Sunday, January 31, 2021

へやさがし★★★

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 杉すぎ田た亘のぼる、25歳さい。ぼくは柳之やなぎの下町したちょうにある小ちいさな不ふ動どう産さん屋やで働はたらいている。今年ことしで三さん年ねん目めだ。だいぶ仕し事ごとも覚おぼえたが、まだ一人でアパートやマンションなどの物件ぶっけんを案内あんないしたことはない。毎日まいにち、社しゃ長ちょうには叱しかられてばかりいる。昨日きのうも「客きゃくの顔かおをちゃんと覚おぼえておけよ!」と注ちゅう意いを受うけた。

――八百屋(やおや)じゃないんだから、たまにしか来(こ)ない客(きゃく)の顔(かお)なんか覚(おぼ)えられるわけがない。

 夕方(ゆうがた)、店(みせ)には社長(しゃちょう)とぼくしかいなかった。ぼくがトイレから戻(もど)ってくると、長(なが)い髪(かみ)の女性(じょせい)が、じっと店(みせ)の前(まえ)に貼(は)ってある部屋(へや)のチラシを見(み)ていた。いつもなら社長(しゃちょう)がニコニコして外(そと)へ出(で)ていってお客(きゃく)さんに声(こえ)をかけるのだが、今日(きょう)は気(き)づいていないようだ。のんびり新聞(しんぶん)なんか読(よ)んでいる。いいチャンスなので、ぼくが声(こえ)をかけてみることにした。

 外(そと)へ出(で)ると、冷(つめ)たい風(かぜ)が吹(ふ)いていた。ぼくはできるだけ優(やさ)しくその女(じょ)性(せい)に声(こえ)をかけた。

「いらっしゃいませ。よかったら、中(なか)でお茶(ちゃ)でも飲(の)みながら……」

 女(じょ)性(せい)は少(すこ)し驚(おどろ)いたような顔(かお)をしたが、「ええ」と言(い)って店(みせ)の中(なか)へ入(はい)ってきた。

「アパートを借(か)りたいんです」

「ええ。それではこちらにおかけください」

「今(いま)住(す)んでいるアパートが古(ふる)くなって、今(こん)度(ど)壊(こわ)すことになったんです。気(き)に入(い)っていたんですが……」

「そうですか。それは困(こま)りましたね。わかりました。では、どのような部屋(へや)がよろしいですか?」

「うるさいのが苦(にが)手(て)なので、できるだけ静(しず)かなところがいいです」

「駅(えき)から少(すこ)し遠(とお)くなってもいいですか?」

「ええ、かまいません」

「はい、かしこまりました。では、家(や)賃(ちん)は?」

「いくらでもけっこうです」

「……かしこまりました。それでは少(しょう)々(しょう)お待(ま)ちください」

――彼(かの)女(じょ)はお金(かね)持(も)ちなのか? 地味(じみ)な格好(かっこう)をしているし、そんなふうには見(み)えないけど…… 

 お茶(ちゃ)を出(だ)してから、パソコンでその条(じょう)件(けん)に合(あ)う部(へ)屋(や)をいくつか探(さが)して、プリントした。そして、それを彼(かの)女(じょ)に見(み)せながら説(せつ)明(めい)した。すると、直(ちょく)接(せつ)見(み)に行(い)きたいと言(い)った。もう外(そと)は暗(くら)くなりかけていたが、特(とく)に急(いそ)ぐ仕(し)事(ごと)もないので、車(くるま)で案(あん)内(ない)することにした。

 店(みせ)を出(で)るとき、社(しゃ)長(ちょう)に「いってきます」と言(い)うと、心(しん)配(ぱい)そうな顔(かお)をした。

――もう、そんなに心(しん)配(ぱい)しなくてもいいのに……。案(あん)内(ない)ぐらい一人(ひとり)でできるよ。

 

 一(いっ)件(けん)目(め)の部屋(へや)は、駅(えき)から歩(ある)いて十(じゅっ)分(ぷん)ぐらいのところにあるアパートだ。

「このあたりは住(じゅう)宅(たく)地(ち)で静(しず)かだし、近(ちか)くにコンビニもあって便(べん)利(り)でいいですよ。それに、去(きょ)年(ねん)建(た)てたばかりなので、部屋(へや)もきれいで新(あたら)しいし……」

「すみません。新(あたら)しい部屋(へや)はちょっと落(お)ち着(つ)かなくて……」

「そうですか」

――新(あたら)しい部屋(へや)が嫌(いや)? 珍(めずら)しいお客(きゃく)さんだなあ。でも、よく考(かんが)えると、さっき家(や)賃(ちん)は、いくらでもいいと言(い)ってたけど、本(ほん)当(とう)は安(やす)いところがいいのかな。

