Thursday, August 12, 2021

死神(しにがみ)★★★★

 世(よ)の中(なか)にはありがたい神様(かみさま)がたくさんおりますが、中(なか)にはありがたくない神様(かみさま)というのもおります。例(たと)えば、「貧乏(びんぼう)神(がみ)」に憑(つ)かれると、家が貧乏(びんぼう)になってしまいます。「疫(やく)病(びょう)神(がみ)」に憑(つ)かれると、その家の人々(ひとびと)が病気(びょうき)になったり、家の中で良(よ)くないことが起(お)きたりします。それから、「死神(しにがみ)」という恐(おそ)ろしい神様(かみさま)がおりまして……

 

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「ただいま……」

「おかえり。金はできたかい?」

「だめだ。どこも貸(か)してくれねえ」

「できなかったの!? ほんの少しのお金も借(か)りられないで、あきらめて帰(かえ)ってきたのかい」

「だって、みんな『金がない』って言うんだから、しょうがないだろ」

「それは『あなたに貸(か)す金はない』って意味(いみ)よ。ないわけないでしょ。もうやだ! あんたなんか豆(とう)腐(ふ)の角(かど)に頭(あたま)をぶつけて死(し)んだらいい!」

「豆(とう)腐(ふ)の角(かど)に頭(あたま)ぶつけて死(し)ねるか」

「あんたなら死(し)ねるわよ。もういい。出(で)てけ!」

 男は妻(つま)に家を追(お)い出(だ)されてしまった。

 

「ああ、あんな強(つよ)い女はいないね。『豆(とう)腐(ふ)の角(かど)に頭(あたま)をぶつけて死(し)ね』だって。家にいれば金がないってギャーギャー言われるし、どこに行っても金は貸(か)してくれないし、もう生きてるのが嫌(いや)になっちゃった……死(し)のう」

ぶつぶつ言いながら歩(ある)いていると、男はいつの間(ま)にか橋(はし)の上までやってきた。

「川に飛(と)び込(こ)むのは嫌(いや)だなぁ。おれは泳(およ)げねえんだ。七つの時に井戸(いど)に落(お)ちたことがあるが、あんな苦(くる)しい思いは二度(ど)としたくねえ。生きてるほうがまだいいや……どうしようかなあ」

それからまた少し歩(ある)くと、古(ふる)い大きな木があった。

「大きな木だねえ……そうだ。この木の枝(えだ)で首(くび)を吊(つ)って死(し)のう。けど、首(くび)を吊(つ)るのは初(はじ)めてだ。どうやるんだ?」

「教(おし)えてやろうか」

「えっ……だれだ!?」

「俺(おれ)だよ」

 木の陰(かげ)から、やせた老人(ろうじん)がすっと現(あらわ)れた。頭(あたま)には薄(うす)い白い毛(け)がぼやっと生(は)え、灰色(はいいろ)の着物(きもの)を着(き)て、藁(わら)草履(ぞうり)をはき、竹(たけ)の杖(つえ)を突(つ)いていた。

「教(おし)えてやろう」

「だれだよ! おまえは……」

「死神(しにがみ)だよ」

「し、死神(しにがみ)……ああ、嫌(いや)だ。おれは今まで死(し)のうなんて思ったこと一度(ど)もなかったんだ。それなのに、急(きゅう)に死(し)にたくなったんだ。おまえのせいだな。あっち行け!」

「ヘッヘヘ、そう言うな。おまえと俺(おれ)とは昔(むかし)からの深(ふか)いつながりがあるんだ。そんなこと言っても、おまえにはわからないだろうが……。おまえにはまだ寿(じゅ)命(みょう)が残(のこ)ってる。そういう人(にん)間(げん)は死(し)のうとしても死(し)ねないようになってるんだ。それよりいい話(はなし)がある……」

「嫌(いや)だよ! 死神(しにがみ)と話(はな)すことなんか何もねえよ」

 男はその場(ば)から立(た)ち去(さ)ろうとした。

「おい、待(ま)ちな。逃(に)げようとしたって無駄(むだ)だ。おまえは足(あし)で歩(ある)いて逃(に)げるが、俺(おれ)は風(かぜ)に乗(の)って飛(と)べるんだ。まあ、怖(こわ)がるな。ずいぶん困(こま)っているようじゃないか。俺(おれ)がいい仕事(しごと)を世話(せわ)してやるよ」

「え、仕事(しごと)?」

「ああ……おまえ、医者(いしゃ)になれ」

「医者(いしゃ)!? おれは病気(びょうき)の治(なお)し方(かた)も薬(くすり)の作(つく)り方(かた)も知(し)らねえし、医者(いしゃ)なんて無理(むり)だよ」

「そんなのはどうでもいいんだ。俺(おれ)がやり方(かた)を教(おし)えてやる。いいか。長い間(あいだ)寝込(ねこ)んでいる病人(びょうにん)には死神(しにがみ)が憑(つ)いているんだ。枕元(まくらもと)か足元(あしもと)のどっちかに死神(しにがみ)が必(かなら)ずいる。頭(あたま)の方(ほう)に死神(しにがみ)が座(すわ)ってる場(ば)合(あい)はもうダメだ。寿命(じゅみょう)が終わってるんだから、絶対(ぜったい)に手をつけちゃいけない。逆(ぎゃく)に、死神(しにがみ)が足元(あしもと)に座(すわ)っている場(ば)合(あい)はまだ生(い)きられる。呪文(じゅもん)を唱(とな)えると、死神(しにがみ)は消(き)えて、病(びょう)人(にん)はあっという間(ま)に元気になる」

「わ、わかったよ。その呪文(じゅもん)ってのは何だ?」

「いいか。決(けっ)して人に言うなよ。『アジャラカモクレン、テケレッツノパ』と唱(とな)えて、ポンポンと手を二つ叩(たた)くんだ。こうされると、死神(しにがみ)はどうしても帰(かえ)らなきゃいけない決(き)まりがあるんだ」

「ふーん、『アジャラカモクレン、テケレッツノパ』で、手をポンポン。これでいいのかい? 死神(しにがみ)さん? あれ、どこ行った? あ、そうか。呪文(じゅもん)を唱(とな)えたから帰(かえ)ったのか。これはいいことを教(おし)えてもらった」

 

