榎谷ことり。17歳。ハンバーガーショップでアルバイトをしている普通の高校二年生。祖父は元探偵。父は刑事。彼女は大のミステリー好き。今日も彼女の近くで事件が起きる。
* * * * *
ぼくの上司の松本課長は今年五十歳になる。十年前に離婚して今は独身だ。性格は子どものようにわがままで怒りっぽい。自分では仕事をほとんどせずに、部下に仕事を押しつける。そして、「仕事が遅い!」とか、「レポートが読みにくい!」とか、いつもでかい声で怒っている。特にぼくには厳しい。仕事以外のことでも何度も叱られた。「髪が長すぎる!」とか、「そのネクタイの柄はなんだ! 大学生か!」とか、髪形や服装にもいちいち文句を言われる。松本課長はぼくのことが嫌いなのだ。
叱られてばかりいるのは本当に悔しくて辛いが、なんとか我慢している。ぼくにはサヤカがいるからだ。いくら課長に叱られても、彼女がいれば平気だ。彼女の笑顔を見れば、どんな嫌なことでも忘れられる。だから、仕事中でもついスマホの画面を見てしまうのだ。けど、それを先週松本課長に見つかってしまった。
「尾沢! おまえ、仕事中に何をニヤニヤしてるんだ!? スマホをよこせ!」
「は、はい……」
「なんだ? これは?」
「……ら、『ラブ・ら・ドール』というゲームのキャラクターでサヤカと言います……」
「サヤカ? この変な服を着ている、頭が悪そうな女のことか? ふん、彼女がいないからってゲームで恋愛か。しかも、仕事中に。おまえ、会社に何しに来てるんだ! だいいちこんな水色のスマホケースを使って恥ずかしくないのか!」
「申し訳ありません……」
みんなもクスクス笑っていた。
――もう我慢できない。みんなの前でぼくだけじゃなくて、サヤカのことまでバカにするなんて許せない!
このとき、ぼくは松本課長を殺そうと決めた。
今日夕方5時に会社を出ると、駅のコインロッカーに入れてあったバッグを取って、公園に向かった。公園のトイレの個室に入ると、スーツを脱いで、週末に買った服に着替えた。黒いジャンパーとジーンズ、紺色の帽子をかぶって、マスクをした。靴もスニーカーに履き替えた。サングラスも用意したが、夜にサングラスをかけていると、怪しい男だと思われるのでやめた。
トイレを出るとき、鏡で自分の姿を見てみると、別人に見えた。
――この格好なら、だれもぼくだと気づかないはずだ。
着替えた後は、ゲームセンターと本屋でしばらく時間をつぶした。そして、8時からこの駅前広場にいる。
今晩は職場の飲み会がある。誘われたときは参加すると言ったが、今朝飲み会の幹事に「体調が良くないから」とウソをついてキャンセルした。松本課長は参加しているはずだ。だが、松本課長はお酒があまり強くないので、いつも二次会には行かない。飲み会は、会社の近くの居酒屋で6時から始まり、8時過ぎに終わる。今は8時半。課長は電車に乗って帰るため、そろそろこの駅前広場を通るはずだ。
松本課長が来た。一人だ。同僚がいっしょだったら、中止しようと思っていた。顔が赤い。何杯かお酒を飲んだようだ。時計を気にしているが、次の電車まではまだ時間は十分ある。
課長が目の前を通りすぎ、改札に入っていった。その後ろから女子高生が改札に入っていった。ぼくも買っておいた切符で改札を通った。松本課長がエスカレーターでホームに上がっていくのが見えた。急ぐ必要はない。どこへ行くかはわかっている。ゆっくり歩いてエスカレーターに乗った。
松本課長は、ホームの端の方にいた。しかも、周りにはほとんど人がいない。都合がいい。電車が来るまで、まだ少し時間がある。あまり近くまで行くと気づかれてしまう。少し離れたところで待っていよう。
三人掛けのベンチがある。右端にさっきの女子高生が座っていた。一つ空けて左端に座ってスマホの画面を開く。もちろん、「ラブ・ら・ドール」だ。女子高生は本を読んでいる。ちらっとこっちを見たような気がするが、気にしなくていいだろう。
――サヤカ。もうすぐ君のことをバカにした男を殺してあげるからね。成功するように応援してて。
そろそろ電車が来るころだ。人々が列に並び始める。今、ホームにいるのは十五人ぐらいだ。静かに歩いて、松本課長の後ろに立った。少し離れたところに会社員が一人並んでいた。イヤホンを付けて、じっとスマホの画面を見ている。
「まもなく二番線に――」
駅のアナウンスが流れた。だれも見ていない。
――今だ!
