Wednesday, July 20, 2022

君と花火★★★★

あれは高校(こうこう)(ねん)(はる)だった。

ゴールデンウィーク()けの5(がつ)6(むいか)。ぼくは()(ぼう)して、(あわ)てて(きょう)(しつ)(うし)ろのドアを()けた。()(まえ)()かれた(こく)(ばん)(まえ)に、(すこ)(なが)めのロングヘアーの(おんな)()()っていた。

転校生(てんこうせい)のようだ。

吉川(よしかわ)春香(はるか)です。よろしくお(ねが)いします」

彼女(かのじょ)はみんなに()かってお辞儀(じぎ)をした。そのあと、一瞬(いっしゅん)彼女(かのじょ)()()った

担任(たんにん)後藤(ごとう)先生(せんせい)

「じゃあ、あそこの(せき)に」と教室(きょうしつ)一番(いちばん)(うし)ろの(せき)()した。

ぼくのとなりだ。ぼくの苗字(みょうじ)は【八城(やしろ)】で(しゅっ)(せき)番号(ばんごう)男子(だんし)最後(さいご)だった。彼女(かのじょ)苗字(みょうじ)は【吉川(よしかわ)】だから、女子(じょし)最後(さいご)だ。

となりの(せき)4(がつ)からずっと()いていて、だれが()るのか()になっていた。ぼくは16(ねん)()きてきた(なか)で、(さい)(こう)にラッキーなことが(いま)()きたと(おも)った。すると、

八城(やしろ)、おまえもぼうっと()ってないで(はや)(せき)につけ!」

先生(せんせい)(しか)られ、みんなに(わら)われた。

それまでは、放課後(ほうかご)にバスケットボールをするために(かよ)っていたようなものだった。教室(きょうしつ)でじっと授業(じゅぎょう)()いているのは、退屈(たいくつ)でつらかった。でも、彼女(かのじょ)()てから毎日(まいにち)学校(がっこう)()くのが(たの)しみになった。あいさつをしたり、英語(えいご)授業(じゅぎょう)会話(かいわ)相手(あいて)をしたり、()とした()しゴムを(ひろ)ってあげたり、そんなささいなやりとりが、ぼくにとっては試合(しあい)でシュートを()めたときのようにうれしかった。

吉川(よしかわ)のほうも(あたら)しい学校(がっこう)()れ、(とも)だちもできて、(たの)しんでいるようだった。(あたま)()く、(てい)()テストでは(がく)(ねん)(じょう)()(はい)った。(にゅう)()したテニス()でも三年生(さんねんせい)より上手(じょうず)だと評判(ひょうばん)だった。ぼくは()(かつ)休憩(きゅうけい)時間(じかん)になるたびに、(たい)(いく)(かん)(そと)()(すず)んでいるふりをしながら、テニスコートで練習(れんしゅう)する吉川(よしかわ)(とお)くから(なが)めていた。

 

ところが、6(がつ)(はい)ると、(よう)()()わった。転校(てんこう)してきたばかりのころは、(やす)時間(じかん)になると、彼女(かのじょ)(まわ)りに次々(つぎつぎ)女子(じょし)()って()て、おしゃべりをしたり、にぎやかなものだった。けど、吉川(よしかわ)(かん)する(いや)なうわさがあちこちで(なが)れ、彼女(かのじょ)(まわ)りから、一人(ひとり)、また一人(ひとり)(とも)だちがいなくなった。

人気(にんき)のある男子(だんし)告白(こくはく)してふられたとか、(だい)(がく)(せい)(よる)(あそ)(ある)いているとか、転校(てんこう)してきたのは(まえ)学校(がっこう)先生(せんせい)()()っているのがバレたからだとか……。どれも(みみ)をふさぎたくなるような(わる)いうわさばかりだった。

吉川(よしかわ)一人(ひとり)ぼっちの(やす)時間(じかん)を、(ほん)()んで()ごした。そのうちテニス()()めてしまった。(まい)(あさ)()まった時間(じかん)(とう)(こう)し、(ほう)()()になると、ぱっと(せき)()って(かえ)るようになった。

でも、彼女(かのじょ)学校(がっこう)(やす)んだりはしなかった。そのおかげで、ぼくの日常(にちじょう)はなんとか(たも)たれた。

 