 男は家に帰(かえ)ると、昨日食べたカマボコの板(いた)に下手な字(じ)で「医者(いしゃ)」と書いた。そして、表(おもて)に出ると、外からよく見えるところにそれをかけた。すると、すぐに人が訪(たず)ねてきた。

「ごめんください」

「はい、何か用(よう)ですか?」

「こちらはお医者(いしゃ)様(さま)でいらっしゃいますか?」

「はい、わたしが医者(いしゃ)ですけど、何でしょう?」

「先生でしたか。失礼(しつれい)しました。私は日本橋(にほんばし)の越前屋(えちぜんや)の使用人(しようにん)でございます。実(じつ)は、主人(しゅじん)が重(おも)い病気(びょうき)にかかっておりまして、いろいろな先生に診(み)ていただいたんですが、なかなか良(よ)くならないのです。先(さき)ほど、この家の前を通(とお)った際(さい)に「医者(いしゃ)」という字(じ)が目に入りましたもので、こちらへ伺(うかが)った次(し)第(だい)です。ぜひ先生に一度(ど)診(み)ていただくことはできませんでしょうか」

「なるほど。いいですよ。じゃあ、行きましょう」

変(へん)な医者(いしゃ)だと思ったが、使(し)用(よう)人(にん)は男を店(みせ)に連(つ)れて行った。使用人(しようにん)が番頭(ばんとう)に話をすると、番頭(ばんとう)は「まあ、診(み)せるだけなら間(ま)違(ちが)いもないだろう」と男を主人(しゅじん)の部屋(へや)まで案内(あんない)した。

部屋(へや)に入ってみると、死神(しにがみ)が病人(びょうにん)の足元(あしもと)の方に座(すわ)っていた。

「おっ、これはご主人(しゅじん)治(なお)りますね」

「本当(ほんとう)ですか!? しかし、どの先生も難(むずか)しいと…」

「治(なお)ります。……ところで、治(なお)したら、お礼(れい)はいただけますよね?」

「それは、もちろん」

「そうですか。ちょっとお待(ま)ちください」

 男はそう言うと、死神(しにがみ)を見て、

「アジャラカモクレン、テケレッツノパー」

と唱(とな)えて手をパンパンと二度(ど)打(う)った。すると、死神(しにがみ)がすっといなくなった。真(ま)っ青(さお)だった病人(びょうにん)の顔色(かおいろ)が変(か)わり、ぱっと起(お)き上(あ)がると、

「おい、お茶(ちゃ)を一杯(いっぱい)持(も)ってきてくれ。なんだか頭(あたま)から雲(くも)がすっと晴(は)れたようだ。久(ひさ)しぶりに気分(きぶん)がいい。……腹(はら)が減(へ)ったなあ。何か食べるものはないか?」

と言ったので、みんな驚(おどろ)いた。

越前屋(えちぜんや)の主人(しゅじん)はすっかり元気になって、男はたっぷりお礼(れい)をもらった。すると、あっちこっちで「あの先生はすばらしい医者(いしゃ)だ」と言われるようになり、次々(つぎつぎ)に助(たす)けてほしいと人がやってきた。しかも、都合(つごう)がいいことにみんな足元(あしもと)に死神(しにがみ)がいた。呪文(じゅもん)を唱(とな)えて手を打(う)つだけで、死神(しにがみ)はすっと消(き)えていく。病人(びょうにん)はすぐに元気になる。

 貧乏(びんぼう)暮(ぐ)らしをしていた男が、立派(りっぱ)な家を建(た)て、いい着物(きもの)を着(き)て、うまいものを食(く)う。外に女をつくって家に帰(かえ)らなくなる。それに文(もん)句(く)を言う妻(つま)に金と子どもを渡(わた)して別(わか)れてしまう。

「ねえ、先生……」

「何だい?」

「わたしねえ、一度(ど)関西(かんさい)の方に旅行(りょこう)に行ってみたいなあって思ってるの」

「関西(かんさい)かあ。いいねえ、おれも行きたいと思ってたんだ。よし、じゃあ、行こう。……そうだ。留守(るす)にするのは面倒(めんどう)だから、家も売(う)ろう」

そして、男は女を連(つ)れて関西(かんさい)へ。あっちこっちで贅沢(ぜいたく)をして毎日楽(たの)しく過(す)ごしていたが、金というのは使(つか)えばなくなってしまうもの。金がなくなれば、女もすっといなくなる。仕方(しかた)がないと男は一人で江戸(えど)に戻(もど)って、残(のこ)りの金で家を買った。医者(いしゃ)の仕事(しごと)を始(はじ)めれば、また儲(もう)かるに違(ちが)いないと思っていた。ところが、どうしたことか病人(びょうにん)が来ない。たまに声(こえ)がかかって行ってみると、みんな枕元(まくらもと)に死神(しにがみ)が座(すわ)っている。

 

 しばらくすると、麹町(こうじまち)三丁目(さんちょうめ)の伊勢谷伝右衛門(いせやでんえもん)という金(かね)持(も)ちの使用人(しようにん)がやってきた。主人(しゅじん)を診(み)てほしいと言うので、「よし、きた!」と行ってみると、死神(しにがみ)は枕元(まくらもと)に座(すわ)っていた。

「あぁ、これはだめだ。この病人(びょうにん)は助(たす)からないね。諦(あきら)めなさい」

「そこを何とか一つ、先生、お願(ねが)いします」

と番頭(ばんとう)が頭(あたま)を下げた。

「お願(ねが)いされても、治(なお)らないものはしょうがないよ」

「お礼(れい)は三千両(りょう)でいかがでしょうか」

「お金をもらっても助(たす)からないものはしょうがないんだよ。寿命(じゅみょう)だ。諦(あきら)めてくれ」

「それでは、二、三カ月でも寿命(じゅみょう)を伸(の)ばしていただけたなら、一万両(りょう)のお礼(れい)をいたします」

「えっ!? 一万両(りょう)? うーん、そうなると何とか助(たす)けたいけど……」

 男はしばらく考(かんが)えた。そして、あることを思いついた。

番頭(ばんとう)の耳元(みみもと)に小(こ)声(ごえ)で言った。

「いいかい。気が利(き)いて力のある若(わか)い男を四人そろえてくれ。その四人を病人(びょうにん)の寝(ね)ている布団(ふとん)の四隅(よすみ)に一人ずつ座(すわ)らせておくんだ。それで、わたしがポンと膝(ひざ)を叩(たた)いたら、いっせいに布団(ふとん)を持(も)ち上げて、くるっと回(まわ)すんだ。病人(びょうにん)の足(あし)と頭(あたま)の場所(ばしょ)を入(い)れ替(か)えてほしいんだよ。それができれば、ご主人(しゅじん)は助(たす)かるかもしれない。ただし、一回(いっかい)きりの勝負(しょうぶ)だ。失敗(しっぱい)したら、それまでだ」

