2021年1月11日月曜日

Good Luck! 2  ―Half Moon― ★★★★★

 乾杯かんぱい!」

 その日のライブの()ち上げ(じょう)たちの(まわ)りに人が(あつ)まってきたみんなが聞きたいのは、今夜のライブのことではない。先月(おこな)われた、(にん)()ロックバンド「ノースバウンド」のライブのことだ。(じょう)たちのバンド「バレット」は、そのライブで(ぜん)()としてステージに立ったのだ。

「おれたちの()(ばん)が終わったあと、ステージ(そで)であのノースバウンドの川北(かわきた)さんが『おまえのギター、良かったぜ!』って言ってくれたんだ! もう()び上がるほどうれしかった!」

「それ、もう何回も聞いたよ」

 (じょう)()(げん)で話す(はる)()の後ろで、(じょう)はちびちびビールを飲んでいた。

 こういう()で人と話すのは(にが)()だ。それに、さっきまで(ぜん)(りょく)で歌ってクタクタなのに、明日は朝時からコンビニのバイトがある。ビールは好きだが、少し(おさ)えて飲まないと、起きられそうにない。

(じょう)さん、飲んでますか? 新しい飲み物、持って来ましょうか?」

 話しかけてきたのはドラムの(あおい)だ。(あおい)は一カ月前にバンドに入ったばかりなのに、もうすっかりなじんでいる。そして、()(がい)と気がきく(やつ)で、積極的(せっきょくてき)にバンド活動(かつどう)雑用(ざつよう)もこなしてくれる。

「じゃ、ウーロン茶を(たの)。ん、彼女は?」

(あおい)のとなりに見かけない女性(じょせい)がいた。

「あ、ぼくの従姉(いとこ)です。今日のライブ、見に来てくれたんで、()ち上げにも(さそ)ったんです」

 言われてみると、なんとなく(あおい)(かお)()ちが()ている。二十歳(はたち)ぐらいだろうか。

 彼女は、にこっと(わら)うと

「はじめまして。吉岡(よしおか)和奏(かなで)です」と言って丁寧(ていねい)頭を下げた。

「どうも、はじめまして。(じょう)です」

「今日のライブ、感動(かんどう)しました。うまく言えませんが、まだ(むね)に何か(のこ)っている(かん)じがします」

「ありがとう。そう言ってもらえると、うれしいです」

「それから、歌詞(かし)独特(どくとく)ですてきでした。(じょう)さんって英語が上手なんですね」

「ああ、それは……」

 (じょう)説明(せつめい)しようとすると、後ろにいた晴樹(はるき)が話に()()んできた。

(じょう)さんは中学までオーストラリアに住んでたんだ。だから、英語はペラペラ。歌詞(かし)を書くときも、まず全部英語で書いて、それを日本語に翻訳(ほんやく)してるんだ。でも、(じょう)さん漢字が苦手だから、よく間違えて(しん)()さんに直されてんだ」

「うるせー! おまえだって漢字が苦手だろ! こないだも『生粋(きっすい)』を『なまいき』って読んでたじゃねーか!」

「ああ~! (じょう)さん。ばらさないで~!」

「あはは」

 (はる)()()ずかしそうに()げていき、(あおい)が飲み物を取りに行くと、(じょう)和奏(かなで)は二人きりになった。

(しん)()さんって、ベースの方ですよね?」

「そう。バンドの中じゃ一番年上でしっかりしてるんだけど、口うるさくて」

「へえー、そうなんですか。ライブを()きに来たのは初めてですが、(じつ)(あおい)から(じょう)さんやバンドのことはよく聞いてたんです。(あおい)(すく)ってくれたこととか、大切にしているアコースティックギターのこととか」

「あ、そう」

 (じょう)はそのときのことを思い出して少し()ずかしくなった。

「そう言えば、ライブではそのギターは使わないんですか?」

「ああ。(きょく)を作ったりするときには使うけどね」

「ふうん、ちょっと見てみたかったなあ」

 そのあとは、和奏(かなで)の話になった。和奏(かなで)は、大学生二年生で、最近(さいきん)までイギリスに留学(りゅうがく)していたそうだ。大学では(えい)文学(ぶんがく)専攻(せんこう)していて、外国の小説などは洋書(ようしょ)で読むという。それから、海と映画とパンケーキが大好きで、虫と料理とトマトが苦手らしい。