 

 二(に)件(けん)目(め)の部屋(へや)は、駅(えき)から歩(ある)いて十(じゅう)五(ご)分(ふん)ぐらいのところにあるアパートだ。

「このアパートは十(じゅう)八(はち)年(ねん)前(まえ)に建(た)てられました。ここは二(に)階(かい)の角(かど)部屋(べや)だし、窓(まど)も南(みなみ)向(む)きなので、昼(ひる)間(ま)は明(あか)るくていいですよ。ちょっと駅(えき)から遠(とお)いので、家(や)賃(ちん)も安(やす)くなります」

「う~ん」

「どうですか?」

「……わたし、明(あか)るいのが苦(にが)手(て)なんです。日当(ひあ)たりがいいのはちょっと……」

「そうですか」

――そう言(い)えば、肌(はだ)が白(しろ)い。できるだけ日(ひ)焼(や)けしたくないのかもしれない。 

 

 三(さん)件(けん)目(め)の部屋(へや)は、お寺(てら)の裏(うら)にある古(ふる)いアパートだ。

「この部屋(へや)は、窓(まど)も北(きた)向(む)きで、あまり日(ひ)も入(はい)りません。もう三十年前(さんじゅうねんまえ)に建(た)てられたアパートですから、家(や)賃(ちん)も安(やす)いですよ。どうでしょう?」

「すみません。やっぱりこの部屋(へや)は……」

「どうしましたか?」

「夜(よる)になると、にぎやかになりそうなので……」

「えっ!? ご覧(らん)の通(とお)り、隣(となり)がお寺(てら)なのでとっても静(しず)かですよ」

しかし、彼女(かのじょ)はそれ以(い)上(じょう)何(なに)も言(い)わなかった。そして、部屋(へや)を出(で)ると「次(つぎ)をお願(ねが)いします」と言(い)った。

――そう言(い)えば、彼女(かのじょ)、窓(まど)を開(あ)けてお寺(てら)の墓(はか)場(ば)をじっと見(み)ていた。もしかして彼女(かのじょ)は幽(ゆう)霊(れい)が見(み)えるのか!? 

 

 四(よん)件(けん)目(め)に着(つ)いたときには、もう辺(あた)りはすっかり暗(くら)くなっていた。

ここはアパートではなく、古(ふる)い二(に)階(かい)建(だ)ての借(しゃく)家(や)だ。四(よ)年(ねん)前(まえ)ここに住(す)んでいたおばあさんが亡(な)くなってから、だれも借(か)りる人(ひと)がいない。

「もうここが最(さい)後(ご)です。駅(えき)から三(さん)十(じゅっ)分(ぷん)ほどかかりますが、お客(きゃく)様(さま)の希(き)望(ぼう)にぴったりだと思(おも)います。静(しず)かで、古(ふる)くて、暗(くら)い……どうですか?」

「いいですね。ここ。気(き)に入(い)ったわ」

「そうですか。よかったです。それで、こちらの家(や)賃(ちん)なんですが……」

「ごめんなさい。実(じつ)は、わたし、家(や)賃(ちん)が払(はら)えないの」

「えっ。五(ご)万(まん)円(えん)ですが、高(たか)いですか。それならもっと安(やす)くしてもいいです!」

「そうじゃないの。払(はら)いたいけど払(はら)えないの。わたし、幽霊(ゆうれい)だから」

「えっ」

女(おんな)の暗(くら)く冷(つめ)たい目(め)に僕(ぼく)は飲(の)み込(こ)まれた。

「あなた、幽(ゆう)霊(れい)が見(み)えるのね」

息(いき)が苦(くる)しい。声(こえ)が出(で)ない。

――そうか。社長(しゃちょう)は彼女(かのじょ)に気(き)づかなかったんじゃない。彼女(かのじょ)が見(み)えなかったんだ……

女(おんな)が近(ちか)づいてくる。だが、足(あし)が固(かた)まったように動(うご)かない。

「く、来(く)るな!」

目(め)の前(まえ)まで来(く)ると、女(おんな)はにこっと笑(わら)った。背(せ)中(なか)から冷(つめ)たい汗(あせ)が流(なが)れた。そして、ぼくの耳(みみ)に顔(かお)を寄(よ)せ、

「杉(すぎ)田(た)さん、親(しん)切(せつ)にしてくれてありがとう」

と言(い)うと、暗(くら)い廊(ろう)下(か)の方(ほう)へ進(すす)んで行(い)き、階(かい)段(だん)の手(て)前(まえ)で、ふっと消(き)えた。

しばらくすると、二(に)階(かい)から、ギシッ、ギシッ、という音(おと)が聞(き)こえた。ぼくは怖(こわ)くて、二(に)階(かい)へ上(あ)がれなかった。

 