松本課長の背中を強く押した。
「おっ、うわっ!」
松本課長の身体がドサッと線路に落ちた。
――よし! うまくいった。
「だれか、線路に落ちたぞ!」
ホームにいるだれかが気づいたようだ。
若い男性が線路に下りようとした。そのとき、
「下りちゃだめ!」
という声が聞こえた。
あの女子高生だ。
「そこの非常停止ボタンを押して!」
と言って、ホームの柱にあるボタンを指した。そばにいた男性はすぐに言われた通り、ボタンを押した。
大きな音が鳴った。
女子高生はホームから倒れている松本課長に声をかけた。
「大丈夫ですか!? 今、駅員が来ます。立てますか?」
「あ、ああ、大丈夫だ」
と言って、ゆっくり立ち上がると、ホームに近づいてきた。
「だめ! ホームに上るのは無理! あそこ! 黄色い待機スペースが見える? あそこに入って!」
松本課長は、女子高生が指差す方へふらふらと歩き始めた。駅員が階段の方から走ってきた。電車も来ない。止まったようだ。
――まずい……失敗だ。今のうちに逃げよう。
こそこそと階段の方へ向かった。しかし、階段を下りようとしたところで、後ろから声をかけられた。
「ちょっと待ってください!」
「……」
「あなたはあの線路に落ちた人の知り合いじゃないですか?」
心臓をギュッとつかまれたように感じた。振り返らずに「ちがいます!」と言うと、一気に階段を駆け下りた。後ろは見なかったが、声でわかった。あの女子高生だ。あいつは、いったい何者だ!?
「待って!」
後ろから追いかけてくる。改札をジャンプして飛び越えると、駅前の通りへ向かって必死で走った。中学、高校と陸上部だった。足には自信がある。
駅前広場を抜け、通りまで出ると、もう追いかけて来なかった。
――大丈夫だ。服装は見られたけど、顔は見られなかったはずだ。
駅前の通りをわたり、公園のトイレで着替えた。それから、となりの駅まで歩いて、タクシーに乗った。
アパートの前でタクシーを降りた。部屋の前で鍵を出そうとしたとき、男が二人現れた。
「尾沢聡さんですね。警察の者ですが、ちょっとお話を聞かせてもらえませんか?」
「えっ、なんで!?」
*
* * * *
翌朝、ことりがあくびをしながら新聞を読んでいると、母親が話しかけてきた。
「ずいぶん眠そうね。ことりもおとうさんもあまり寝てないんじゃない? 昨日の夜は大変だったから」
「わたしは平気。たぶん授業中寝るけど」
「そう。ねえ、じゃあ、ちょっと教えて。昨日の事件のことだけど、どうやってことりは犯人を見つけたの? 犯人が松本っていうおじさんを突き落としたのを見たわけじゃないんでしょ?」
「うん、見てない。でも、あの男の人は服装が怪しかった。頭から足まで全部新品みたいだったの。それで、こっそり逃げようとしてるところで声をかけたら走り出したから、間違いないって思ったの」
「へえー。でも、事件じゃなくて事故かもしれないじゃない。そのおじさんが自分で線路に落ちたって可能性もあるでしょ?」
「それもなくはないけど、あのおじさん、改札からホームまで普通に歩いてたもん。ちょっとお酒くさかったけど」
「ふうん。じゃあ、どうして逃げた犯人が職場の人ってわかったの?」
「スマホケースよ。あの人、ホームのベンチでスマホを使ってたの。大人の男性が水色のスマホケースなんて珍しいでしょ? それで、おじさんに会社とか身のまわりで水色のスマホケースを使っている男性がいないか聞いてみたの。そしたら、『いる』って言うから、すぐにおとうさんに連絡して、本人が自宅に帰るところを警察に捕まえてもらったの」
「ふうん。自分は着替えたけど、スマホを着替えさせるのは忘れたってわけね」
(完)
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