和奏(かなで)はおしゃべりだったけど、うるさくは感じなかったして時折(ときおり)見せる()(がお)まぶしかった。

 十時を()ぎてもまだ()ち上げは続いていた。和奏(かなで)(うで)時計(どけい)をちらっと見た。

「じゃあ、そろそろ電車の時間なので帰ります。今日は楽しかったです。ありがとうございました」

「こっちこそ。またライブ、()きに来て」

「はい、ぜひ。じゃあ、また」

「じゃ」

 (じょう)も明日のために早めに上がろうと、メンバーみんなに声をかけて回った。晴樹(はるき)(あおい)も楽しそうに飲んでいたが、慎吾(しんご)はあまり飲んでいないのか、まじめな顔で黒沢(くろさわ)さんと話し()んでいた。

 店を出ると、夜の(れい)()(はだ)()した。春になったとはいえ、朝晩はまだ()える。ジャケットの(えり)を立て歩き出そうとしたとき、()(どう)人がポツンと立っているのに気がついた

 和奏(かなで)夜空(よぞら)(なが)めていた。

 まだ帰っていなかったのか。(じょう)和奏(かなで)のとなりに行くと、同じように空を見上げた。

思わずつぶやいた。

It’s a half moon tonight.

 きれいな半月(はんげつ)が空に()かんでいた

 和奏(かなで)は月を見上げたまま話し始めた。

「イギリスにいたとき、夜なかなか(ねむ)れなくて、ホームステイ(さき)の家の(にわ)でよく月を(なが)めていたんです。それから、なんとなく月が好きになって、今でもこうやってときどき(なが)めるんです。でも、今日はそのせいで電車一本乗り(そこ)ちゃいました」

「そうなんだ」

「わたし、三日月(みかづき)満月(まんげつ)より半月(はんげつ)が好きなんです」

「なんで?」

三日月(みかづき)はちょっとさびしそうだし、満月(まんげつ)()(しん)(まん)(まん)でいばってる(かん)じがしませんか。でも、半月(はんげつ)はひかえめだけど、まっすぐで、しっかりしてる。それに、見えない(のこ)りの半分()(もと)めている(かん)じが好きなんです」

 和奏(かなで)が言っていることはわかる気がした。

「あっ」

「どうしたんですか?」

「日本語で『はんげつ』って言うんだね。おれ、ずっと『はんつき』だと思ってた」

「やだー、(じょう)さん。ほんとに漢字が苦手なんですね。あはは」

 その間違いが自分でもおかしくて、いっしょに声を上げて笑った。

しばらくすると、和奏(かなで)はささやくように歌い始めた。きれいな歌声(うたごえ)だった。何年か前に流行(はや)った洋楽(ようがく)のバラードだ。英語の発音(はつおん)かなかだ。(じょう)も合わせて歌い出すと、和奏(かなで)笑顔(えがお)()けた。

二人の歌声(うたごえ)(かさ)なり合夜空(よぞら)()けていった。

「駅まで送るよ」

「ありがとうございます。じゃあ、歌いながら行きましょう」

「やだよ。()ずかしい」

「ロックミュージシャンが()ずかしいなんて言っちゃだめですよ」

 

 三日後。(じょう)たちはスタジオで(つぎ)単独(たんどく)ライブに()けて練習をしていた。(きゅう)(けい)(ちゅう)慎吾(しんご)が新しい(きょく)を作ろうと言い出した。

「今度の単独(たんどく)ライブは十(きょく)だ。どれもいい(きょく)だと思う。ただ、どれも速くて強い(きょく)だから、ずっと同じような(きょく)が続くと()きる。(へん)()があったほうがいいと思うんだ。今までと違う(かん)じの(きょく)を作ろう

 晴樹(はるき)慎吾(しんご)に聞いた。

「たとえば?」

「バラードとか」

 それを聞いて、(じょう)は頭をかいた。

――バラードか……(きら)いじゃないが、(しょう)(じき)作りたいと思わない。新しい(かん)じの(きょく)必要(ひつよう)なのはわかるが、今までの自分たちの音楽から(はず)れてしまわないか。ファンが(はな)れていったらどうする? それに、そもそもバラ―ドなんて作ったことがない()(しん)がない。

