Sunday, March 15, 2020

Good Luck!★★★★★

 古いアパートの部屋は(おも)空気(くうき)(つつ)まれていた。孝弘(たかひろ)(わか)れのあいさつに来たが、だれも言葉(ことば)が見つからず、四人はただ(しず)かにコーヒーを飲んでいた。
 
 孝弘(たかひろ)は立ち上がり、飲み終えたカップを(なが)しに()いた。
「じゃあ、そろそろ行くよ
 (じょう)孝弘(たかひろ)(うで)をつかんだ。
「おい。待てよ! 孝弘(たかひろ)。やっぱり、もうちょっとがんばろうぜ
(じょう)、……(わる)と思ってる。でも、もう()()だ」
()()かどうか、(つづ)けてみないとわかんないだろ?」
「いや、三年(つづ)けたんだ。もうあきらめてもいい(ころ)
「……」
すまない
……本当にだめか?」
「ああ、ごめん
 (じょう)孝弘(たかひろ)(うで)(はな)した。
「わかったよ。じゃ、()わりに……
「何だ?」
「金、()してくれない? 五万円
「バカ! ()すわけないだろ! おれは、おまえのそういうところが(きら)んだ!」
「うるせー! おれも、おまえみたいな下手くそ、本当はやめてほしかったんだ! さっさと出ていけ!
 孝弘(たかひろ)何も言い(かえ)さずにバッグを(かた)にかけると、バタンとドアを()め、部屋を出て行った。(じょう)は、そばにあったティッシュ(ばこ)ドアに()かって()げた。だがそれはドアには(とど)かず、玄関(げんかん)(くつ)()ちた。晴樹(はるき)慎吾(しんご)はその(よう)()(だま)って見ていた。
こうして、ドラムの孝弘(たかひろ)(じょう)たちのバンド「バレット」から()けた
 
 晴樹(はるき)()(あん)そうに(じょう)に言った。
「ねえ、(じょう)さん。れでよかったのかな。孝弘(たかひろ)さんがいなきゃ、バンド(つづ)けられないでしょ?」
「いいんだよ! あんなやつ、いなくなったほうが
でも……おれたち、これからどうすればいいんだ
 すると、今まで(だま)っていた慎吾(しんご)が言った
晴樹(はるき)おまえがバンドのこと(しん)(ぱい)する気持ちよくわかる。けど、孝弘(たかひろ)のことも(かんが)てやれあいつは小学生の(ころ)父親を()くしてるんだ。それからずっと母親が実家(じっか)のリンゴ(のう)()で働きながらひとりで孝弘(たかひろ)(そだ)ててきた。あいつ、言ってたよ。『これ以上、母さん心配(しんぱい)かけてまで音楽(つづ)けられない。リンゴ(のう)()()ぐ』って」
そうだったんだ……
ただ、おまえうとおドラムがいなけりゃバンドはできない。なんとかしないとな
「そうだよそれに、お金もほんとにないんだ。どうしよう……
 (じょう)立ち上がるとギターケースをつかんで、部屋を出て行った。