 バスケ()地区(ちく)大会(たいかい)優勝(ゆうしょう)し、7(がつ)(けん)大会(たいかい)出場(しゅつじょう)することになった。三年生(さんねんせい)にとっては最後(さいご)大会(たいかい)だったが、ぼくは()(ねん)(せい)でただ一人(ひとり)試合(しあい)()ることができた。チームで一番(いちばん)身長(しんちょう)(たか)いこともあってセンターを(まか)された。

()(たか)いだけ」と()われたくなくて、(いま)まで以上(いじょう)練習(れんしゅう)(はげ)んだ。(あさ)(はや)()きして、体育館(たいいくかん)でシュート練習(れんしゅう)をした。そのせいで授業中(じゅぎょうちゅう)()きているのが、ますますつらくなった。

その(ころ)、クラスメイトたちは、来月(らいげつ)花火(はなび)大会(たいかい)をだれと()()くかで()()がっていた。親友(しんゆう)(たか)(はし)

八城(やしろ)もいっしょに()こうぜ!」と(さそ)われたが、

(けん)大会(たいかい)があるから、やめとく」

(ことわ)った。

花火(はなび)大会(たいかい)(けっ)勝戦(しょうせん)前日(ぜんじつ)だった。

 

その()市内(しない)体育館(たいいくかん)(けん)大会(たいかい)準々(じゅんじゅん)決勝(けっしょう)(おこな)われた。(けっ)()()しくも()けてしまった。引退(いんたい)()まった三年生(さんねんせい)はみんな()いていた。

解散(かいさん)したあと、ぼくは体育館(たいいくかん)(まわ)りを一人(ひとり)(はし)った。太陽(たいよう)がじりじりと()りつける(なか)(なん)(しゅう)も、(なん)(しゅう)も……(なに)(かんが)えられなくなるまで(はし)った。

(そら)(くら)くなりかけたころ、もう(いっ)()(はし)れなくなり、(たい)(いく)(かん)(まえ)(すい)(どう)(あたま)から(みず)()びた。そのとき、(うし)ろから

「おつかれさま」と(こえ)をかけられた。

 ()()くと、彼女(かのじょ)()っていた。

吉川(よしかわ)……なんで?」

試合(しあい)()()たの。ひまだったから」

「ふうん。バスケット、()きなんだ」

「そういうわけじゃないけど、八城(やしろ)くんがバスケットしてるところを一度(いちど)()てみたかったの。いつもテニス()練習(れんしゅう)、じろじろ()られてたから、その()(かえ)しに」

「……」

 ()づかれていた……

()しかったね。最後(さいご)のシュート」

そうだ。あのシュートさえ()まっていれば、今日(きょう)試合(しあい)()てたかもしれない。

「ああ。おれのせいで()けたんだ」

「そんなことないよ。何本(なんぼん)もシュート()めてたじゃない。それに、かっこよかったよ。必死(ひっし)でボールを()いかけてる八城(やしろ)くん」

 吉川(よしかわ)に「かっこよかった」と()われて(おも)わずドキッとした。

()(かえ)しっていうわりに、ちゃんと()てくれたんだ。でも、なんでこんな(おそ)時間(じかん)まで」

「だって、(かえ)るとき(ひと)(こえ)かけようと(おも)ったら、八城(やしろ)くん、(きゅう)(はし)()しちゃうんだもん」

「あ、そうか」

「はい、これ。もうぬるくなっちゃったかも」

 彼女(かのじょ)がビニール(ぶくろ)から()()したのは、ペットボトルのコーラだった。

「あ、コーラ! サンキュー」

「この(ちか)くの()(どう)(はん)(ばい)()じゃ()ってなくて、わざわざ駅前(えきまえ)のコンビニまで()って()ってきたんだよ。まあ、わたしものどが(かわ)いて(なに)()(もの)がほしかったから、そのついでだけど。コーラ、()きなんでしょ?」

「あれ? おれ、コーラが()きって()ったことあったっけ?」

()ってたよ」

「えっ?」

英語(えいご)授業(じゅぎょう)で【アイ ライク コーラ!】って」

とぼくの真似(まね)をして(ふと)(こえ)()った。それがおかしくてぼくが()()すと、吉川(よしかわ)もおなかを(かか)えて(わら)()した。その笑顔(えがお)がたまらなく可愛(かわい)くて、()()くと、ぼくは彼女(かのじょ)花火(はなび)大会(たいかい)(さそ)っていた。

