世の中にはありがたい神様がたくさんおりますが、中にはありがたくない神様というのもおります。例えば、「貧乏神」に憑かれると、家が貧乏になってしまいます。「疫病神」に憑かれると、その家の人々が病気になったり、家の中で良くないことが起きたりします。それから、「死神」という恐ろしい神様がおりまして……
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「ただいま……」
「おかえり。金はできたかい?」
「だめだ。どこも貸してくれねえ」
「できなかったの!? ほんの少しのお金も借りられないで、あきらめて帰ってきたのかい」
「だって、みんな『金がない』って言うんだから、しょうがないだろ」
「それは『あなたに貸す金はない』って意味よ。ないわけないでしょ。もうやだ! あんたなんか豆腐の角に頭をぶつけて死んだらいい!」
「豆腐の角に頭ぶつけて死ねるか」
「あんたなら死ねるわよ。もういい。出てけ!」
男は妻に家を追い出されてしまった。
「ああ、あんな強い女はいないね。『豆腐の角に頭をぶつけて死ね』だって。家にいれば金がないってギャーギャー言われるし、どこに行っても金は貸してくれないし、もう生きてるのが嫌になっちゃった……死のう」
ぶつぶつ言いながら歩いていると、男はいつの間にか橋の上までやってきた。
「川に飛び込むのは嫌だなぁ。おれは泳げねえんだ。七つの時に井戸に落ちたことがあるが、あんな苦しい思いは二度としたくねえ。生きてるほうがまだいいや……どうしようかなあ」
それからまた少し歩くと、古い大きな木があった。
「大きな木だねえ……そうだ。この木の枝で首を吊って死のう。けど、首を吊るのは初めてだ。どうやるんだ?」
「教えてやろうか」
「えっ……だれだ!?」
「俺だよ」
木の陰から、やせた老人がすっと現れた。頭には薄い白い毛がぼやっと生え、灰色の着物を着て、藁草履をはき、竹の杖を突いていた。
「教えてやろう」
「だれだよ! おまえは……」
「死神だよ」
「し、死神……ああ、嫌だ。おれは今まで死のうなんて思ったこと一度もなかったんだ。それなのに、急に死にたくなったんだ。おまえのせいだな。あっち行け!」
「ヘッヘヘ、そう言うな。おまえと俺とは昔からの深いつながりがあるんだ。そんなこと言っても、おまえにはわからないだろうが……。おまえにはまだ寿命が残ってる。そういう人間は死のうとしても死ねないようになってるんだ。それよりいい話がある……」
「嫌だよ! 死神と話すことなんか何もねえよ」
男はその場から立ち去ろうとした。
「おい、待ちな。逃げようとしたって無駄だ。おまえは足で歩いて逃げるが、俺は風に乗って飛べるんだ。まあ、怖がるな。ずいぶん困っているようじゃないか。俺がいい仕事を世話してやるよ」
「え、仕事?」
「ああ……おまえ、医者になれ」
「医者!? おれは病気の治し方も薬の作り方も知らねえし、医者なんて無理だよ」
「そんなのはどうでもいいんだ。俺がやり方を教えてやる。いいか。長い間寝込んでいる病人には死神が憑いているんだ。枕元か足元のどっちかに死神が必ずいる。頭の方に死神が座ってる場合はもうダメだ。寿命が終わってるんだから、絶対に手をつけちゃいけない。逆に、死神が足元に座っている場合はまだ生きられる。呪文を唱えると、死神は消えて、病人はあっという間に元気になる」
「わ、わかったよ。その呪文ってのは何だ?」
「いいか。決して人に言うなよ。『アジャラカモクレン、テケレッツノパ』と唱えて、ポンポンと手を二つ叩くんだ。こうされると、死神はどうしても帰らなきゃいけない決まりがあるんだ」
「ふーん、『アジャラカモクレン、テケレッツノパ』で、手をポンポン。これでいいのかい? 死神さん? あれ、どこ行った? あ、そうか。呪文を唱えたから帰ったのか。これはいいことを教えてもらった」
男は家に帰ると、昨日食べたカマボコの板に下手な字で「医者」と書いた。そして、表に出ると、外からよく見えるところにそれをかけた。すると、すぐに人が訪ねてきた。
「ごめんください」
「はい、何か用ですか?」
「こちらはお医者様でいらっしゃいますか?」
「はい、わたしが医者ですけど、何でしょう?」
「先生でしたか。失礼しました。私は日本橋の越前屋の使用人でございます。実は、主人が重い病気にかかっておりまして、いろいろな先生に診ていただいたんですが、なかなか良くならないのです。先ほど、この家の前を通った際に「医者」という字が目に入りましたもので、こちらへ伺った次第です。ぜひ先生に一度診ていただくことはできませんでしょうか」