 しかし、そのことを口にする前に、(あおい)が、

「いいじゃないですか。バラード、やりましょう。ぼくは賛成(さんせい)です」と言った。

「よし。晴樹(はるき)はどう思う?」

「んん~。おれはあまりゆったりした(きょく)は好きじゃないけど、やってみてもいいよ」

 ()(ぜん)とみんなの()(せん)(じょう)(あつ)まった。バレットの(きょく)はすべて(じょう)(きょく)を書いていた。(じょう)はペットボトルの水を一口飲んで言った。

「わかったよ! やってみる。けど、時間をくれ」

「次の練習までだ」と慎吾(しんご)が言い(はな)った。

「おい、次の練習って来週の火曜だろ!? 一週間もないぞ!」

「じゃないと、次のライブに間に合わない」

 たしかに次のライブまであと一カ月もない。慎吾(しんご)(あせ)る気持ちはわかる。しかし、結局(けっきょく)(じょう)(きょく)を作らないことには何も始まらない。

 晴樹(はるき)がニヤニヤしながら言った。

(じょう)さん、ラブソングでも書いてみたら?」

「うるせー! 勝手(かって)なこと言うな!」

 

 (じょう)(こま)ったときに()かう場所は()まっている。黒沢(くろさわ)楽器店(がっきてん)だ。

「おう。(じょう)、どうした? 暗い顔して」

 店長の黒沢(くろさわ)はギターのメンテナンス中だった。

黒沢(くろさわ)さん。ちょっと相談(そうだん)したいことがあって」

「またギターを(あず)けるから金を()してくれとか言うんじゃないだろうな」

「違いますよ! もう二度とあのギターは()(ばな)したりしません!」

 ()(ぜん)黒沢(くろさわ)宝物(たからもの)のアコースティックギターを(あず)ける()わりに三十万円を()してもらったことがあった。

「じゃあ、何だ?」

新曲(しんきょく)のことです」

「ああ、そのことか。この間のライブの()ち上げでおれが慎吾(しんご)にアドバイスをしたんだ。速い(きょく)ばかりじゃなくスローな(きょく)を入れたらどうかって」

「えっ、あのとき! どうしておれに言ってくれなかったんですか!?」

「だって、あのとき、おまえはかわいい女の子と楽しそうに話してたじゃないか。邪魔(じゃま)しちゃいけないと思ってな」

「……」

「ちゃんと連絡先(れんらくさき)交換(こうかん)したか?」

「してませんよ! おれ、今はバンドに集中(しゅうちゅう)したいんです」

「ふうん。ロックミュージシャンが恋愛(れんあい)の一つもできないようじゃ、いい(きょく)、書けないぞ」

 黒沢(くろさわ)さんの言葉がちくっと(むね)()さった。

黒沢(くろさわ)さん、(むかし)バンドを()んでたとき、(きょく)を作ってたんですよね? どうやったらバラードが書けますか?」

「そうだなあ。おまえは『前に出たい』っていう気持ちが強いから、()(ぜん)と速いテンポの(きょく)ばかり書くんだ。バラードは恋愛(れんあい)(きょく)が多いだろ。それは『この時間が少しでも長く続いてほしい』っていう気持ちがあるからだ。それで、()(ぜん)スロー(きょく)()()がるんだ(べつ)恋愛(れんあい)じゃなくてもいいが、そういう経験(けいけん)が少しでもあれば、あとは想像力(そうぞうりょく)(おぎな)って書けるはずだ」

 帰り道、(じょう)はあの夜のことを思い出していた。和奏(かなで)と月を(なが)めて歌ったことを。

 

 アコースティックギターを(かか)え、ほぼ(てつ)()(きょく)を書き上げた。タイトルは『Half Moon』。遠く(はな)れた場所にいる二人が同じ月を(なが)め、また会える日を(ゆめ)見ているという(きょく)だ。もちろん半分以上想像(そうぞう)だが、あの夜のこともとにして作った最初(さいしょ)は不安な気持ちで書き始めたが、がったときにはいい(きょく)が書けたと思った。歌詞(かし)もすっと書けた。

 スタジオ練習の日、みんなに録音(ろくおん)した(きょく)()かせた。()いているときのみんなの満足(まんぞく)げな表情(ひょうじょう)を見て確信(かくしん)した。この(きょく)傑作(けっさく)だ。