 (つめ)たい、(かわ)いた(かぜ)の中、(じょう)(まち)(ちゅう)(しん)()()かって(ある)いていたバスや()()(てつ)を使わないのは(せつ)(やく)になるというのもあるが、(ある)いていると(とき)(どき)いい(きょく)を思いついたりすることがあるからだ。だが、今、(じょう)(あたま)の中にあるの新しい(きょく)ではなかった
――新しいメンバーか……。たぶんすぐには見つからない。(うで)のいいドラムはもうどこかのバンドに入っているし、もしいたとしても、うちのバンドに入ってくれるかわからない。どうする? その前に、たまっているアパートの()(ちん)(はら)わなければならない(おお)()(あたま)を下げて、なんとか待ってもらっているもう半年分たまっている今月までに(はら)わないと、いっしょに()んでいる晴樹(はるき)と部屋を()い出される。だが、毎月バイト代は、全部(ぜんぶ)バンド(かつ)(どう)()えていく。練習に使うスタジオのレンタルライブを(ひら)ための()(よう)、CDの(せい)(さく)()……。この間作ったCD(つぎ)のライブが()まらない(かぎ)り、売れないままだ――
 (じょう)(まち)まで出ると、まっすぐ(もく)(てき)の店に()かった。「黒沢(くろさわ)楽器(がっき)(てん)」だ。
店長の黒沢(くろさわ)とは年はだいぶ(はな)れているが、気が合って、かわいがってもらっている。ライブのチラシを()かせてもらったり、(とく)(よう)()がなくても、会い行ったりする。ただ、今日は(ちが)う。ギターを売るのだ
 (じょう)バンドでボーカルなので、ギターは使わない。夜、(まち)()(じょう)で歌ったり、(きょく)を作るに使うのだ。それが今持っているマーンのギターだ。この四十八万円もするアコースティックギターを買うために(じょう)必死(ひっし)で働いた。そして、ようやく年前に手に入れた。(はじ)めて音を()らした時には思わず(かん)(どう)(なみだ)が出た。
 店の前まで来て足が止まった。しかし、いくら(かんが)えても(ほか)(ほう)(ほう)が思いつかない。(じょう)(かく)()()め、ドアを開けた。
「おー、(じょう)。ひさしぶり
どうも。黒沢(くろさわ)さん」
この前出したCD()いたよ。なかなか良かったよ」
()いてくれたんですか。ありがとうございます
まあ、晴樹(はるき)のギターはまだまだだけどな」
黒沢(くろさわ)さん。(じつ)は、(たの)みがあるんです
 (じょう)はギターケースをカウンターの上に()いた。
何だ? ギターの(しゅう)()か?」
「いえ、そうじゃありません。このギターを買ってもらえませんか?
「何?」
「バンドを(まも)るために金が(ひつ)(よう)なんです。お(ねが)いします!
 (じょう)(あたま)を下げた。黒沢(くろさわ)ケースを開け、ギター状態(じょうたい)(たしか)かめたそして、しばらくすると、小さくため(いき)をついて
「わかったよ。いくら必要(ひつよう)なんだと言った。
二十五
いいだろう。だが、買い取るわけじゃない。(あず)かっておくだけだ。金は()す。三十万でいい。だが、後できちんと(かえ)せ」
黒沢(くろさわ)さん……。ありがとうございます!
(むかし)おれもバンドをやっていたんだ。おまえがこのギターをどれぐらい大切にしていたかわかるし、金がない時の(くる)しさわかる。ちょっと待ってろ」
 黒沢(くろさわ)店の(おく)に入ると、封筒(ふうとう)を持って(もど)ってきた。
「ほら。三十円だ。どうせ()(ちん)でも(はら)えなくなったんだろ?」
はい、そのとおりです……
「いいか(つづ)けていれば、きっといつかチャンスは来る。あきらめるな。金は半年待ってやる。それまでに(かえ)せなければ、のギターは店で売る」
(かなら)(かえ)します
 黒沢(くろさわ)満足(まんぞく)そうにほほ()んだ。(じょう)(りょう)()封筒(ふうとう)()け取った。
「これは持っておけ。お(まも)りだ」
 黒沢(くろさわ)はギターに()いていたピックを(はず)して、(じょう)にわたした。その黒いピックは、このギターを買ったときに、黒沢(くろさわ)がくれたものだった。