「いいよ。いっしょに()こう」

 

花火(はなび)大会(たいかい)()()()わせの時間(じかん)ちょうどに公園(こうえん)()いたが、(かの)(じょ)()()たらなかった。

公園(こうえん)(なか)は、もう(けん)(ぶつ)(きゃく)でいっぱいだった。ぼくの身長(しんちょう)なら()ってさえいれば、どこからでも花火(はなび)()えそうだが、吉川(よしかわ)身長(しんちょう)だと(きび)しいかもしれない。どこかいい()(しょ)がないか(さが)していると、

「ごめん。(おく)れて」

(うし)ろからTシャツの(すそ)()っぱられた。

浴衣(ゆかた)姿(すがた)吉川(よしかわ)は、まぶしかった。(こん)(いろ)浴衣(ゆかた)(あか)金魚(きんぎょ)(およ)いでいた。(かみ)(がた)()(だん)(ちが)い、(むす)んだ(かみ)(まる)くまとめて、前髪(まえがみ)(よこ)(なが)してピンで()めていた。制服(せいふく)姿(すがた)しか()たことがなかったので、いっしょにいるだけでなんだか()れくさかった。

「だ、だいじょうぶ。おれも(いま)()たところだから」

「そう。八城(やしろ)くんは(おお)きいから()つけやすくて(たす)かったよ。ごめんね。(きょ)(ねん)までは浴衣(ゆかた)はお(かあ)さんに()せてもらってたんだけど、今年(ことし)(はじ)めて一人(ひとり)()たから、時間(じかん)かかっちゃった。(へん)じゃない?」

「う、うん……」

 本当(ほんとう)は「きれいだよ」とか、「似合(にあ)ってるよ」という言葉(ことば)(いっ)(しゅん)(あたま)()かんだが、()ずかしくて(くち)にはできなかった。

 (けん)(ぶつ)できる場所(ばしょ)(さが)さなきゃと(おも)っていたが、吉川(よしかわ)が「わたし、お(かあ)さんにいいところ(おし)えてもらったんだ」というので、花火(はなび)大会(たいかい)(はじ)まるまで二人(ふたり)屋台(やたい)(めぐ)ることにした。

たこ()き、()きそば、フランクフルト、りんご(あめ)にカキ(ごおり)輪投(わな)げに射的(しゃてき)金魚(きんぎょ)すくい……。たくさん()べて、たくさん(あそ)んだ。

ぼくが(おお)きな(くち)()けてばくばく()べる(よう)()吉川(よしかわ)(たの)しそうに(なが)めていた。ぼくも()どもみたいに射的(しゃてき)金魚(きんぎょ)すくいに()(ちゅう)になる彼女(かのじょ)()るが(たの)しかった。

 ()()れて、そろそろ花火(はなび)大会(たいかい)(はじ)まるころ、吉川(よしかわ)()うおすすめの場所(ばしょ)()かおうとした。そのとき、

八城(やしろ)くん!」と(こえ)をかけられた。

 (おな)じクラスの井沢(いざわ)佳苗(かなえ)だ。そのとなりに()った(かお)女子(じょし)二人(ふたり)いた。たしかみんなテニス()のはずだ。

 井沢(いざわ)たちは、ぼくのとなりに吉川(よしかわ)がいるのを発見(はっけん)すると、(まゆ)をひそめてコソコソ(ばなし)(はじ)めた。

きっとこいつらがあの(へん)なうわさを(なが)したに(ちが)いない。(あたま)()た。

()こう!」と吉川(よしかわ)()をとった。

「え、ちょっと()ってよ」と()(よし)(かわ)(こえ)()()して、ずんずん(ある)いた。

(ひと)()みを()け、公園(こうえん)から50メートルほど(はな)れた(はし)(うえ)まで()たとき、()()まって、

「あいつらのことなんか()にすんなよ。おれは(しん)じてるから」と()った。

そこで(にぎ)っていた()をそっと(はな)すと、彼女(かのじょ)()からぽろぽろ(なみだ)がこぼれてきた。

()くなよ」

「ちがうよ。八城(やしろ)くんが(つよ)()()()るから、(いた)くて(なみだ)()てきたの!」

そんなに(つよ)()()ったわけでもないが、一応(いちおう)「ごめん」と(あやま)った。

吉川(よしかわ)はハンカチで(なみだ)をぬぐってから、「よし、(ゆる)してやる」と(すこ)(えら)そうに()った。それは、どこかぼくに()けられた言葉(ことば)ではないと(かん)じた。