「やったなあ。(じょう)」と慎吾(しんご)が言った。

(じょう)さんならきっとできると思ってましたけど、やっぱすごいですね」と(あおい)が言った。

「早く練習しようよ!」と晴樹(はるき)が言った。

「おいおい、落ち着けよ。まだ二つ問題がある。一つは、いつものことだけど、英語の歌詞(かし)を日本語に直さなきゃいけない。慎吾(しんご)、ちょっと手伝ってくれ」

「ああ、わかった」

「それから、(きょく)を作るとき、ギターを()きすぎて()(くび)(いた)めてしまったんだ。晴樹(はるき)(わる)いけど、(なお)るまで()わりにこのギターで()いてくれないか」

「えっ! アコースティックギター? じゃあ、エレキギターは()けないの?」

「おれだって、本当はこのギターはだれにも(さわ)らせたくないだから、(なお)るまでの間だけ

「う~ん。わかった……やるよ……」

 晴樹(はるき)がぶつぶつ言っていると、(あおい)が「はい!」と手を()げた。

「いいこと思いつきました! うちの従姉(いとこ)アコースティックギター()けるんです。(じょう)さんのケガが(なお)るまでの間、スタジオ練習に呼んで手伝ってもらうっていうのはどうですか?」

「その従姉(いとこ)って、もしかして……」と(じょう)が言いかけると、

「そうです。和奏(かなで)ねえちゃんです」と(あおい)が答えた。

「あ! あの()ち上げのとき、(じょう)さんと話してた子? 賛成(さんせい)! 彼女が()いてくれるなら、おれもエレキ()けるし、(たす)かるよ。ねえ、慎吾(しんご)さんも賛成(さんせい)でしょ?」

「ただ()けるだけじゃだめだぞ。ちゃんとみんなと合わせて()けるのか

「はい。和奏(かなで)ねえちゃんが本格的(ほんかくてき)にやってたのはクラシックピアノなんですが、うちの親父(おやじ)にジャズ(なら)ってたこともあってみんなと合わせて()いたりするのもできると思いますそれに、たしか(むかし)バンドでキーボード()いてたって

天才(てんさい)ドラマーの(あおい)が言うんだから、大丈夫だろう。よし。じゃあ、とりあえずそれでいこう。次の練習に()れてきてくれ」

「おい、慎吾(しんご)、ちょっと待てよ。バンドのリーダーはおれだぞ! 勝手(かって)()めるな!」

(じょう)。そもそもおまえが手をけがしたのが原因(げんいん)でこうなったんだ。おまえに反対(はんたい)する権利(けんり)はない」

 慎吾(しんご)にそう言われると、何も言い(かえ)せなかった。けど、手をけがしたのは、そもそもおまえが急いで(しん)(きょく)を作れと言ったからだろと心の中で(どく)づいた。

「よかったですね。(じょう)さん」

(あおい)が意味ありげにほほえんだ

 

 いつものスタジオなのに、今日はドアを開けるとき、少しドキドキした。

 入ると、すぐに「おはようございます!」という元気な声が聞こえた。和奏(かなで)だ。白と(こん)のボーダーのTシャツに細身(ほそみ)のジーンズ。このあいだは()ろしていた(かみ)を一つに()ってい

「おう。今日はよろしく」

「はい、足を()()らないようにがんばります!」

 ほかのメンバーもそろっていた。みんないつもより早めに来たようだ。

 事前(じぜん)(あおい)(つう)じて、デモCDを(わた)していたが、和奏(かなで)がはたしてどのぐらい()けるかみんな不安に(かん)じていた。

 しかし、そんな心配は()(よう)だった。和奏(かなで)は最初から『Half Moon』を完璧(かんぺき)()きこなした。()き終えると、みんなから拍手(はくしゅ)送られた。その後、みんなと合わせて演奏(えんそう)したが、はじめてとは思えないほど(いき)が合った。

 練習を終え、みんなで近くの(てい)(しょく)()へ夕飯を食べに行った。和奏(かなで)は、よくしゃべり、よく(わら)い、みんなと同じかつ(どん)を食べた。(じょう)和奏(かなで)(はな)れた(せき)(すわ)った。

 店を出たとき、和奏(かなで)が話しかけてきた。みんなはまだ店の中にいて、二人きりだった。

「ごちそうさまでした。かつ(どん)、おいしかったです」

 和奏(かなで)の分は、手伝ってくれたお(れい)(じょう)がおごった。(せいかく)には慎吾(しんご)におごらされた……。

「今日は(くも)っていて月が見えませんね」

「……」

「『Half Moon』の歌詞(かし)って、あの夜のことです?」

「……悪かったな。勝手(かって)使わせてもらって。でも、あれは……」

「すごい想像力(そうぞうりょく)ですよね。あんなすてきな歌詞(かし)が書けるなんて」   

 和奏(かなで)は、『Half Moon』の歌詞(かし)を読んだからといって、特に自分のことを()(しき)したりはしていないようだ。そのことを少し残念(ざんねん)に思う気持ちがないわけではなかったが、とにかくほっとした。