 黒沢(くろさわ)楽器(がっき)(てん)を出た後(じょう)はアパートには(もど)らず、喫茶店(きっさてん)()ることにした
店は平日(へいじつ)昼間(ひるま)なので、すいていた。(じょう)窓際(まどぎわ)(せき)(すわ)ると、コーヒーを注文(ちゅうもん)した。
 喫茶店(きっさてん)()ったのは、晴樹(はるき)慎吾(しんご)(かお)を合わせたくなかったからだ。バンドのリーダーとして、メンバーの前で(よわ)いところは見せられない。金はとりあえず手に入ったが、これからのことを(かんが)えなければならない。しかし、孝弘(たかひろ)とギターを(うしな)った(かな)しみが()()せてきて、なかなか(かんが)えがまとまらない。(じょう)はポケットの中のピックを(にぎ)りしめた。
 コーヒーを飲みながら、ぼうっと(まど)()こうの川を(なが)めていた。川には古い大きな(はし)がかかっている。その(はし)中央(ちゅうおう)だれが立っていた。そ人物(じんぶつ)は、じっとしていたかと思うと、(きゅう)(はし)欄干(らんかん)を乗り()えようとした。(まわ)りにはだれもいない。
――えっ、まさか! ()()()(さつ)!?――
 気づいたときには、もう(はし)り出していた。店を出るとき、「お(きゃく)さん! ちょっと!」という声が聞こえたが、かまわずに(はし)(つづ)けた
――間に合ってくれ!――

 (はし)中央(ちゅうおう)()いたとき、そ人物(じんぶつ)欄干(らんかん)につかまったまま、まだ()()りずにいた。
長い(かみ)をまとめていたので、一瞬(いっしゅん)、女に見えたが、(わか)い男だ。高校生ぐらい年齢(ねんれい)グレーのコート、黒のレザーパンツ。足ががくがく(ふる)えている。
 (じょう)(いき)(ととの)えてから、そっとその男に(こえ)をかけた。
おい。何があったか知らないけど、()んだらおしまいだぞ」
来、来ないで!」
わかった()()け。ちょっと話そう」
「……」
(まよ)ってるんだろ?
「……」
 何も返事(へんじ)がないが、(じょう)(つづ)けた。
「たしかに、()(なか)(いや)なことが多いよな。でも、これから楽しいこと(うれ)しいことも、きっとたくさんある。今(つら)からって、ここで人生(じんせい)終わりにするなんてもったいないぞ
そんなことわかってるよ! でも、どうしようもないんだ……
「何あったのか?」
……金だよ」
「金?
「そうだよ。金がないんだよ!」
 金がない――その言葉(ことば)を聞いた瞬間(しゅんかん)(じょう)(さけ)んだ。
バカヤロー 金なんかより(いのち)のほうが大事に()まってるだろ! そんなこともわからないやつは、()んでしまえ!」
「……」
「あっ! ごめん! うそ、うそ! おれ口が(わる)いから、つい……
「う、う、うえ~ん」
男は()き出した。そして、しばら()(つづ)けた。
男が()()いてきたころ(じょう)はゆっくり(ちか)づいて、左手で男の(うで)をつかみ、右手を男の体に回すと一気(いっき)歩道(ほどう)()き上げた。
いつの()にか、(まわ)りには人がたくさん(あつ)まっていた。その中に、さっきの喫茶店(きっさてん)の店員もいた。
「あのう、お(きゃく)さん……」
「わかってる金だろちゃんと(はら)うよ。コーヒー代