 

 吉川(よしかわ)のおすすめの場所(ばしょ)というのは、(はし)(ちか)くにあるマンションの屋上(おくじょう)だった。母親(ははおや)同僚(どうりょう)がここに()んでいるそうだ。その(ひと)(はなし)によると、花火(はなび)大会(たいかい)()特別(とくべつ)屋上(おくじょう)開放(かいほう)しているということだ。もともとは(じゅう)(みん)()けのサービスだったようだが、(じゅう)(みん)たちが(ゆう)(じん)(しん)(せき)()れて()るので、その()は、だれでも(はい)って()けるようになっているらしい。

エレベーターで屋上(おくじょう)まで()がると、おおぜいの(ひと)椅子(いす)やレジャーシートに(すわ)って、()べたり()んだりしていた。だが、公園(こうえん)ほどの混雑(こんざつ)ではなかった。ぼくらも()ってきたシートを()いて、(なら)んで(すわ)り、(はな)()()った。(そら)はすっかり(くら)くなっていた。

ひゅ~と(おと)がしたかと(おも)うと、ぱっと(おお)きな(ひかり)()夜空(よぞら)()いた。

「すごい! きれい!」

花火(はなび)大会(たいかい)(はじ)まると、吉川(よしかわ)はさっき()いていたとは(おも)えないほど(あか)るく(げん)()になった。(あか)黄色(きいろ)花火(はなび)次々(つぎつぎ)()()がり、あっという()(だい)()(しゅう)(りょう)した。

(つぎ)(だい)()(はじ)まるまで(すこ)時間(じかん)があったので、二人(ふたり)()(もの)()いに()くことにした。

自動(じどう)販売機(はんばいき)でジュースを()い、エレベーターを()っているとき、

「ねえ、吉川(よしかわ)って勉強(べんきょう)できるけど、(じゅく)とか()ってるの?」

()いてみた。

「ううん。うち、両親(りょうしん)離婚(りこん)しちゃってさ。お(かあ)さんが(おそ)くまで(はたら)いているから、わたしが料理(りょうり)とか掃除(そうじ)とかしなきゃいけなくて、時間(じかん)ないから()ってない。それもあって、テニス()()めちゃったんだ」

()(がい)(こた)えが(かえ)ってきたが、冷静(れいせい)なふりをして「ふうん」とあいづちを()った。

「わたしね。(じつ)転校(てんこう)する(まえ)まで苗字(みょうじ)は『吉川(よしかわ)』じゃなくて、『相島(あいじま)』だったの。『吉川(よしかわ)』はお(かあ)さんの旧姓(きゅうせい)。だから、最初(さいしょ)はなんか(ちが)()(まえ)()ばれるの(いや)だなって(おも)ってたんだ」

「そうなんだ……」

「でも、そのおかげで八城(やしろ)くんのとなりになれた」

「えっ」

(いま)吉川(よしかわ)でもいいかなって(おも)ってるの。(あたら)しい()(ぶん)になれたみたいだし。それに、八城(やしろ)くんも『ヨシカワ~』って()ぶし」

吉川(よしかわ)自分(じぶん)名前(なまえ)だけぼくの(こえ)真似(まね)()った。

(わる)かったな」

()ったばかりのコーラをのどに(なが)()む。

(した)名前(なまえ)()んでもいいよ。『春香(はるか)』って」

 ブッと(おも)わずコーラを()()してしまった。ゴホゴホと(くる)しんでいるぼくを()て、吉川(よしかわ)

「あはは、本気(ほんき)にした?」と(たの)しそうにほほえんだ。

 