 次(つぎ)の日(ひ)、ぼくは社長(しゃちょう)に昨日(きのう)起(お)きたことを話(はな)した。

「信(しん)じてくれますか?」

 すると、社(しゃ)長(ちょう)はこう言(い)った。

「もちろん信(しん)じるさ」

「本当(ほんとう)ですか?」

「ああ、だって、十(じゅう)年(ねん)前(まえ)に彼女(かのじょ)に部屋(へや)を探(さが)してあげたのは、わたしだからね」

「えっ……」

「実(じつ)は、昨日(きのう)も見(み)えていたんだよ。けど、また彼(かの)女(じょ)に付(つ)き合(あ)うのは嫌(いや)だから、見(み)えないふりをしてたんだ。家(や)賃(ちん)も払(はら)ってくれないし。でも、まさか杉(すぎ)田(た)君(くん)も見(み)えると思(おも)わなかったよ。ほら、いつも言(い)ってるだろ。客(きゃく)の顔(かお)はちゃんと覚(おぼ)えておけって」

(了)


Monday, January 11, 2021

Good Luck! 2  ―Half Moon― ★★★★★

 「乾杯かんぱい!」

 その日のライブの打(う)ち上げでは丞(じょう)たちの周(まわ)りに人が集(あつ)まってきた。みんなが聞きたいのは、今夜のライブのことではない。先月行(おこな)われた、人(にん)気(き)ロックバンド「ノースバウンド」のライブのことだ。丞(じょう)たちのバンド「バレット」は、そのライブで前(ぜん)座(ざ)としてステージに立ったのだ。

「おれたちの出(で)番(ばん)が終わったあと、ステージ袖(そで)であのノースバウンドの川北(かわきた)さんが『おまえのギター、良かったぜ!』って言ってくれたんだ! もう飛(と)び上がるほどうれしかった!」

「それ、もう何回も聞いたよ」

 上(じょう)機(き)嫌(げん)で話す晴(はる)樹(き)の後ろで、丞(じょう)はちびちびビールを飲んでいた。

 こういう場(ば)で人と話すのは苦(にが)手(て)だ。それに、さっきまで全(ぜん)力(りょく)で歌ってクタクタなのに、明日は朝5時からコンビニのバイトがある。ビールは好きだが、少し抑(おさ)えて飲まないと、起きられそうにない。

「丞(じょう)さん、飲んでますか? 新しい飲み物、持って来ましょうか?」

 話しかけてきたのはドラムの葵(あおい)だ。葵(あおい)は一カ月前にバンドに入ったばかりなのに、もうすっかりなじんでいる。そして、意(い)外(がい)と気がきく奴(やつ)で、積極的(せっきょくてき)にバンド活動(かつどう)の雑用(ざつよう)もこなしてくれる。

「じゃ、ウーロン茶を頼(たの)む。ん、彼女は?」

葵(あおい)のとなりに見かけない女性(じょせい)がいた。

「あ、ぼくの従姉(いとこ)です。今日のライブ、見に来てくれたんで、打(う)ち上げにも誘(さそ)ったんです」

 言われてみると、なんとなく葵(あおい)と顔(かお)立(だ)ちが似(に)ている。二十歳(はたち)ぐらいだろうか。

 彼女は、にこっと笑(わら)うと

「はじめまして。吉岡(よしおか)和奏(かなで)です」と言って丁寧(ていねい)に頭を下げた。

「どうも、はじめまして。丞(じょう)です」

「今日のライブ、感動(かんどう)しました。うまく言えませんが、まだ胸(むね)に何か残(のこ)っている感(かん)じがします」

「ありがとう。そう言ってもらえると、うれしいです」

「それから、歌詞(かし)も独特(どくとく)ですてきでした。丞(じょう)さんって英語が上手なんですね」

「ああ、それは……」

 丞(じょう)が説明(せつめい)しようとすると、後ろにいた晴樹(はるき)が話に割(わ)り込(こ)んできた。

「丞(じょう)さんは中学までオーストラリアに住んでたんだ。だから、英語はペラペラ。歌詞(かし)を書くときも、まず全部英語で書いて、それを日本語に翻訳(ほんやく)してるんだ。でも、丞(じょう)さんは、漢字が苦手だから、よく間違えて慎(しん)吾(ご)さんに直されてんだ」