 番頭(ばんとう)はそれで病気(びょうき)が治(なお)るならと、言われたとおりに四人の男を連(つ)れてきて、病人(びょうにん)の布団(ふとん)の四(よ)隅(すみ)に座(すわ)らせた。

 夜(よ)が更(ふ)けて暗(くら)くなると、死神(しにがみ)の目がギラギラ輝(かがや)いてくる。病人(びょうにん)が「うーん、うーん……」と苦(くる)しんだ。ところが、夜(よ)が明(あか)けてくると、死神(しにがみ)も疲(つか)れてきたのか、こっくりこっくり居(い)眠(ねむ)りを始(はじ)めた。

 それを見て、男は四隅(よすみ)にいる四人に目で合図(あいず)をして、「ここだ!」と思うところでポンと膝(ひざ)を打(う)った。途(と)端(たん)に布団(ふとん)がくるっと回(まわ)って上(じょう)下(げ)が入(い)れ替(か)わる。

「アジャラカモクレン、テケレッツノパー」

と早口(はやくち)で唱(とな)えて、手を二回(かい)パンパンと打(う)った。

 死神(しにがみ)は「うわーっ!」と飛(と)び上(あ)がって驚(おどろ)いた。そして、そのまま消(き)えてしまった。

「もう大丈夫だ……」

病人(びょうにん)はたちまち具合(ぐあい)が良(よ)くなり、「ありがとうございました」と金が届(とど)いた。

 

 男はもらった金で酒(さけ)を飲み、いい気分(きぶん)で夜道(よみち)を歩(ある)いていた。

「ああ、やっぱり人間(にんげん)ってものは困(こま)った時にこそいい知恵(ちえ)が出(で)るもんだねぇ。それにしても、あの死神(しにがみ)の驚(おどろ)いた顔(かお)と言ったら……はっははは……」

 後(うし)ろから低(ひく)い声(こえ)が聞(き)こえた。

「なぜあんなバカなことをした」

振(ふ)り向(む)くと、そこにはあの死神(しにがみ)がいた。

「お、おぉ、死神(しにがみ)さん、どうもお久(ひさ)しぶりです」

「何が久(ひさ)しぶりだ。まさかおまえ、俺(おれ)のことを忘(わす)れてはいないだろうな」

「ええ、もちろん忘(わす)れたりしませんよ。最初(さいしょ)に会った死神(しにがみ)さんですよね? あんたのおかげで、ずいぶん儲(もう)かりました」

「そうか、ちゃんと覚(おぼ)えていたか。それなのにあんなバカなことをやるなんて……」

 どうもさっきあそこにいたのは、このじいさんの死神(しにがみ)だったらしい。ところが、死神(しにがみ)というのはみんな同(おな)じ姿(すがた)をしているから、男もそうだとは気付(きづ)かなかった。

「えっ、それじゃ、さっきあそこにいたのは、あんただったんですか? それは申(もう)し訳(わけ)ないことをしました。まさかあんただとは思いませんでした。じゃ、わたしがもらった金を半分(はんぶん)あんたにあげるから、それで許(ゆる)してください」

「何言ってるんだ……まあ、やってしまったことは仕方(しかた)がない。俺(おれ)といっしょに来い」

「こ、来いって、どこへ行くんですか?」

 死神(しにがみ)が竹(たけ)の杖(つえ)で地(じ)面(めん)を突(つ)くと、そこにぽっかり大きな穴(あな)が開(あ)いた。穴(あな)の中には下へ向(む)かう階(かい)段(だん)が続(つづ)いていた。

「さあ、ここを降(お)りろ」

「嫌(いや)だよ。こんな気(き)味(み)が悪(わる)いところへ降(お)りるなんて……ねえ、許(ゆる)してくださいよ。あんたとは知(し)らずにやったことなんだからさ」

「いいから降(お)りろ!」

「降(お)りろって……中は真(ま)っ暗(くら)じゃねえか」

「大丈夫(だいじょうぶ)だ。俺(おれ)の杖(つえ)につかまれ。降(お)りて来い」

「え、杖(つえ)に? ちょ、ちょっと待(ま)って……そんなに引(ひ)っぱったら危(あぶ)ない、危(あぶ)ないよ!」

「早(はや)く降(お)りろ」

階段(かいだん)を降(お)りていくと、ぱっと明(あか)るくなった。広(ひろ)い部屋(へや)にたくさんのロウソクが並(なら)んでいた。

「ずいぶんたくさんロウソクがあるんですねえ。何ですか、これは?」

「このロウソクは人の寿命(じゅみょう)だ」

「はあ~、昔(むかし)から、人の寿命(じゅみょう)はロウソクの火みたいだって言いますが、ずいぶんたくさんあるものですね。長いのや短(みじか)いのやいろいろなのが……、あ、ここにロウがたまって暗(くら)くなっているのがありますね」

「そういうのは病気(びょうき)になっているんだ。ロウを取(と)り除(のぞ)いて、火がまっすぐに立てば病気(びょうき)は治(なお)る」

「ふーん、そうですか。お、ここにずいぶん長くて明(あか)るく燃(も)えてるのがありますね」

「それはおまえの息子(むすこ)だ」

「へえー、息子(むすこ)ですか。あいつはずいぶん長(なが)生(い)きするんですね。そのとなりの半分(はんぶん)ぐらいでよく燃(も)えてるのは?」

「おまえの元(もと)の奥(おく)さんだよ」

「ああ、あいつですか。やっぱりあいつも長(なが)生(い)きなんですねえ。ここにずいぶん短(みじか)くなって今にも消(き)えそうなのがありますが……」

「おまえだ」

「え?」

「それがおまえの寿命(じゅみょう)だよ」

「い、今にも消(き)えそうじゃねえか!」

「消(き)えそうだね。消(き)えた途端(とたん)に命(いのち)はなくなる。もうすぐ死(し)ぬよ」

「う、嘘(うそ)だ! だって、あんた、初(はじ)めて会った時に『おまえにはまだ寿命(じゅみょう)がある』って言ったじゃねえか! あれは嘘(うそ)か!?」

「嘘(うそ)じゃない。おまえの本来(ほんらい)の寿命(じゅみょう)はあのロウソクだ。あの半分(はんぶん)より長く明(あか)るく燃(も)えているのが、おまえの寿命(じゅみょう)だ。それなのに、おまえは金のために寿命(じゅみょう)を取(と)り換(か)えたんだ」