 (じょう)(はし)の上で喫茶店(きっさてん)の店員にコーヒー代をわたすと、()れて公園に行った。公園には(じょう)たち以外、だれもいなかった。二人は(つめ)たいベンチに(こし)かけた。
「なあ、金がないって言ってたけど、どうしたんだ?」
「……なくしたです
「なくした?」
「働いている店のお金をなくしてしまったんです。オーナーにお金を銀行に(あず)けてくるように言われて。それで、お金をバッグに入れて、からまっすぐ銀行にって、バッグを開けたら、なくなっていたんです。本当に不思議(ふしぎ)で……
どこかで、こっそりとられたんじゃないのか?」
いえ。バッグはしっかり手に持っていましたし、それはありません交番(こうばん)にも行ったんですが、見つるのはむずかしいだろうって……」
「まあ、そうだろうな。じゃあ、オーーナー素直(すなお)(あやま)るしかないんじゃない?」
無理(むり)です。オーナーはすごく仕事に(きび)しい人なです。絶対(ぜったい)(ゆる)してくれません……きっとクビです……
いくら入ってたんだ?」
三十万円」
なにっ!? 三十 ……ほんとに三十?」
そ、そうですけど……?
 (じょう)ポケットの中の封筒(ふうとう)(たしか)かめた。それから、しばらく男の(かお)をじっと見つめた。
これ、やる」
 (じょう)は男に封筒(ふうとう)()し出した。
「何ですか?」
と言いながら、男は不思議(ふしぎ)そうな(かお)をしてそれを()け取った。
三十万」
「へっ?
 男は封筒(ふうとう)の中を見て(おどろ)く。
「なんで?」
「さっき言ったとおだ。金なんかより(いのち)のほうが大事だからだ
 そう言うと、(じょう)男に()()けて(ある)出した。
ちょ、ちょっと待ってください! こんなお金、もらえません
()いかけてきた。そして、男の手が(かた)()れたと同時(どうじ)に、(じょう)()(かえ)り、思いっきり男の(かお)(なぐ)った。男はバタッと地面(じめん)(たお)れた。
たった三十万円だろ。そんなんで()のうなんて二度と思うな
 (じょう)男が起き上がる前に公園から立ち()った。

 (じょう)部屋に帰ったとき、慎吾(しんご)はもういなかった晴樹(はるき)はソファー漫画(まんが)を読んでいた(じょう)電気ストーブの前に(すわ)り、()えた体を(あたた)めた。(なぐ)った右手はまだ赤く()れていた
「な晴樹(はるき)。おれ、バイト()やそうと思うんだ」
ふうん
「さっきコンビニ求人(きゅうじん)応募(おうぼ)してきたよ
「コンビニ? ははは、(じょう)さんがコンビニの店員なんて()()わないよ」
()()うかどうかは問題じゃないさ。今できることをやるだけだ
「ごめん、ごめん。(じつ)は、おれも同じこと(かんが)えて。さっきバイト(さき)のガソリンスタンドに行って、店長にもう少し(おそ)い時間まで働かせてほしいって(たの)んできたんだ」
晴樹(はるき)……」
「ちょっときついかもしれないし、バンドの練習する時間も少なくなるけど、今は(かせ)がなきゃ。ほら、すべての経験(けいけん)が音楽になるって前に(じょう)さん言ってただろ? だから、これもきっといい経験(けいけん)だよね
ああ
――すべての経験(けいけん)が音楽になる――黒沢(くろさわ)さんが教えてくれた言葉(ことば)だ。
「あと、さっき慎吾(しんご)さんからメール来たんだけど、大学の論文(ろんぶん)が書き終わったから、しばらくはバンド活動(かつどう)集中(しゅうちゅう)できるって。これからは(じょう)さんの()わりに慎吾(しんご)さんが練習のスケジュールを()んだり、スタジオの予約(よやく)してくれるってさ
ほんとか?」
うん。(じょう)さん。おれたち、まだあきらめるのは早いよね?」
「ああ、もちろん。これからだ」
 次の日、(じょう)晴樹(はるき)はアパートの大家(おおや)(あやま)りに行って、なんとか家賃(やちん)を待ってもらえることになった。
 
 それから日後孝弘(たかひろ)から荷物(にもつ)(とど)いた。大きな(はこ)を開けると、中にはぎっしりリンゴが入っていて、その上に封筒(ふうとう)()せてあった。封筒(ふうとう)には五万円と手紙が入っていた。