(だい)()花火(はなび)もにぎやかに()わり、あとは最後(さいご)(だい)()(のこ)すのみとなった。話題(わだい)途切(とぎ)れて()まずくなったので

(なに)()(もの)でも()って()ようか?」と()ったら、

「ええー! まだ()べるの!?」と(あき)れられた。

しばらく二人(ふたり)(だま)っていると、吉川(よしかわ)がつぶやいた。

「あのさー。(じつ)(なつ)(やす)みが()わったら、わたし……また転校(てんこう)するの」

「う、うそ。どこに?」

(ほっ)(かい)(どう)。お(かあ)さんの(じっ)()()(こん)して、(しょく)()()えて東京(とうきょう)からこっちに()()してきたんだけど、やっぱり二人(ふたり)()らしじゃ、きついって……」

 ぼくは(あたま)()(くら)になった。そして、(おも)わず()(けい)なことを()いてしまった。

「なんでお(とう)さんとお(かあ)さん、()(こん)しちゃったの?」

「……お(とう)さん、お(さけ)()むと(あば)れるんだ。(むかし)(やさ)しい(ちち)(おや)だったんだけど、会社(かいしゃ)をリストラされてから、毎日(まいにち)()むようになって……。(もの)()たるだけじゃなく、お(かあ)さんを(たた)いたり、()ったりして。それでも、お(かあ)さんは()えてた。けど、ついにわたしにまで()()げるようになって、もう()(まん)できないって……」

「そうだったんだ……」

「ほら、ここ」

 吉川(よしかわ)はピンで()めていた(まえ)(がみ)()()げた。(ひたい)3センチほどの傷跡(きずあと)があった。

(たた)かれて(たお)れたときに、テーブルの(かど)()っちゃったんだ」

「ごめん、(へん)なこと()いちゃって……」

「ううん。わたしのほうこそ、ごめんね。(ほっ)(かい)(どう)()くことも、()(こん)のことも、本当(ほんとう)はみんなに(だま)っておこうって(おも)ってたんだけど、やっぱり八城(やしろ)くんには(はな)しちゃった」

 吉川(よしかわ)前髪(まえがみ)のピンを()(なお)し、(はなし)(つづ)けた。

「……きっと、みんな、すぐにわたしのことなんか(わす)れちゃうよ。わたしだって(いや)なことはぜーんぶ(わす)れる。それで、(ほっ)(かい)(どう)()ったら(あたら)しい(せい)(かつ)(おも)いっきり(たの)しむんだ、って(おも)ってた。でも……やっぱりここをただの通過点(つうかてん)にしたくないんだ。いつか()(かえ)ったとき、この()(かん)にもなにか()()があったって(おも)いたい。だから、八城(やしろ)くんはわたしのこと、ずっと(おぼ)えてて」

「え……」

 吉川(よしかわ)はじっとぼくの()をのぞきこんだ。ぼくは(ちい)さく「うん」とうなずいた。

「もう一つ、いい? どうしてわたしがみんなに無視(むし)されてたか、()いてほしいの。(じつ)八城(やしろ)くんとちょっと関係(かんけい)があるんだ」

「うそ……」

「ほら、あのとき、()しゴムを(ひろ)ってくれたじゃない。テスト(ちゅう)、わたしの()しゴムが(まえ)(せき)(ほう)まで(ころ)がっていって、どうしようって(おも)っていたら、八城(やしろ)くん、わざと自分(じぶん)のえんぴつを()として、『先生(せんせい)、えんぴつ、(ひろ)ってもいいですか』って()って、さっと()しゴムも(ひろ)ってくれたでしょ。そのあとの(やす)時間(じかん)、ノートの()(はし)に『さっきはありがとう』って()いて(わた)したの。(おぼ)えてる?」

「う、うん」

(おぼ)えてるどころか、(いま)でもそのノートの()(はし)(いえ)(つくえ)(なか)(だい)()にしまってあった。

「それを()てた()がいるの。それで、わたしが八城(やしろ)くんに()がある。転校(てんこう)(せい)なのに()(はや)いって」

「えっ、それが原因(げんいん)で?」

「ううん、たぶん、それはただのきっかけ。でも、八城(やしろ)くん、女子(じょし)(あいだ)でけっこう人気(にんき)があるからさ。その(ころ)から(いち)()女子(じょし)()けられるようになって……。そのあと、サッカー()前野(まえの)くんに()()されて(こく)(はく)されたんだ。『()()ってほしい』って。はっきり(ことわ)ったんだけど、しつこいから、テニス()(とも)だちに(そう)(だん)したの。そしたら、その(はなし)井沢(いざわ)さんの(みみ)(はい)って……。()(ざわ)さん、前野(まえの)くんのことが()きだったみたいで……。(へん)なうわさを(なが)されて、テニス()とクラスの女子(じょし)から無視(むし)されるようになったの」