「そ、そんな……」

「フッフフ。おまえはもうすぐ死(し)ぬよ」

「嫌(いや)だ! なあ、助(たす)けてくれよ。寿命(じゅみょう)を元(もと)に戻(もど)してくれよ」

「もうダメだ」

「そんなこと言わないでさ。なあ、頼(たの)むよ、死神(しにがみ)さん、死神(しにがみ)様(さま)!」

「ダメだ。一度(ど)取(と)り替(か)えたものは二度(ど)と元(もと)に戻(もど)せない。諦(あきら)めろ」

「頼(たの)む。もう一度(ど)だけ!」

 そう言うと、男は死神(しにがみ)に向(む)かって手を合(あ)わせた。

 死神(しにがみ)は呆(あき)れたような顔(かお)をして、足元(あしもと)に転(ころ)がっているロウソクを拾(ひろ)い上げた。

「しょうがない男だ。ほら、ここに半分(はんぶん)ぐらいのロウソクがある。途(と)中(ちゅう)で消(き)えてしまったロウソクだが、これにその短(みじか)いロウソクの火をうつしてみろ。うまく火がつけば、おまえの命(いのち)は助(たす)かる」

「ありがとう……ありがとう…」

男は死神(しにがみ)からロウソクを受(う)け取(と)ると、消(き)えかけのロウソクを手に取(と)ろうとした。だが、短(みじか)くてなかなか取(と)れない。

「早(はや)くしないと消(き)えるよ」

「早(はや)くしろって……おまえ…」

「どうした、手が震(ふる)えてるぞ。震(ふる)えると消(き)えるよ」

「そ、そんなこと言ったって、身体(からだ)が勝手(かって)に震(ふる)えるんだからしょうがないだろ」

「早(はや)くしな。早(はや)くしないと消(き)えるよ」

「黙(だま)っててくれよ」

「ほら、今にも消(き)えそうだ。フフフ、早(はや)くしな。死(し)ぬよ」

「う、うるさい。黙(だま)ってろ!」

「ほら、早(はや)く。早(はや)くしないと消(き)えるよ。消(き)えると命(いのち)はないよ。ヒッヒヒヒ……」

「やめてくれ! つけ! つけ! つけよ!」

「消(き)えるよ。消(き)えるよ。消(き)えると死(し)ぬよ。死(し)ぬよ。クッククク……」

「あ、あああぁ、消(き)える、消(き)え……」

「ほら、消(き)えた」

(完)

   

Wednesday, April 28, 2021

幽霊床屋2(ゆうれいとこや2)★★★★

  2021年3月20日、土ど曜ようの夕ゆう方がた、地じ震しんが起おきた。10年ねん前まえの地じ震しんを思おもい出ださせる強つよい揺ゆれだった。私わたしはそのとき店みせにいた。売うり上あげの計けい算さんも片かた付づけも終おわり、これからうちへ帰かえるところだった。

揺(ゆ)れが収(おさ)まると、すぐに自(じ)宅(たく)に電(でん)話(わ)をかけた。

「もしもし、大(だい)丈(じょう)夫(ぶ)だった? 結(ゆい)香(か)は?」

「ああ、大(だい)丈(じょう)夫(ぶ)だよ。結(ゆい)香(か)もびっくりしたみたいだけど、今(いま)は平(へい)気(き)。麗(れい)子(こ)はまだ店(みせ)?」

「うん。でも、もう出(で)るよ。店(みせ)の中(なか)はめちゃくちゃだけど、片(かた)付(づ)けは明日(あした)にする」

「わかった。気(き)を付(つ)けて、帰(かえ)ってきて」

 夫(おっと)の声(こえ)を聞(き)いて、ほっとした。この10年(ねん)で私(わたし)には大(たい)切(せつ)なものが二(ふた)つできた。一(ひと)つが5年(ねん)前(まえ)に開(ひら)いたこの床(とこ)屋(や)「優(ゆう)」。もう一(ひと)つが自(じ)分(ぶん)の家(か)族(ぞく)だ。夫(おっと)とは4年(ねん)前(まえ)に知(し)り合(あ)い、次(つぎ)の年(とし)に結(けっ)婚(こん)した。そして一昨年(おととし)、娘(むすめ)が生(う)まれた。結(ゆい)香(か)という名(な)前(まえ)を付(つ)けた。1歳(さい)になってからは、平(へい)日(じつ)は保(ほ)育(いく)園(えん)に預(あず)け、土(ど)日(にち)は夫(おっと)と近(ちか)くに住(す)んでいる夫(おっと)の両(りょう)親(しん)に面(めん)倒(どう)を見(み)てもらっている。

 電(でん)話(わ)を切(き)ると、急(いそ)いで自(じ)宅(たく)へ向(む)かった。無(ぶ)事(じ)だとわかっていても、早(はや)く家(か)族(ぞく)に会(あ)いたい。結(ゆい)香(か)をぎゅっと抱(だ)きしめたい。

 

 翌(よく)日(じつ)。不(ふ)安(あん)だったが、店(みせ)はいつも通(どお)りに開(あ)けることにした。予(よ)約(やく)もたくさん入(はい)っているし、まず店(みせ)を片(かた)付(づ)けなければならない。いつもより早(はや)く起(お)きて家(いえ)を出(で)た。だが、思(おも)っていたほど壊(こわ)れたり割(わ)れたりしたものは少(すく)なく、片(かた)付(づ)けは30分(ぷん)ほどですんだ。

 開(かい)店(てん)時(じ)間(かん)になると次(つぎ)々(つぎ)とお客(きゃく)さんがやってきた。店(みせ)の仕(し)事(ごと)はすべて一人(ひとり)でこなしているので、土(ど)日(にち)はとても忙(いそが)しい。まだ34歳(さい)で体(たい)力(りょく)もあるから大(だい)丈(じょう)夫(ぶ)だが、将(しょう)来(らい)はだれか雇(やと)おうかと考(かんが)え始(はじ)めている。