***************
 (じょう)

早く新しいドラム見つけろ
おまえたちはあきらめるな。

         孝弘(たかひろ) 
***************

 (じょう)はその短い手紙を何度も(かえ)した。

 その日の夕方、(じょう)ケータイ知らない番号から着信(ちゃくしん)があった。バイトの休憩(きゅうけい)時間に、その番号に電話をかけてみると、(わか)女性(じょせい)が、
はい。ライブハウス・リープです」
(こた)えた。(じょう)(おどろ)いた。女性(じょせい)が口にしたのは、この(まち)で一番大きなライブハウスの名前だ。有名な歌手もよくそこでライブを(ひら)いている(じょう)たちにとっては(あこが)れの場所で、いつかそこでライブをやってみたいと思っていた。
「あのう、すみません。この番号から着信(ちゃくしん)があったんですが……。あの、おれ、森島(もりしま)(じょう)って言います」
森島(もりしま)さん……? あ、はい。少々お待ちください」
 緊張(きんちょう)しながら十(びょう)ほど待たされた後、ケータイから低い男の声が聞こえてきた。
「どうも。()()です突然(とつぜん)すまないね。この電話番号は黒沢(くろさわ)から聞いたんだ
黒沢(くろさわ)? あの黒沢(くろさわ)楽器(がっき)(てん)黒沢(くろさわ)さんですか?」
「そうだ。黒沢(くろさわ)古い付き合いでね先日、うちのスタッフきみに世話(せわ)になったようだね」
世話(せわ)? あの、おれ、何かしましたか?」
「きみ、四日前に(わか)い男(はし)から()()りようとしていたのを(たす)けただろ?」
っ! なんで知ってるんですか?」
ああ、やっぱりきみかきみ、ちょっと、今日こっちに来れないか?」
「はい。大丈夫です。あと時間でバイト終わるんで、ごろになりますが」
「ああ。いいよ。場所は――
「わかります。リープには何回行ったことあるんで」
「そうか。じゃ、こっちに来たら、だれか店の(もの)(こえ)をかけてくれ」
 
 連日(れんじつ)のバイトで体はくたくただったが、(いそ)いでリープへ()かった
 店の前まで来ると、その建物(たてもの)の大きさに少し緊張(きんちょう)した。入り口のドアを開けたとたん、ものすごい音が()び出してきた。今日もライブをやっているのだ。飲み物のカウンターの前では大勢(おおぜい)(きゃく)(さわ)いでいる(じょう)はスタッフを(さが)そうと、店内(てんない)()(まわ)した。
森島(もりしま)さん」
「あっ!」
「どうも。ぼく、ここのスタッフなんです」
 そこに立っていたのは、(はし)から()()りようとしたあの(わか)い男だった
 彼は(くび)かけている名札(なふだ)を見せながら、
(あおい)(そう)()って言います。この前は、いろいろすみませんでした」と言った。
 (かお)には(なぐ)られたあざが(いた)(いた)しく(のこ)っていた。
大丈夫?」
「あ、これですか? ええ、平気(へいき)です」
 (あおい)()ずかしそうに(こた)えた。
「働いている店って、ここだったんだ
「どうぞこちらへ。()()(しょ)でオーナーが待ってます」