「なるほど。いいですよ。じゃあ、行きましょう」
変な医者だと思ったが、使用人は男を店に連れて行った。使用人が番頭に話をすると、番頭は「まあ、診せるだけなら間違いもないだろう」と男を主人の部屋まで案内した。
部屋に入ってみると、死神が病人の足元の方に座っていた。
「おっ、これはご主人治りますね」
「本当ですか!? しかし、どの先生も難しいと…」
「治ります。……ところで、治したら、お礼はいただけますよね?」
「それは、もちろん」
「そうですか。ちょっとお待ちください」
男はそう言うと、死神を見て、
「アジャラカモクレン、テケレッツノパー」
と唱えて手をパンパンと二度打った。すると、死神がすっといなくなった。真っ青だった病人の顔色が変わり、ぱっと起き上がると、
「おい、お茶を一杯持ってきてくれ。なんだか頭から雲がすっと晴れたようだ。久しぶりに気分がいい。……腹が減ったなあ。何か食べるものはないか?」
と言ったので、みんな驚いた。
越前屋の主人はすっかり元気になって、男はたっぷりお礼をもらった。すると、あっちこっちで「あの先生はすばらしい医者だ」と言われるようになり、次々に助けてほしいと人がやってきた。しかも、都合がいいことにみんな足元に死神がいた。呪文を唱えて手を打つだけで、死神はすっと消えていく。病人はすぐに元気になる。
貧乏暮らしをしていた男が、立派な家を建て、いい着物を着て、うまいものを食う。外に女をつくって家に帰らなくなる。それに文句を言う妻に金と子どもを渡して別れてしまう。
「ねえ、先生……」
「何だい?」
「わたしねえ、一度関西の方に旅行に行ってみたいなあって思ってるの」
「関西かあ。いいねえ、おれも行きたいと思ってたんだ。よし、じゃあ、行こう。……そうだ。留守にするのは面倒だから、家も売ろう」
そして、男は女を連れて関西へ。あっちこっちで贅沢をして毎日楽しく過ごしていたが、金というのは使えばなくなってしまうもの。金がなくなれば、女もすっといなくなる。仕方がないと男は一人で江戸に戻って、残りの金で家を買った。医者の仕事を始めれば、また儲かるに違いないと思っていた。ところが、どうしたことか病人が来ない。たまに声がかかって行ってみると、みんな枕元に死神が座っている。
しばらくすると、麹町三丁目の伊勢谷伝右衛門という金持ちの使用人がやってきた。主人を診てほしいと言うので、「よし、きた!」と行ってみると、死神は枕元に座っていた。
「あぁ、これはだめだ。この病人は助からないね。諦めなさい」
「そこを何とか一つ、先生、お願いします」
と番頭が頭を下げた。
「お願いされても、治らないものはしょうがないよ」
「お礼は三千両でいかがでしょうか」
「お金をもらっても助からないものはしょうがないんだよ。寿命だ。諦めてくれ」
「それでは、二、三カ月でも寿命を伸ばしていただけたなら、一万両のお礼をいたします」
「えっ!? 一万両? うーん、そうなると何とか助けたいけど……」
男はしばらく考えた。そして、あることを思いついた。
番頭の耳元に小声で言った。
「いいかい。気が利いて力のある若い男を四人そろえてくれ。その四人を病人の寝ている布団の四隅に一人ずつ座らせておくんだ。それで、わたしがポンと膝を叩いたら、いっせいに布団を持ち上げて、くるっと回すんだ。病人の足と頭の場所を入れ替えてほしいんだよ。それができれば、ご主人は助かるかもしれない。ただし、一回きりの勝負だ。失敗したら、それまでだ」
番頭はそれで病気が治るならと、言われたとおりに四人の男を連れてきて、病人の布団の四隅に座らせた。
夜が更けて暗くなると、死神の目がギラギラ輝いてくる。病人が「うーん、うーん……」と苦しんだ。ところが、夜が明けてくると、死神も疲れてきたのか、こっくりこっくり居眠りを始めた。
それを見て、男は四隅にいる四人に目で合図をして、「ここだ!」と思うところでポンと膝を打った。途端に布団がくるっと回って上下が入れ替わる。
「アジャラカモクレン、テケレッツノパー」
と早口で唱えて、手を二回パンパンと打った。
死神は「うわーっ!」と飛び上がって驚いた。そして、そのまま消えてしまった。
「もう大丈夫だ……」
病人はたちまち具合が良くなり、「ありがとうございました」と金が届いた。
男はもらった金で酒を飲み、いい気分で夜道を歩いていた。
「ああ、やっぱり人間ってものは困った時にこそいい知恵が出るもんだねぇ。それにしても、あの死神の驚いた顔と言ったら……はっははは……」
後ろから低い声が聞こえた。
「なぜあんなバカなことをした」
