよ」
ジョニーに連れられて、ロブはステージの一番前のいすに座った。ブタの夫婦が隣に座っていた。
ヤギの園長先生が開会のあいさつをした。子どもたちが楽器を持って次々にやってくる。最後に出てきたマニーがマイクの前に立った。
「きょうは、みなさん。はっぴょうかいに、きてくれて、ありがとうございます。ロブさんもきてくれて、とってもうれしいです。いまから、いっしょうけんめい、うたと、えんそうをします。さいしょのきょくは、『しまのかぜ』です」
大きな拍手が起こった。ロブは信じられない気持ちでいた。
イヌの先生が台に上がり、手を上げた。大きく手を振ると、ネコの先生がピアノを弾き始め、演奏が始まった。
『島の風』は、ロブが島を出るときに作った曲で、初めてCDになった曲だ。
となりを見ると、ジョニーがにやっと笑った。
「毎年、この曲を発表会で歌うんだ。ほら、見てみろよ。あそこ」
目を向けると、後ろのほうの席に母のリリーが座っていた。そして、そのとなりにはゴリじいさんが。
「あのふたりだけじゃないぜ。毎年おおぜいの人がこの歌を聴きに来るんだ」
子どもたちの優しい歌声が聞こえてきた。大きく息を吸って、小さな口で一生懸命歌っている。ロブの目から涙がこぼれた。
――こんないい曲、作れるのに、あきらめるなんてもったいないぞ――
空の向こうから、父の声が聞こえた。
(つづく)
この素敵話ありがとう!
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