失礼(しつれい)します」
 (あおい)()()(しょ)ドアを開けると、「おう」という低い(こえ)(かえ)ってきた(じゅう)(じょう)ほどの部屋の(おく)にある(つくえ)で、がっしりした体格(たいかく)男がパソコンに()かってい(かみ)は短く、(うす)茶色(ちゃいろ)のサングラスをかけている。シャツとジャケットは()ているが、ネクタイはしていないその代わりに、(くび)太い金のネックレス(ひか)っていた。この(こわ)そうなが店長の和田(わだ)のようだ。和田(わだ)は立ち上がって(じょう)のところまでくると、握手(あくしゅ)(もと)めてきた。和田(わだ)(あつ)い手を(にぎ)った瞬間(しゅんかん)、――この人も何か楽器(がっき)をやっていたんだ――とわかった。
和田(わだ)だ。よろしく」
森島(もりしま)(じょう)です」
まあ(すわ)って」
 (じょう)はソファーに(こし)()ろした。和田(わだ)()かいに(すわ)り、(あおい)はその(よこ)に立った。
ええと、まず確認(かくにん)だが、きみが(はし)の上で(たす)けた人物(じんぶつ)は彼で()(ちが)いないね?」
「はい」
(あおい)(そう)()というのが、この男の名前だ。知っていたかい?」
「いえ、ついさっき本人から聞くまでは知りませんでした」
「ということは、きみは本当に名前も知らない男に三十万円あげたんだね。はははは。では説明(せつめい)するよ。あの日、(あおい)は店の売上(うりあげ)(きん)の三十万円をバッグに入れて、銀行に()かったんだ。銀行はここから歩いて十分ぐらいのところにあって、いくら銀行が()んでいても時間もかからないで帰って来れる。だが、時間たっても、時間たっても、帰って来ない。何かあったんじゃないかと思ってね。電話をかけても(つう)じないし、スタッフもみんな心配(しんぱい)していたんだ。そうしたら、『もしかして、あいつ、金を持って()げたんじゃないか』なんて(うたが)うスタッフが出てきてね。そんなはずはないと思ったけど一応(いちおう)ロッカーを調(しら)べてみることにしたんだ。すると、ちゃんと(あおい)のロッカーには荷物(にもつ)があった。バッグがあって、ケータイや自分の財布(さいふ)なんかも入っていたから、とりあえずほっとしたよ。ところが、そのバッグの中から三十万円が入っている封筒(ふうとう)見つかったんだ。つまり、(あおい)は出かけるとき()(ちが)えて店のバッグじゃなくて自分のバッグお金を入れたということだ」
じゃあ、お金はあったんです?」
「ああ
「よかった……」
それで、スタッフみんなで(あおい)(さが)しに行こうとしたとき本人(ほんにん)が帰ってきた。(おどろ)いたよ。顔にあざがあるし、それに、なんと三十万円を持っていた。(あおい)は、『道(まよ)ってしまって、銀行()いたときにはもうまっていたから(もど)ってきました』なんて下手なウソをついたけど、おれがロッカーにあった三十万円を見せたら、何も言えなくなってしまってね
 (じょう)はソファーの(よこ)に立っている(あおい)のほうを見た。(あおい)()ずかしそうに(あたま)を下げた。
「すみませんでした。知らない人に三十万円もらったなんて話だれにも(しん)じてもらえないと思って、つい……。でも、その後、本当のことをオーナーに話したら、(しん)じてもらえて」
いや、(しん)じたといっても半分だけだ。そんなことする人間(にんげん)がいるとは思えないから。それに、名前も連絡先(れんらくさき)もわからない言うし」
「じゃ、どうやっおれだってわかったんですか?」
 和田(わだ)は、(あおい)に「おい、あれ」と言うと、(あおい)はポケットから何か小さいものを取り出した。そして、「どうぞ」と、(じょう)それを()し出した。
あっ! これ、おれの……
 ピックだった。黒沢(くろさわ)がお(まも)りだと言って、(かえ)してくれたピックだ(じつ)あの日、家に帰った後、いくら(さが)しても見つからなくて、()くしたと思っていた。
「それ、あの公園()ちてたんです。たぶん、ぼく(なぐ)った時、()ちただと思います
「そうか、あの時……
「また会えた時に(かえ)そうと思って(ひろ)ったんですが。音楽をやっている人だから、もしかしたらと思って、昨日それを店長に見せたら――
和田は(あおい)の話を()()いだ。
「そのピックを見て(おどろ)いたよ。そこに何て書いてある?」
 もちろん(おぼ)えている。だが、(じょう)はあらためてその黒いピックに書かれた金色の()()を読んだ。