 10時(じ)過(す)ぎに電(でん)話(わ)が来(き)て、夕(ゆう)方(がた)の予(よ)約(やく)が1件(けん)キャンセルになった。昨日(きのう)の地(じ)震(しん)で新(しん)幹(かん)線(せん)が止(と)まり、東(とう)京(きょう)から戻(もど)れなくなった人(ひと)がいたため、代(か)わりに仕(し)事(ごと)に出(で)なければならなくなったそうだ。今(こん)回(かい)の地(じ)震(しん)で亡(な)くなったりした人(ひと)はほとんどいないようだが、いろいろなところに影(えい)響(きょう)が出(で)ている。先(さき)ほどの女(じょ)性(せい)客(きゃく)は、給(きゅう)食(しょく)センターの冷(れい)蔵(ぞう)庫(こ)が地(じ)震(しん)で壊(こわ)れたせいで、明日(あした)から毎(まい)朝(あさ)子(こ)どものお弁(べん)当(とう)作(づく)りだと言(い)っていた。

キャンセルしたのは今日(きょう)の最(さい)後(ご)のお客(きゃく)さんだったので、早(はや)めに店(みせ)を閉(し)めようかと思(おも)った。売上(うりあげ)も大(たい)切(せつ)だが、たまにはゆっくり家(か)族(ぞく)と過(す)ごしたい。

 ところが、夕(ゆう)方(がた)、予(よ)約(やく)なしのお客(きゃく)さんが店(みせ)に来(き)てしまった。小畑(おばた)のおじいちゃんだ。

「あら、小畑(おばた)さん。ひさしぶり。こんな時(じ)間(かん)に来(く)るなんてめずらしいですね」

「ああ、ちょっとね。予(よ)約(やく)していないけど、大丈夫(だいじょうぶ)かい?」

「ええ。大丈夫(だいじょうぶ)です。どうぞ」

 小畑(おばた)さんなら、カットとシャンプーだけだから、そんなに時(じ)間(かん)はかからない。だが、わりとおしゃべり好(ず)きなのでたまに長(なが)引(び)くこともある。

これ以(い)上(じょう)客(きゃく)が来(く)ると困(こま)るので、素(す)早(ばや)く外(そと)に出(で)てドアにかけてある「営(えい)業(ぎょう)中(ちゅう)」の札(ふだ)を「準(じゅん)備(び)中(ちゅう)」にひっくり返(かえ)した。

「はい、じゃあ、こちらにマスクを入(い)れてくだ……。あれ? 小畑(おばた)さん。マスクしてないじゃないですか。だめですよ」

「ああ、ごめんごめん。ついうっかりしてた」

「もう気(き)を付(つ)けてくださいね。あとで、マスクあげますから」

 普(ふ)段(だん)しっかりしている小畑(おばた)さんにしてはめずらしいことだと思(おも)った。

小畑(おばた)さんは農(のう)家(か)だった。奥(おく)さんと二人(ふたり)でお米(こめ)や野(や)菜(さい)を作(つく)っていた。子(こ)どもはいなかったが、夫(ふう)婦(ふ)二人(ふたり)で幸(しあわ)せに暮(く)らしていた。だが、家(いえ)があったのは海(うみ)の近(ちか)くだった。10年(ねん)前(まえ)の津(つ)波(なみ)で家(いえ)と田(た)んぼを失(うしな)った。そして、7年(ねん)前(まえ)、この柳(やなぎ)之(の)下(した)町(まち)に建(た)てられた復(ふっ)興(こう)団(だん)地(ち)に引(ひ)っ越(こ)してきた。3年前(ねんまえ)に奥(おく)さんを亡(な)くした。それからずっと独(ひと)り暮(ぐ)らしだが、いつもきちんとした格(かっ)好(こう)をしているし、80歳(さい)を過(す)ぎた今(いま)でも健(けん)康(こう)で、足(あし)腰(こし)もしっかりしている。髪(かみ)も白(しろ)いが、量(りょう)は多(おお)いほうだ。

「いつもどおりで、いいですか?」

「うん。いつもどおりで」

 タオルとケープを首(くび)に巻(ま)くと、いつものようにハサミを動(うご)かしていく。早(はや)く帰(かえ)りたいけど、急(いそ)ぐわけにはいかない。客(きゃく)の話(はなし)を聞(き)くのも床(とこ)屋(や)の仕(し)事(ごと)だ。お客(きゃく)さんには髪(かみ)型(がた)だけじゃなく、心(こころ)もすっきりして帰(かえ)って行(い)ってほしい。

小畑(おばた)さんのように地(じ)震(しん)や津(つ)波(なみ)の被(ひ)害(がい)を受(う)けて復(ふっ)興(こう)団(だん)地(ち)に移(うつ)ってきた人(ひと)は、ここでつらい経験(けいけん)を語(かた)っていくことがある。けど、小畑(おばた)さんはいつも前(まえ)向(む)きで、津(つ)波(なみ)で家(いえ)と田(た)んぼを失(うしな)っても、「うちには跡(あと)を継(つ)いでくれる子(こ)どももいないし、これでよかった。土(と)地(ち)も市(し)が買(か)ってくれて、助(たす)かったよ」と話(はな)す。奥(おく)さんが亡(な)くなったときも、「もしおれが先(さき)に死(し)んでしまったら、あいつは一人(ひとり)になってさびしがるから。先(さき)に逝(い)ってくれて、待(ま)っててくれているって思(おも)ったほうが気(き)楽(らく)でいい。おれはひとりで大丈夫(だいじょうぶ)だから」と言(い)っていた。強(つよ)い人(ひと)だと思(おも)った。

でも、今日(きょう)の小畑(おばた)さんは、全(ぜん)然(ぜん)口(くち)を開(ひら)かない。どこか普(ふ)段(だん)と様(よう)子(す)が違(ちが)う。少(すこ)し何(なに)か話(はな)しかけてみよう。