(じょう)さん、一つお(ねが)いしたいことがあるんですが、いいですか?」

「何?」

「『Half Moon』って、アコースティックギターもいいと思うんですが、ピアノのほうが合うような気がするんです。次の練習で一度キーボードで()かせてもらえませんか

「ああ、いいよ」

「ありがとうございます!」

「あのさ。(じつ)おれからも(たの)みたいことがあるんだ」

「何ですか?」

「『Half Moon』の英語の歌詞(かし)慎吾(しんご)と日本語に翻訳(ほんやく)したんだけど、うまくメロディに乗らなくて、今()(なお)ししてるんだ。ほら、大学で英文学(えいぶんがく)専攻(せんこう)してるって言ってたちょっと手伝ってもらえない?」

「う~ん。翻訳(ほんやく)はしたことがありますが、歌詞(かし)翻訳(ほんやく)は……」

「だめかな?」

「いいですよ。やってみます」

 

 待ち合わせ場所は、「行きたい店がある」と言うので和奏(かなで)()めた。カフェ・シューベルトは(まち)中央(ちゅうおう)(どお)りにあった。

 (じょう)()かいの(せき)で、和奏(かなで)は『Half Moon』の英語の歌詞(かし)と日本語の歌詞(かし)()(くら)、じっと(かんが)えこんでいる。(まど)の外の(さくら)の木に目をやると、つぼみが(ふく)らみ始めていた。

 和奏(かなで)はミルクティーをすすったあと、(じょう)の目をまっすぐ見て言った。

(じょう)さん。慎吾(しんご)さんが翻訳(ほんやく)した日本語の歌詞(かし)悪くないと思います。でも、はっきり言って、ちょっと古臭(ふるくさ)す」

 それは(じょう)も思っていたことだ。だが、次の言葉は()(そう)もしないものだった

「これ、(じょ)(せい)()(せん)歌詞(かし)に直してみてもいいですか?」

――(じょ)(せい)()(せん)歌詞(かし)!? たしかに、「I」という言葉を「ぼく」から「わたし」に()えるだけで(かず)()印象(いんしょう)()わる。(かんが)えつかなった。けど自分(かんが)えつかないことなら、ファンもきっと(おどろ)くと思うし、新鮮(しんせん)(かん)じてもらえるかもしれない。

「わかった。やってみて」

「はい。でも、その前に……」

「何?」

「パフェ、(たの)んでもいいですか?」

 (じょう)(あき)れて「ああ」と言うと、和奏(かなで)すぐに店員を()んでチョコレートパフェ(ちゅう)(もん)した。それから、(おどろ)くほどのスピードで日本語の歌詞(かし)をノートの新しいページに書き()んでいった。

 

 三日後のバンド練習。

「この歌詞(かし)和奏(かなで)ちゃんが書いたの?」

晴樹(はるき)がノートに書かれた歌詞(かし)を見て言った。

「ああ。(しん)じられないことに、チョコレートパフェを注文(ちゅうもん)して店員がそれを(はこ)んでくるまでの間に書き終えたんだ」

 さっき和奏(かなで)のキーボードに合わせて、(じょう)が歌ってみせたが、和奏(かなで)の書いた歌詞(かし)はメロディにぴったり合ってい。そして、(じょ)(せい)()(せん)歌詞(かし)に直したことで、(こま)やかな(かん)(じょう)(えが)かれた、すてきなバラードに生まれ()てい

 演奏(えんそう)()いて、みんな満足(まんぞく)したようだ。だが、満足(まんぞく)したのは歌詞(かし)だけじゃなかった。和奏(かなで)のキーボードの(えん)(そう)コーラスだ。どちらも()(ごと)(きょく)にはまっていた。

 晴樹(はるき)慎吾(しんご)「すげー! いいじゃん!」とすっかり興奮(こうふん)していた。だが、(あおい)は静かだった。そして、練習を(さいかい)する前に、ぼそっと言った。