 ――Good Luck! ブラックフィールズ――


「ブラックフィールズは、おれと黒沢(くろさわ)()んでいたバンドの名前だ」
「えっ」
「もう二十年ぐらい前になるが、『Good Luck』っていう曲をCDで出したんだ。その()(ねん)に作ったのがこのピックだ。それで、もしかして……と思って黒沢(くろさわ)電話をかけてみた。すると、黒沢(くろさわ)が思い()たるやつ一人いると言った。そいつは、その日店にギターを(あず)けて三十()りて行ったってこれは()(ちが)いないと思ったそして、きみの名前と電話番号を教えてもらったってわけだ」
「そうだったんですか」
 (じょう)手の中にある小さなピック感謝(かんしゃ)した
「きみが()て行った金を自殺(じさつ)しようとしていた男にあげたって話したら黒沢(くろさわ)(わら)ってたよ」
「いや、自分でもバカなことしたって思います」
「でも、後悔(こうかい)しなかっただろ?」
「はい
気に入ったよ
 和田(わだ)は立ち上がると(つくえ)(ひき)()しから封筒(ふうとう)を持って来た。
「これは(かえ)すよ。ありがとう」
 (じょう)(だま)って三十万円入った封筒(ふうとう)()()った。
「うちのスタッフの(いのち)(すく)っててくれたんだ。本当に感謝(かんしゃ)している。ぜひお(れい)をさせてほしい」
「いえ、(れい)なんていいです金も(もど)ってきましたし
いやそんなこと言わずに、まず話を聞いてくれ。来月二十五、うちのライブハウスで『ノースバウンド』のライブがあるんだ」
ほんとですか? おれ、ノースバウンドの大ファンなんです。あ、もしかして、そのライブに招待(しょうたい)してくれるってことですか?」
そういうことだ」
「ありがとうございます! 最高(さいこう)にうれしいです!」
「ただし、(きゃく)としてじゃない」
「え?」
出演(しゅつえん)バンドとしてステージに招待(しょうたい)したい。つまり、きみたちのバンドにノースバウンドの前座(ぜんざ)(ねが)したいんだ。もちろん出演(しゅつえん)(りょう)も出す」
前座(ぜんざ)ってことは、ノースバウンドと同じステージに立てるってことですか?」
「そうだ。もちろん(きゃく)はノースバウンドを見に来る。その(きゃく)の前で演奏(えんそう)するんだから、反応(はんのう)(きび)しいかもしれない。でも、きみらはプロを()()してるんだろ? 黒沢(くろさわ)から聞いたよ。きみらにとって、大勢(おおぜい)(きゃく)に名前を(おぼ)えてもらうチャンスだ。(わる)い話じゃないだろ?
「……」
 (じょう)が何も言わずにいると、和田(わだ)はそれを自信(じしん)がないと()()ったらしく、
「まあ、()()しなくてもいい。じゃあ、(れい)(ちが)(かたち)でさせてもらうことにするよ
と言った。
え、そうじゃないんです。出たいです本当にありがたい話だと思います。でも……」
「でも?」
「おれ、チャンスって、こうやって(あた)えてもらうものじゃなくて、自分の手つかみとるものだと思ってるんです。だから……、テストしてくれませんか? 和田(わだ)さんがおれたちの演奏(えんそう)()いて本当にいいバンドだと(みと)めてくれたら、ライブに出してください。お(ねが)いします!」
 和田(わだ)一瞬(いっしゅん)言葉(ことば)(うしな)ったようだったが、すぐに大声(おおごえ)(わら)い出した。
「はっはははは。いやあ、きみの言うとおりだ。たしかに、きみたちの演奏(えんそう)()かないのに勝手(かって)()めるなんて失礼(しつれい)だったなあ。すまない」
「じゃあ、()いてもらえるんですか?」
「ああ。ただ、テストというからには(きび)しくやるが、いいかい?
はい。ありがとうございます
「よし、じゃあ、来週の水曜にここでテストだ(くわ)しいことはあとで連絡(れんらく)する」
「はい
 (じょう)()()(しょ)を出ると、小さくガッツポーズをした
――よし! ついにチャンスが来た! みんな、この話、聞いたら(おどろ)くぞ。晴樹(はるき)慎吾(しんご)孝弘(たかひろ)……ん、孝弘(たかひろ)? そうだった、孝弘(たかひろ)はいないんだ……。ドラムがいないやばい――
 (じょう)(あたま)をかきながらバーカウンターの前を(とお)()ぎようとしたとき、(あおい)が「(じょう)さーん」と言いながら(はし)ってきた。
「本当にこの間はすみませんでした」
「おう。こっちこそ(わる)かったな。いきなり(なぐ)ったりして」
「いえ、そのことは本当に気にしないでください。ぼくが(わる)かったんです。それより、よかったですね。ノースバウンドのライブに出られるなんて」
いや。まだ出られるって()まったわけじゃない
 (あおい)興奮(こうふん)してしゃべり(つづ)ける。
大丈夫ですよ。きっと出られます! さっきの(じょう)さん、すごくかっこよかったです! 『チャンスは(あた)えてもらうものじゃなくて、自分でつかみとるものだ』って。しびれました! (きょく)()いたことないですけど、(じょう)さんのバンドなら絶対(ぜったい)大丈夫ですよ!」
「おいおい。勝手(かって)なこと言うなよ。自信(じしん)がないわけじゃないけど、今はちょっとまずいことになってるんだ」
「まずいこと?」
「ドラムがいないんだ。一週間前にバンドを()けちまっ
「えー
「だから、新しいドラムを(さが)さなきゃいけないんだ……あっ、そうだ。ライブハウスで働いているんだから、いろんな話、聞こえてくるだろ? だれかいいドラム、いない?」
「います! ここに」
えっ?」
ぼく、ドラマーなんです! 自分で言うのもなんですけど、けっこう()()いんです
「うそ?」
 