振り向くと、そこにはあの死神がいた。
「お、おぉ、死神さん、どうもお久しぶりです」
「何が久しぶりだ。まさかおまえ、俺のことを忘れてはいないだろうな」
「ええ、もちろん忘れたりしませんよ。最初に会った死神さんですよね? あんたのおかげで、ずいぶん儲かりました」
「そうか、ちゃんと覚えていたか。それなのにあんなバカなことをやるなんて……」
どうもさっきあそこにいたのは、このじいさんの死神だったらしい。ところが、死神というのはみんな同じ姿をしているから、男もそうだとは気付かなかった。
「えっ、それじゃ、さっきあそこにいたのは、あんただったんですか? それは申し訳ないことをしました。まさかあんただとは思いませんでした。じゃ、わたしがもらった金を半分あんたにあげるから、それで許してください」
「何言ってるんだ……まあ、やってしまったことは仕方がない。俺といっしょに来い」
「こ、来いって、どこへ行くんですか?」
死神が竹の杖で地面を突くと、そこにぽっかり大きな穴が開いた。穴の中には下へ向かう階段が続いていた。
「さあ、ここを降りろ」
「嫌だよ。こんな気味が悪いところへ降りるなんて……ねえ、許してくださいよ。あんたとは知らずにやったことなんだからさ」
「いいから降りろ!」
「降りろって……中は真っ暗じゃねえか」
「大丈夫だ。俺の杖につかまれ。降りて来い」
「え、杖に? ちょ、ちょっと待って……そんなに引っぱったら危ない、危ないよ!」
「早く降りろ」
階段を降りていくと、ぱっと明るくなった。広い部屋にたくさんのロウソクが並んでいた。
「ずいぶんたくさんロウソクがあるんですねえ。何ですか、これは?」
「このロウソクは人の寿命だ」
「はあ~、昔から、人の寿命はロウソクの火みたいだって言いますが、ずいぶんたくさんあるものですね。長いのや短いのやいろいろなのが……、あ、ここにロウがたまって暗くなっているのがありますね」
「そういうのは病気になっているんだ。ロウを取り除いて、火がまっすぐに立てば病気は治る」
「ふーん、そうですか。お、ここにずいぶん長くて明るく燃えてるのがありますね」
「それはおまえの息子だ」
「へえー、息子ですか。あいつはずいぶん長生きするんですね。そのとなりの半分ぐらいでよく燃えてるのは?」
「おまえの元の奥さんだよ」
「ああ、あいつですか。やっぱりあいつも長生きなんですねえ。ここにずいぶん短くなって今にも消えそうなのがありますが……」
「おまえだ」
「え?」
「それがおまえの寿命だよ」
「い、今にも消えそうじゃねえか!」
「消えそうだね。消えた途端に命はなくなる。もうすぐ死ぬよ」
「う、嘘だ! だって、あんた、初めて会った時に『おまえにはまだ寿命がある』って言ったじゃねえか! あれは嘘か!?」
「嘘じゃない。おまえの本来の寿命はあのロウソクだ。あの半分より長く明るく燃えているのが、おまえの寿命だ。それなのに、おまえは金のために寿命を取り換えたんだ」
「そ、そんな……」
「フッフフ。おまえはもうすぐ死ぬよ」
「嫌だ! なあ、助けてくれよ。寿命を元に戻してくれよ」
「もうダメだ」
「そんなこと言わないでさ。なあ、頼むよ、死神さん、死神様!」
「ダメだ。一度取り替えたものは二度と元に戻せない。諦めろ」
「頼む。もう一度だけ!」
そう言うと、男は死神に向かって手を合わせた。
死神は呆れたような顔をして、足元に転がっているロウソクを拾い上げた。
「しょうがない男だ。ほら、ここに半分ぐらいのロウソクがある。途中で消えてしまったロウソクだが、これにその短いロウソクの火をうつしてみろ。うまく火がつけば、おまえの命は助かる」
「ありがとう……ありがとう…」
男は死神からロウソクを受け取ると、消えかけのロウソクを手に取ろうとした。だが、短くてなかなか取れない。
「早くしないと消えるよ」
「早くしろって……おまえ…」
「どうした、手が震えてるぞ。震えると消えるよ」
「そ、そんなこと言ったって、身体が勝手に震えるんだからしょうがないだろ」
「早くしな。早くしないと消えるよ」
「黙っててくれよ」
「ほら、今にも消えそうだ。フフフ、早くしな。死ぬよ」
「う、うるさい。黙ってろ!」
「ほら、早く。早くしないと消えるよ。消えると命はないよ。ヒッヒヒヒ……」
「やめてくれ! つけ! つけ! つけよ!」
「消えるよ。消えるよ。消えると死ぬよ。死ぬよ。クッククク……」
「あ、あああぁ、消える、消え……」
「ほら、消えた」
(完)
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