「……ごめん。おれ、()(けい)なことした」

「そうじゃない! 八城(やしろ)くんに(あやま)ってほしくて(はな)したんじゃないよ! お(れい)()いたかったの」

「お(れい)?」

「そう。みんなに無視(むし)されてたけど、八城(やしろ)くんはいつもとなりにいてくれたから」

たしかに、ぼくは吉川(よしかわ)のとなりにいた。(やす)時間(じかん)はたいてい()(ぶん)(せき)()(ねむ)りをしていた。けど、本当(ほんとう)(ねむ)くて()ていた(とき)もあるが、半分(はんぶん)()たふりだった。一人(ひとり)ぼっちで(ほん)()んでいる彼女(かのじょ)()()たせたくなかったからだ。ぼくの(おお)きな身体(からだ)彼女(かのじょ)(かく)したかった。いや、本当(ほんとう)はただ彼女(かのじょ)のそばにいたかっただけかもしれない。

——うっすら()()けると、(まど)から(はい)ってきた(かぜ)(きみ)(かみ)()らしている。(きみ)(ほそ)(ゆび)がページをめくるたび、(なが)いまつげが蝶々(ちょうちょ)のようにまばたきをする。2(がっ)()になっても(せき)()えなんかしなくていい。ずっとこのままでいたい——

「……()てただけだよ」

「そう。けど、ありがとう。そのおかげで毎日(まいにち)学校(がっこう)()れたよ。あ、(はじ)まった。花火(はなび)

 

花火(はなび)大会(たいかい)()わり、吉川(よしかわ)をうちまで(ある)いて(おく)ることになった。まだ(さわ)がしい公園(こうえん)(まえ)足早(あしばや)(とお)()ぎる。(おお)(どお)りを()けて、(じゅう)宅地(たくち)(はい)ると、すっかり(しず)かになった。街灯(がいとう)()かりがとなりを(ある)吉川(よしかわ)横顔(よこがお)()らす。いつもより大人(おとな)っぽく()えた。

もうぼくに(のこ)された言葉(ことば)(ひと)つしかなかった。(つた)えたい。けど、吉川(よしかわ)(とお)くへ()ってしまう……。(つた)えたところで、この(さき)どうなるわけでもない。それに、彼女(かのじょ)はもう(あたら)しい()(しょ)(たび)()(じゅん)()をしている。(じゃ)()するわけにはいかない……。だが、それでいいのか?

そんなことを(かんが)えているうちに、彼女(かのじょ)()むアパートに()いてしまった。

今日(きょう)はありがと。(たの)しかったよ」

「……うん、おれも」

「ねえ、さっき()ったことだけど、約束(やくそく)ね。わたしのこと、ちゃんと(おぼ)えてて」

「ああ、(わす)れないよ」

「ありがと。わたしも八城(やしろ)くんのこと(わす)れない。コーラが()きなことも、ちゃんと(おぼ)えておく」

「おれも(おぼ)えとく。吉川(よしかわ)射的(しゃてき)案外(あんがい)上手(うま)いけど、金魚(きんぎょ)すくいが下手(へた)なこととか」

 すると、吉川(よしかわ)(ゆび)(じゅう)(かたち)にして、「バーン!」とぼくの(むね)()つふりをした。ぼくはそれに()()って「うっ、やられた……」と(くる)しそうに()(むね)()さえ、(たお)()むふりをしてあげた。彼女(かのじょ)はそれを()て、あははと(たの)しげに(わら)った。ぼくは、もうこの笑顔(えがお)()られなくなるのかと(おも)うと、(ほん)(とう)(むね)(あな)()いてしまったように(かん)じた。

 