「じゃあ、あとは(じょう)さんの手が(なお)るのを待つだけですね」

「……」

 沈黙(ちんもく)がスタジオを(つつ)んだ。

――みんなが思っていることは手に取るようにわかる。和奏(かなで)をバレットに入れた(うで)(たし)かだし、キーボードやコーラスが(くわ)われば、音楽の(はば)広がる。今よファン()かもしれない。だが、バレット男くさいバンドだ。ファン(わり)男性(だんせい)で、女性(じょせい)にウケる(きょく)少ないだ、それがいいってファンバレットのファンは(あおい)和奏(かなで)受け入ろうか。

 (じょう)和奏(かなで)に、

(わる)いな。まだ少し痛むから、その間はよろしく」

と言った。和奏(かなで)は「はい」とだけ(こた)えた。その声にいつものような明るさはなかった。

 

 翌週(よくしゅう)のスタジオ練習に、和奏(かなで)は来なかった。『Half Moon』は、晴樹(はるき)(じょう)のアコースティックギターで()いた。だが、間違えてばかりで練習にならず、()(かた)なく(べつ)(きょく)の練習に()()えた。練習中、みんなの表情(ひょうじょう)(くも)ったままだった。

 練習後、慎吾(しんご)晴樹(はるき)がスタジオを出ていったあと、心配(しんぱい)そうな(かお)(あおい)が聞いてきた。

(じょう)さん、まだ(なお)んないんですか? ライブまで間に合いますか?」

「ああ、だいぶ(いた)みは()いてきたから、大丈夫だ。心配(しんぱい)するな」

「そうですか。それならいいんですが……」

「何かあったのか?」

「いや、実は、和奏(かなで)ねえちゃんがもう練習にはないって」

「そうか……」

()()めないんですか?」

本人(ほんにん)がやめたいって言ってるなら()()()()めたりしないさ」

「いいんですか? 和奏(かなで)ねえちゃんはバンドに(さそ)ってもらえるのを待ってるんですよ!」

「……」

和奏(かなで)ねえちゃんは、ピアニストになるのが(ゆめ)だったんです。小さいころから必死(ひっし)でがんばっていました。将来(しょうらい)、有名なピアニストになったら、海外コンクールで優勝(ゆうしょう)したとき、英語でスピーチしなきゃいけないからって、英語も一生懸命(いっしょうけんめい)勉強してて。でも、いくらがんばっても、大きなコンクールで入賞(にゅうしょう)できなくて……。中学までは必死(ひっし)で続けたけど、あきらめたんです。それで、(ふか)(きず)ついて、ずっと(なや)んでいて、高校や大学では友だちとバンドを組んだり、ジャズをやってみたりしてたんですが、やっぱり満足(まんぞく)できなかったみたいで……。そのとき、両親が『少し音楽を(はな)れてみたら』ってイギリス留学(りゅうがく)をすすめてくれたんです留学(りゅうがく)している間もいろいろ(なや)んでたみたいです。けど、むこうで()らすうちに、ようやく気持ちの(せい)()がついて、また大好きな音楽の世界に(もど)って来たんです。だから、和奏(かなで)えちゃんは(けっ)して(てん)(さい)なんかじゃありません。(まよ)って(なや)んで()(りょく)してやっとここまで来たんです。ただ、それを(まわ)りに見せないようにしているだけで。はじめておれたちの前で()いたときも毎晩(おそ)くまで練習してたって後でおばさんから聞きました。歌詞(かし)翻訳(ほんやく)もきっと何回も何回も()(かえ)(きょく)()いて(かんが)えていたんだと思います。じゃなきゃ、そんな(たん)()(かん)書けませんよ

「あ……」

和奏(かなで)ねえちゃんは、きっとおれたちと同じようにこのバンドにかけたいって思ってるんです。でも、また自分の(ゆめ)(こわ)れてしまうんじゃないかって不安なんです……。(じょう)さんはどう思ってるんですか? はっきりしないのは、和奏(かなで)ねえちゃんにとっても、バレットにとっても良くないですよ」

「おれは……」

 言葉が(つづ)かなかった。しばらくすると、(あおい)ため(いき)をついて、何も言わずに帰っていった。

 スタジオを出たあと、(じょう)の足はなぜか公園へ()かった。

 (さくら)満開(まんかい)だった。夕方なのに(こう)園内(えんない)花見客(はなみきゃく)であふれ()(たい)も出ていてにぎやかだった。

 (じょう)()(たい)でビールを買い、芝生(しばふ)の上に(こし)を下ろした。()(くび)を痛めて()(らい)しばらくアルコールは飲んでいなかった。ビールを一口飲んだ。空には三日月(みかづき)()かんでいた。