「今年(ことし)は暖(あたた)かいから、桜(さくら)が咲(さ)くのは早(はや)いみたいですね。チューリップも順調(じゅんちょう)ですか?」

「あ、うん、そうだね。入(にゅう)学(がく)式(しき)までには咲(さ)くんじゃないかなあ」

「わあ、楽(たの)しみ。今年(ことし)は雪(ゆき)もたくさん降(ふ)ったし、土(つち)の中(なか)のチューリップの球(きゅう)根(こん)は大丈夫(だいじょうぶ)かなって心配(しんぱい)してたんです」

「いやいや、そうじゃない。チューリップの球(きゅう)根(こん)には冬(ふゆ)の寒(さむ)さが必(ひつ)要(よう)なんだ。暖(あたた)かいと、ちゃんと育(そだ)たなかったり、花(はな)がきれいに咲(さ)かなかったりするんだよ」

「へえー、そうなんですか」

「そう。それから冬(ふゆ)でもしっかり水(みず)をあげること。土(つち)の中(なか)は意(い)外(がい)と乾(かん)燥(そう)しているからね。人間(にんげん)と同(おな)じさ」

小畑(おばた)さんが住(す)んでいる復(ふっ)興(こう)団(だん)地(ち)には大(おお)きな庭(にわ)がある。小畑(おばた)さんはそこに花(か)壇(だん)を作(つく)り、いろいろな花(はな)を育(そだ)てていた。小畑(おばた)さんはまるで孫(まご)のことを話(はな)すようにうれしそうに花(はな)について語(かた)っていく。それで、こちらも自(し)然(ぜん)に覚(おぼ)えてしまった。たとえば、チューリップは秋(あき)に球根(きゅうこん)を植(う)え、春(はる)に花(はな)を咲(さ)かせるそうだ。植(う)えてから咲(さ)くまでにそんなに時(じ)間(かん)がかかるとは思(おも)わなかった。

こういう話(はなし)をすると、小畑(おばた)さんはいつも必(かなら)ず「長(なが)い間(あいだ)、農(のう)業(ぎょう)をしてたから、今(いま)でも毎(まい)日(にち)、土(つち)に触(ふ)れていないと落(お)ち着(つ)かないんだ」と言(い)う。しかし、今日(きょう)はそこで会(かい)話(わ)が終(お)わってしまった。何(なに)か悩(なや)みでもあるのだろうか。一人(ひとり)で家(か)事(じ)をこなし、酒(さけ)もたばこもやらない。そのうえ、このコロナ禍(か)だ。ストレスがたまっているのかもしれない……

 カットが終(お)わり、シャンプーと顔(かお)剃(そ)りの後(あと)、マッサージをしながら、ふと聞(き)いてみた。

「昨日(きのう)の地(じ)震(しん)、大(たい)変(へん)でしたね」

「えっ、地(じ)震(しん)?」

 小畑(おばた)さんは驚(おど)いた顔(かお)をしている。

「ああ、寝(ね)ていたから気(き)づかなかったよ。ははは」

嘘(うそ)だ。あれだけ大(おお)きな地(じ)震(しん)だ。寝(ね)ていたとしても気(き)づかないわけがない。どこへ行(い)っていたのだろう?

「ねえ、小畑(おばた)さん。なんか今日(きょう)は元(げん)気(き)がないようですが、何(なに)かあったんですか? 私(わたし)でよければ聞(き)きますよ」

「ああ。……実(じつ)は、最(さい)近(きん)、……生(い)きる意(い)味(み)って何(なん)だろうって考(かんが)えているんだよ」

「生(い)きる意(い)味(み)ですか……」

「震災(しんさい)のあと、毎年(まいとし)3月(がつ)になると、家(いえ)があったところに一人(ひとり)で行(い)ってみるんだ。バスと電(でん)車(しゃ)で近(ちか)くの駅(えき)まで行(い)って、そこからタクシーに頼(たの)んで、そのあたりをぐるっと回(まわ)ってもらうんだ。ちょっと途(と)中(ちゅう)で車(くるま)を止(と)めてもらったりして。一(いち)年(ねん)目(め)や二(に)年(ねん)目(め)は、以(い)前(ぜん)の面(おも)影(かげ)があちこちに残(のこ)っていたからよかったよ。胸(むね)は痛(いた)むが、『自(じ)分(ぶん)はここで生(う)まれて、ここに住(す)んでいた』って思(おも)えたからね。でも、年(ねん)々(ねん)、その面(おも)影(かげ)は消(き)えていって、知(し)らない土(と)地(ち)に変(か)わっていくんだ。変(か)わらないのは、海(うみ)だけさ……」

 鏡(かがみ)に映(うつ)る小畑(おばた)さんの顔(かお)には悲(かな)しみがあふれていた。

「それでも、あそこに行(い)けば、何(なに)か大(たい)切(せつ)なものを思(おも)い出(だ)せるんじゃないかって毎年(まいとし)通(かよ)ってたんだ。けど、去年(きょねん)も今年(ことし)もコロナ禍(か)で行(い)けなかった。こんな年(とし)寄(よ)りが電(でん)車(しゃ)やバスに乗(の)って出(で)かけたら、それこそ世(せ)間(けん)様(さま)に迷(めい)惑(わく)がかかるからね。そうしている間(あいだ)に、もう十(じゅう)年(ねん)だ……。結(けっ)局(きょく)、あそこに行(い)ったところで、もう何(なに)も大切(たいせつ)なものなんか見(み)つからないのさ。……おれの人生(じんせい)、いったい何(なん)だったんだろう? ただ生(う)まれて死(し)んでいくだけなら、生(う)まれた意(い)味(み)なんかないじゃないか。それなら、もう……終(お)わりにしたい……あいつのいるところへ行(い)きたい……って……思(おも)ったんだ……」

 そこで不思議(ふしぎ)なことが起(お)きた。小畑(おばた)さんの身体(からだ)がだんだん透明(とうめい)になっていくのだ。そして、ついに消(き)えてしまった。

 どこかでそんな気(き)がしていた。5年前(ねんまえ)の3月10日、夜(よる)にひとりの女(じょ)性(せい)が髪(かみ)を切(き)りに店(みせ)に来(き)た。津(つ)波(なみ)で亡(な)くなった幽(ゆう)霊(れい)だった。息子(むすこ)の小(しょう)学(がっ)校(こう)の卒(そつ)業(ぎょう)式(しき)を見(み)るためにあの世(よ)からやってきたのだ。今日(きょう)の小畑(おばた)さんは、その女(じょ)性(せい)とどこか似(に)ている感(かん)じがあった。ただ、その女性(じょせい)は肌(はだ)が氷(こおり)のように冷(つめ)たかったが、小畑(おばた)さんの肌(はだ)はそれほどでもなかった。そこで、はっとして町(ちょう)内(ない)会(かい)の会(かい)長(ちょう)さんに電(でん)話(わ)をかけた。