「そうだ。むこうに()ったら()(がみ)()くから、(じゅう)(しょ)(おし)えて」

吉川(よしかわ)巾着(きんちゃく)から手帳(てちょう)とボールペンを()()し、ぼくに()(わた)した。

ボールペンのキャプを(はず)し、(じゅう)(しょ)()いた。その(した)に、(ふる)える()で、ぼくはついに()えなかった(さん)文字(もじ)(しる)した。

そのページを(ひら)いたまま、ボールペンを()せて(かえ)すと、「ありがとう」と彼女(かのじょ)()()った。そして、吉川(よしかわ)はその言葉(ことば)()つけると、パッと手帳(てちょう)(かお)(かく)した。それから、くすくすと(わら)()した。

「なんだよ」

「ううん、なんでもない」

吉川(よしかわ)手帳(てちょう)()じて、巾着(きんちゃく)にしまった。そのとき、カシャンとボールペンが()(めん)()ちた。

「はぁー、最後(さいご)まで()()()けるなぁ」

かかんで(ひろ)い、「ほら」と彼女(かのじょ)にボールペンを()()した。その(しゅん)(かん)(くちびる)にやわらかいものが()れた。

()(まえ)に、まぶたを()じた吉川(よしかわ)(かお)があった。

「ごめん。わざと()とした。あのときの()(かえ)し。八城(やしろ)くんは()(たか)いから、()()びしても(とど)かないと(おも)って……」

そう()うと、彼女(かのじょ)はアパートの(かい)(だん)()()がっていった。そして、2(かい)まで()くと、()すりをつかんで、(そら)()かって、

「わたしも八城(やしろ)くんが()きー!」

(さけ)んだ。

それから、彼女(かのじょ)はこっちを()いて「バイバイ」と(ちい)さく()()り、(おく)(ほう)へと()えて()った。ドアが()まる(おと)()こえても、ぼくはしばらくその()()()ることができなかった。 

 

 

年末(ねんまつ)吉川(よしかわ)から手紙(てがみ)(とど)いた元気(げんき)でやっている、合唱(がっしょう)()(はい)った、(とも)だちもたくさんできたと()いてあった。でも、()いたい、とは()いていなかった。

ぼくは(へん)()()くため、便(びん)(せん)(ふう)(とう)()い、(つくえ)()かった。(なん)時間(じかん)もかけてやっと()()げたが、ポストに()れる(ちょく)(ぜん)(やぶ)いて()ててしまった。

もうぼくは()しゴムを(ひろ)ってあげるような()(がる)さで、(かの)(じょ)(せっ)することはできなくなっていた。(ちょく)(せつ)()いに()こうかと(おも)ったりもしたけど、(けっ)(きょく)、その()(れん)(らく)()()えた。

 

 

(なつ)()花火(はなび)()るたび、あの()のことを(おも)()す——夜空(よぞら)()った(ひかり)(つぶ)花火(はなび)(おと)人々(ひとびと)歓声(かんせい)、いっしょに()べたカキ(ごおり)(あじ)()(やく)(にお)い、やわらかな(くちびる)——でも、(きみ)(かお)だけは()()(おも)()すことができなくて、また(なま)ぬるい(よる)(かぜ)がぼくの(むね)()()けていく。

 

(かん)

4 comments:

  1. 今日はこの話を読んでしました!読み当たりから嬉しいけど完了で心臓が痛んだ。ハッピーエンドほしかったくせに僕の過去もそのような失敗ことがあると認めた。次の話しにとっても楽しみです!ありがとうございます!

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    1. 正直な感想を教えてくれて、ありがとうございます。インドの方も「ハッピーエンドを期待していたので、終わり方がちょっとショックだった。でも、気持ちはすごくわかる」と言っていました。そして、「二人が幸せになる続きを書いてほしい」と頼まれて、どうしようかなと迷っています。

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    2. まあ、創作の志向が尊敬している。ダーティハリーやランボーの続編は原作の終わりの影響が減少させる。だから悲しい終わり好きじゃないけど、終わりの強いさ認めるなければらない。先生はどれを選んだとしても次の作を楽しみです。

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    3. もうさん、ありがとうございます。そうですね。続編はやはり前作を超えるぐらいのものでないと物足りませんね。次作もがんばります!

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