 

 ライブまであと一週間。(じょう)()(くび)ケガ回復(かいふく)、ギター()けるまでになった。『Half Moon』の演奏(えんそう)もなんとかこなせた。だが、みんな練習に集中(しゅうちゅう)できないでいた。

 練習前にみんなに(つた)えてあった。

「きのう、和奏(かなで)にメールした。今日の練習に来てくれって。今日、和奏(かなで)が来たら、みんながいる前で本人の意思(いし)確認(かくにん)して、正式(せいしき)にバレットのメンバーとして(むか)えるか()めたいと思う」

 みんな(だま)ってうなずいた。だが、結局(けっきょく)、練習が終わるまで和奏(かなで)は来なかった。

 スタジオを出るとき、(あおい)(じょう)に言った。

(じょう)さん、すみませんでした。おれ、()(けい)なことしちゃいました

「気にするな。おまえは悪くない。それに、どんな経験(けいけん)も音楽になる」

(じょう)さん……。あ、ギター持ちますよ。(なお)りかけなんだから、まだ無理(むり)しないほうがいいですよ」

「これぐらい大丈夫だ」

 階段(かいだん)を上がろうとしたとき、上の(かい)からコツコツと靴音(くつおと)が聞こえた。帽子(ぼうし)をかぶった和奏(かなで)階段(かいだん)途中(とちゅう)で足を止めた。

 外は(くも)(ぞら)で今にも雨が降り出しそうな天気だった。

 (じょう)和奏(かなで)に言った。

「どこかコーヒーでも飲みに行こうか」

「ううん、ここでいいです。(あやま)りに来ただけですから」

 練習に(おく)れたというわけではないのは、服装(ふくそう)を見てもわかった。(かみ)も下ろしたままだ。

「ごめんなさい。わたしが(ちゅう)()(はん)()バンドにかかわったばかりに、かえってみんなに迷惑(めいわく)かけてしまって」

「そんなことないさ」

「もう大丈夫ですよね。手も(なお)ったみたいだし……」

「……」

「さよなら」

 和奏(かなで)帽子(ぼうし)目深(まぶか)にかぶりなおし、()()けて(ある)き出しただが、そのとき和奏(かなで)()こうから来た自転車を()けようとして、(だん)()つまいた。そして、バランス(くず)そのまま車道(しゃどう)(たお)しまった。そこへトラックが(もう)スピードで(はし)ってきた

(じょう)()け出

 パッパー! トラックのクラクションが()った。

はっとした和奏(かなで)が起き上がろうとする。

「あぶない!」

 キキーッ!! ブレーキの音が(ひび)く。

()びついた(じょう)両腕(りょううで)和奏(かなで)(かた)をつかだ。

 バン! トラックが何かにぶつかる音がした。トラックが止まり、(まど)から中年(ちゅうねん)運転手(うんてんしゅ)(かお)を出した。

「バカヤロー! 気をつけろ!」

そう(さけ)ぶと、そのまま(はし)()っていった。

(じょう)和奏(かなで)(かか)()むようにして(どう)()(たお)れていた。慎吾(しんご)たちが()()ってきた。

(じょう)! 和奏(かなで)ちゃん! 大丈夫か!?」

「ああ」

「よかったあ。……けど、(じょう)さん、ギターが……」

晴樹(はるき)が後ろの方を(ゆび)さした。

 (どう)()(はし)にギターとふたの開いたギターケースが(ころ)がっていた。和奏(かなで)(たす)けようとしたとき、とっさにギターケースを(ほう)()てしまった。さっきの音はトラックがギターケースぶつか音だった。ケースのロックが(はず)れ、中からギターが()び出していた

 (じょう)は立ち上がり、ギターのそば行った。ネックが()(げん)数本切れていた。ボディー()(あたら)しい(きず)何本ついていた。(じょう)(ふか)く目を閉じた。