「会(かい)長(ちょう)さん、復(ふっ)興(こう)団(だん)地(ち)の管(かん)理(り)人(にん)さんの電(でん)話(わ)番(ばん)号(ごう)を教(おし)えていただけませんか。急(いそ)いでいるんです!」

 会(かい)長(ちょう)さんから聞(き)いた番(ばん)号(ごう)に電(でん)話(わ)をかけると、すぐに管(かん)理(り)人(にん)さんが出(で)た。小畑(おばた)さんのことをたずねると、思(おも)った通(とお)りだった。自(じ)宅(たく)に電(でん)話(わ)をかけ、夫(おっと)に「ごめん! 急(きゅう)な用(よう)事(じ)ができたの。帰(かえ)るの遅(おそ)くなる」と伝(つた)えると、急(いそ)いで病院(びょういん)へ向(む)かった。

 

 病(びょう)院(いん)に着(つ)いて、管(かん)理(り)人(にん)さんに教(おし)えてもらった病(びょう)室(しつ)に行(い)こうとすると、廊(ろう)下(か)で看(かん)護(ご)師(し)に止(と)められた。

「ご家(か)族(ぞく)以(い)外(がい)は面(めん)会(かい)できないことになっているんです」

「姪(めい)です。昔(むかし)、すごく世(せ)話(わ)になっていたんです。最(さい)後(ご)になるかもしれないなら、一(ひと)目(め)でいいから会(あ)わせてください! お願(ねが)いします!」

 必(ひっ)死(し)に頼(たの)むと、困(こま)った顔(かお)をしながら、部(へ)屋(や)に通(とお)してくれた。人(じん)工(こう)呼(こ)吸(きゅう)器(き)を付(つ)けた小畑(おばた)さんがベッドに横(よこ)たわっていた。

管(かん)理(り)人(にん)さんの話(はなし)によると、昨日(きのう)、小畑(おばた)さんは部(へ)屋(や)で睡(すい)眠(みん)薬(やく)を大(たい)量(りょう)に飲(の)んで自(じ)殺(さつ)しようとしたらしい。しかし、そのあと、地(じ)震(しん)が起(お)きた。揺(ゆ)れがおさまったあと、管(かん)理(り)人(にん)さんが訪(たず)ねてきた。住(じゅう)人(にん)が無(ぶ)事(じ)かどうか確認(かくにん)するためだ。そこで、倒(たお)れている小畑(おばた)さんを発(はっ)見(けん)した。すぐに救(きゅう)急(きゅう)車(しゃ)を呼(よ)んで病(びょう)院(いん)で治(ち)療(りょう)を受(う)けた。だが、まだ意(い)識(しき)は戻(もど)らず、いつ亡(な)くなってもおかしくない状(じょう)態(たい)だという。

ベッドの横(よこ)から眠(ねむ)ったままの小畑(おばた)さんに話(はな)しかけた。

「小畑(おばた)さん、聞(き)こえますか。会(あ)いに来(き)ましたよ。床(とこ)屋(や)の楡(ゆ)井(い)です」

 小(お)畑(ばた)さんの左(ひだり)手(て)に自(じ)分(ぶん)の手(て)を重(かさ)ねた。

「小畑(おばた)さん、ひとりでさびしかったんですね。だから、わざわざ店(みせ)まで会(あ)いに来(き)てくれたんでしょう? 私(わたし)、さっき小畑(おばた)さんが言(い)ってたこと、まだちゃんとわかっていないかもしれないけど、こう思(おも)うんです。私(わたし)の仕(し)事(ごと)はお客(きゃく)さんの髪(かみ)を切(き)ることで、今(いま)までたくさんのお客(きゃく)さんの髪(かみ)を切(き)ってきました。でも、どんなに上手(じょうず)に切(き)っても、髪(かみ)は伸(の)びるからまた切(き)らなきゃいけなくて、結(けっ)局(きょく)いつまでたっても完(かん)成(せい)しない仕(し)事(ごと)なんです。けど、ちゃんと切(き)れば、お客(きゃく)さんは喜(よろこ)んでくれます。その喜(よろこ)びは一(いっ)瞬(しゅん)かもしれないけど、きっとだれかにつながっていくと思(おも)うんです。そのお客(きゃく)さんがまた店(みせ)に来(き)てくれれば、私(わたし)もうれしくなります。それに、髪(かみ)を切(き)って、だれかに褒(ほ)められたりしたら、その人(ひと)に何(なに)かしてあげたくなるじゃないですか。そうやって喜(よろこ)びはずっと続(つづ)いていくと思(おも)うんです」

 気(き)が付(つ)くと、涙(なみだ)がこぼれそうになっていた。

「それと同(おな)じで、小畑(おばた)さんが育(そだ)てたお米(こめ)や野(や)菜(さい)をおいしいって食(た)べてくれた人(ひと)は、きっとまた別(べつ)のだれかを違(ちが)う形(かたち)で喜(よろこ)ばせているはずです。それに、今(いま)でも小畑(おばた)さんの育(そだ)てた花(はな)を見(み)るのを楽(たの)しみにしている人(ひと)がたくさんいますよ。だから……だから、絶対(ぜったい)に小畑(おばた)さんの人生(じんせい)に意味(いみ)がないなんてことありません! ……私(わたし)、小畑(おばた)さんに会(あ)えてよかったです」

 そのとき、小畑(おばた)さんの手(て)がぴくっと動(うご)いた。

「小畑(おばた)さん」

 かすかに目(め)が開(あ)いた。何(なに)か言(い)おうとしている。ゆっくりと口(くち)が動(うご)く。声(こえ)はほとんど聞(き)こえない。けど、口(くち)の動(うご)きでわかった。

―ありがとう―

うんうんと大(おお)きくうなずいてみせる。小畑(おばた)さんの頬(ほほ)がほんの少(すこ)し上(あ)がった。ほほえんでいるのだ。だんだんまぶたが下(さ)がってきた。呼(こ)吸(きゅう)が少(すこ)しずつ弱(よわ)くなっていく。息(いき)を引(ひ)きとる瞬(しゅん)間(かん)、小畑(おばた)さんの体(からだ)から何(なに)かが抜(ぬ)けていくのがわかった。