 の日、(あおい)(そう)()(じょう)たちがバンド練習をしているスタジオにやってきた。
 (あおい)実力(じつりょく)本物(ほんもの)だった。父親がジャズバンドのドラムをやっていて、その影響(えいきょう)(さい)のころからドラムを(たた)いていたらしい。(あおい)はライブ(よう)(きょく)たっ二日完璧(かんぺき)(おぼ)えてしまった。慎吾(しんご)晴樹(はるき)もそんな(あおい)実力(じつりょく)素直(すなお)(みと)るしかなかった
 (あおい)は自分でも(おどろ)いたような(かお)をして言った。
「ぼく、このバンドに入るために、今までドラムをやっていたんだと思います。バレットの(きょく)、どれも最高(さいこう)です」
 こうして、(あおい)バレットメンバーになった。
 
水曜日。予定(よてい)(どお)り、リープでテストが行われた。
音のチェックが終わり、(じょう)はステージのマイクの前に立った。客席(きゃくせき)には和田(わだ)と店のスタッフ、その後ろには黒沢(くろさわ)姿(すがた)も見えた。
大きく(いき)()い、ゆっくり()き出した。そして、後ろを()き、メンバーに開始(かいし)合図(あいず)(おく)ると、(じょう)は目を()じた。

スティックを(たた)く音
 (あおい)のドラムがリズムを(きざ)み始める
 慎吾(しんご)のベースが低音(ていおん)(ひび)かせる
 晴樹(はるき)のギターが大きくうなる
 (じょう)は目を開け、マイクを()()せた
体の(おく)から()み上げてくる
 (はじ)き出された歌声(うたごえ)聴衆(ちょうしゅう)(むね)()()いた


 その夜、(じょう)孝弘(たかひろ)に手紙を書いた。

***************
 孝弘(たかひろ)

 やっぱり五万円は(かえ)す。
 金は自分たちでなんとかする。
 リンゴと手紙だけで十分だ。ありがとよ。
 お(れい)幸運(こううん)のピックをおまえにやる。
 大切にしろよ。
 おれたちは絶対(ぜったい)にあきらめない。
 おまえは世界一(せかいいち)のリンゴ(のう)()になれ。                 
 Good Luck
                        (じょう)
***************

 (じょう)は手紙を書き終え、ギターから(はず)したピックを封筒(ふうとう)に入れると、(はこ)(のこ)った最後(さいご)のリンゴにかじりついた。
                                               (完)                               

            

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