痛々(いたいた)しい姿(すがた)ギターをそっとケースに(おさ)め、みんなのところへ(もど)ると、和奏(かなで)は目をうるませていた。

「ごめんなさい。わたしのせいで大切なギターが……」

「気にするな。(しゅう)()すればいいだけだ。それより、ケガしてないか?」

「はい、(へい)()です。でも……

「よかった。(ゆび)でもケガしたら、来週のライブに間に合わなくなるからな」

 和奏(かなで)の目から(なみだ)がこぼれた

「ほんとに……ほんとにわたしでいいんですか?」

「ああ、バレットにはおまえが必要(ひつよう)なんだ

(じょう)そう言うと、ほかのメンバーも続いた。

歓迎(かんげい)するよ」

「行けるとこまでいっしょに行こうぜ!」

「よろしくね。和奏(かなで)ねえちゃん」

 和奏(かなで)あふれる(なみだ)を手でぬぐい、大きくうないた。

 こうして、バレットに和奏(かなで)(くわ)わった。

 

 (じょう)(しん)じることにした。バレットのメンバーファンを、そして、自分()(しん)を。いろいろなものを(かか)えて(のぼ)っていく、それだけの強さがこのバンドにはある。いや、まだ十分あるとは言えない。だが、そうありたい。和奏(かなで)(くわ)わり五人になったバレットは、きっと今より強くなれる。

 

 単独(たんどく)ライブ当日(とうじつ)。いよいよ新生(しんせい)バレットの(まく)()ける。

 (かい)()(ちょく)(ぜん)、ステージ(そで)でいつもののように(まる)くなってメンバー(どう)()で声をかけ合う。

「今夜のライブ、(つよ)()で行きましょう!」

(あおい)もずいぶん言うようになったなあ。晴樹(はるき)()けるなよ!」

「もちろん。そういう慎吾(しんご)さんこそ、実は一番びびってるんじゃないですか?」

「うるせー! 一曲目のイントロ、間違えるなよ!」

(まか)せてください! (じょう)さん、歌詞(かし)、ちゃんと(おぼ)えましたか?」

「おう! 日本語も英語もばっちりだ。和奏(かなで)()(あい)入れてけよ!」

「はい!」

「よし、いくぞー!」

「おおー!」

 

 会場は超満員(ちょうまんいん)前列(ぜんれつ)のあたりは(むかし)からのファンがほとんどだが、はじめて()きに来てくれた(きゃく)も多いようだ。やはりノースバウンドのライブに出演(しゅつえん)した影響(えいきょう)が大きい。

 ライブが始まると、一曲目から観客(かんきゃく)(そう)()ちで、会場は熱気(ねっき)興奮(こうふん)(つつ)まれた。

 三曲目が終わり、MCで(じょう)和奏(かなで)(しょう)(かい)した。和奏(かなで)丁寧(ていねい)おじぎをすると、会場からは温かい拍手(はくしゅ)が送られた。

 四曲目。ステージのライトが暗くなり、和奏(かなで)が『Half Moon』を()き始めると、(かん)客席(きゃくせき)がざわついた。

 

 (じょう)(かた)りかけるように歌い出す

 慎吾(しんご)のベースが(しん)(ぞう)()(どう)(かさ)なり

 (あおい)のドラムが(ちから)(づよ)物語(ストーリー)(すす)ていく

 晴樹(はるき)のギターが(かな)しげに()いた

(じょう)のまっすぐな(おも)いをのせた歌声は

 和奏(かなで)(つき)()かりのようなコーラスに()され

 (せつ)なさをつれて(ちょう)(しゅう)(むね)(ふる)わせた

 

 全十(ぜんじゅっ)(きょく)を歌い、(さい)()アンコール(きょく)Good Luck!」をカバーして歌った。

 「Thank you ! 」と(さけ)、手を()りながらステージを()りた(じょう)は、()()まない(はく)(しゅ)の音にこのバンドの()(らい)(かん)じた。

 (がく)()までの(つう)()。前を歩く和奏(かなで)()(なか)(むす)んだ(かみ)()れている。和奏(かなで)があの店に行きたがった()(ゆう)(じょう)は知っている。あの店のパフェはアイスの上に半円形(はんえんけい)のホワイトチョコレートがのっている。そう。それがまるでHalf moonのように見えるのだ。

 またあの店に行こう。(あま)いものは苦手だが、和奏(かなで)なら食べてみるのも悪くないかと(じょう)は思った

(完)

黒コウモリと白コウモリ★★

ある 森 ( もり ) にコウモリの 村 ( むら ) があった。 その 村 ( むら ) の 小 ( ちい ) さな 洞 ( どう ) 窟 ( くつ ) にひとりのコウモリが 住 ( す ) んでいた。 名 ( な ) 前 ( まえ ) はサカサ。 家 ( か ...