 

 4月(がつ)8日(か)、今日(きょう)は近所(きんじょ)の小学校(しょうがっこう)の入学式(にゅうがくしき)だ。通勤(つうきん)途中(とちゅう)に足(あし)を止(と)め、復(ふっ)興(こう)団(だん)地(ち)の花(か)壇(だん)の前(まえ)でチューリップを眺(なが)めていた。すると、後(うし)ろから自(じ)転(てん)車(しゃ)のブレーキの音(おと)が聞(き)こえた。

「おはようございます! ゆうれいさん!」

 床(とこ)屋(や)の「優(ゆう)」の「麗(れい)子(こ)さん」だから、「ゆうれいさん」だそうだ。私(わたし)のことをこう呼(よ)ぶのは今(いま)は一人(ひとり)しかない。

「大希(ひろき)くん、おはよう。今日(きょう)から学(がっ)校(こう)?」

「はい、と言(い)っても、春(はる)休(やす)みも毎(まい)日(にち)部(ぶ)活(かつ)で学(がっ)校(こう)に行(い)ってますけど」

「今(こん)度(ど)、二(に)年(ねん)生(せい)だよね?」

「イエス!」

あの大希(ひろき)くんがもう高(こう)校(こう)生(せい)二(に)年(ねん)生(せい)か。出(で)会(あ)った頃(ころ)は、私(わたし)より小(ちい)さかったのに、今(いま)では見(み)上(あ)げるほど背(せ)が高(たか)くなってたくましくなった。大希(ひろき)くんは5年(ねん)前(まえ)に店(みせ)に来(き)た幽(ゆう)霊(れい)の女(じょ)性(せい)の息子(むすこ)だ。この近(きん)所(じょ)に住(す)んでいて、うちの店(みせ)のお客(きゃく)さんでもある。黒(くろ)いマスクなんかしてかっこつけているが、中(なか)身(み)はまだまだ子(こ)どもだ。

そんな大希(ひろき)くんが急(きゅう)にまじめな顔(かお)をして

「聞(き)きました。この花(か)壇(だん)の世(せ)話(わ)をしてたおじいさん、亡(な)くなったって……」

と言(い)った。

「うん。そうなの……。小畑(おばた)さんっていうおじいちゃんで、うちのお客(きゃく)さんだったの」

「すごく残(ざん)念(ねん)です。いつかお礼(れい)を言(い)いたいって思(おも)ってたから」

「お礼(れい)?」

「うん。ぼく、この町(まち)に引(ひ)っ越(こ)してきたとき、まだお母(かあ)さんのことで落(お)ち込(こ)んでいて、新(あたら)しい小(しょう)学(がっ)校(こう)にもなじめなくて、なにかも嫌(いや)になっていたんです。でも、朝(あさ)小(しょう)学(がっ)校(こう)に行(い)くとき、このチューリップを見(み)て、発(はっ)見(けん)したんです。ほら、この花(か)壇(だん)のチューリップ、手(て)前(まえ)から赤(あか)、白(しろ)、黄(き)色(いろ)の順(じゅん)に並(なら)んでるでしょ?」

「えっ?」

大希(ひろき)くんはちょっと恥(は)ずかしそうに歌(うた)い出(だ)した。

 

  さいた さいた チューリップのはなが

  ならんだ ならんだ あか しろ きいろ 

  どのはな みても きれいだな

 

小(しょう)学(がっ)校(こう)の音(おん)楽(がく)の授(じゅ)業(ぎょう)で習(なら)うあの「チューリップ」の歌(うた)だ。

「この花(か)壇(だん)にチューリップを植(う)えた人(ひと)は、この道(みち)を通(とお)る子(こ)どものことを考(かんが)えて、ちゃんと歌(うた)に合(あ)わせて、赤(あか)、白(しろ)、黄(き)色(いろ)の順(じゅん)にしてくれたんだって気(き)づいたんです。そうしたら、このチューリップが自(じ)分(ぶん)のために咲(さ)いてくれているような気(き)がして、なんだかぼくもがんばろうって思(おも)ったんです。そのあと、何(なん)回(かい)かあのおじいさんが花(か)壇(だん)の世(せ)話(わ)をしているのを見(み)かけたんですけど、なかなか声(こえ)をかける勇(ゆう)気(き)がなくて……」

大希(ひろき)くんは自(じ)転(てん)車(しゃ)を止(と)め、野(や)球(きゅう)バッグとバットを地(じ)面(めん)に置(お)いた。そして私(わたし)のとなりにしゃがむと、チューリップに向(む)かって手(て)を合(あ)わせた。

チューリップが風(かぜ)に揺(ゆ)れる。私(わたし)は泣(な)いた。

小畑(おばた)さんは言(い)っていた。チューリップがちゃんと育(そだ)ってきれいに花(はな)を咲(さ)かすには冬(ふゆ)の寒(さむ)さと水(みず)が必(ひつ)要(よう)なんだと。それは人(にん)間(げん)も同(おな)じだと……。

 

私(わたし)が泣(な)きやむまで、大希(ひろき)くんはそばにいてくれた。「ありがとう」と伝(つた)えると、大希(ひろき)くんは黙(だま)ってうなずき、優(やさ)しく目(め)でほほえんだ。

——こいつ、中(なか)身(み)もちゃんと成(せい)長(ちょう)してる。

大(おお)きく息(いき)を吸(す)い込(こ)んだ。この足(あし)で管(かん)理(り)人(にん)さんのところへ行(い)こう。花(か)壇(だん)の世(せ)話(わ)は団(だん)地(ち)のみんなで手(て)分(わ)けしてすることになったそうだが、私(わたし)も手(て)伝(つだ)わせてもらおう。

どこからか白(しろ)いちょうちょが飛(と)んできた。ちょうちょはしばらくチューリップの上(うえ)をひらひら舞(ま)って、私(わたし)と大希(ひろき)くんの間(あいだ)を通(とお)って、またどこかへ飛(と)んでいった。

 

(完)

 

<引用> 唱歌『チューリップ』作詞:近藤宮子

 

トウキョウタワー★★★

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