「うるせー! おまえだって漢字が苦手だろ! こないだも『生粋(きっすい)』を『なまいき』って読んでたじゃねーか!」

「ああ~! 丞(じょう)さん。ばらさないで~!」

「あはは」

 晴(はる)樹(き)が恥(は)ずかしそうに逃(に)げていき、葵(あおい)が飲み物を取りに行くと、丞(じょう)と和奏(かなで)は二人きりになった。

「慎(しん)吾(ご)さんって、ベースの方ですよね?」

「そう。バンドの中じゃ一番年上でしっかりしてるんだけど、口うるさくて」

「へえー、そうなんですか。ライブを聴(き)きに来たのは初めてですが、実(じつ)は葵(あおい)から丞(じょう)さんやバンドのことはよく聞いてたんです。葵(あおい)を救(すく)ってくれたこととか、大切にしているアコースティックギターのこととか」

「あ、そう」

 丞(じょう)はそのときのことを思い出して少し恥(は)ずかしくなった。

「そう言えば、ライブではそのギターは使わないんですか?」

「ああ。曲(きょく)を作ったりするときには使うけどね」

「ふうん、ちょっと見てみたかったなあ」

 そのあとは、和奏(かなで)の話になった。和奏(かなで)は、大学生二年生で、最近(さいきん)までイギリスに留学(りゅうがく)していたそうだ。大学では英(えい)文学(ぶんがく)を専攻(せんこう)していて、外国の小説などは洋書(ようしょ)で読むという。それから、海と映画とパンケーキが大好きで、虫と料理とトマトが苦手らしい。

和奏(かなで)はおしゃべりだった。けど、うるさくは感じなかった。そして、時折(ときおり)見せる笑(え)顔(がお)がまぶしかった。

 十時を過(す)ぎてもまだ打(う)ち上げは続いていた。和奏(かなで)は腕(うで)時計(どけい)をちらっと見た。

「じゃあ、そろそろ電車の時間なので帰ります。今日は楽しかったです。ありがとうございました」

「こっちこそ。またライブ、聴(き)きに来て」

「はい、ぜひ。じゃあ、また」

「じゃ」

 丞(じょう)も明日のために早めに上がろうと、メンバーみんなに声をかけて回った。晴樹(はるき)も葵(あおい)も楽しそうに飲んでいたが、慎吾(しんご)はあまり飲んでいないのか、まじめな顔で黒沢(くろさわ)さんと話し込(こ)んでいた。

 店を出ると、夜の冷(れい)気(き)が肌(はだ)を刺(さ)した。春になったとはいえ、朝晩はまだ冷(ひ)える。ジャケットの襟(えり)を立て歩き出そうとしたとき、歩(ほ)道(どう)に人がポツンと立っているのに気がついた。

 和奏(かなで)が夜空(よぞら)を眺(なが)めていた。

 まだ帰っていなかったのか。丞(じょう)は和奏(かなで)のとなりに行くと、同じように空を見上げた。

思わずつぶやいた。

「It’s a half moon tonight. 」

 きれいな半月(はんげつ)が空に浮(う)かんでいた。

 和奏(かなで)は月を見上げたまま話し始めた。

「イギリスにいたとき、夜なかなか眠(ねむ)れなくて、ホームステイ先(さき)の家の庭(にわ)でよく月を眺(なが)めていたんです。それから、なんとなく月が好きになって、今でもこうやってときどき眺(なが)めるんです。でも、今日はそのせいで電車一本乗り損(そこ)なっちゃいました」

「そうなんだ」

「わたし、三日月(みかづき)や満月(まんげつ)より半月(はんげつ)が好きなんです」

「なんで?」

「三日月(みかづき)はちょっとさびしそうだし、満月(まんげつ)は自(じ)信(しん)満(まん)々(まん)でいばってる感(かん)じがしませんか。でも、半月(はんげつ)はひかえめだけど、まっすぐで、しっかりしてる。それに、見えない残(のこ)りの半分を追(お)い求(もと)めている感(かん)じが好きなんです」

 和奏(かなで)が言っていることはわかる気がした。

「あっ」

「どうしたんですか?」

「日本語で『はんげつ』って言うんだね。おれ、ずっと『はんつき』だと思ってた」

「やだー、丞(じょう)さん。ほんとに漢字が苦手なんですね。あはは」

 その間違いが自分でもおかしくて、いっしょに声を上げて笑った。

しばらくすると、和奏(かなで)はささやくように歌い始めた。きれいな歌声(うたごえ)だった。何年か前に流行(はや)った洋楽(ようがく)のバラードだ。英語の発音(はつおん)もなかなかだ。丞(じょう)も合わせて歌い出すと、和奏(かなで)が笑顔(えがお)を向(む)けた。

二人の歌声(うたごえ)は重(かさ)なり合い、夜空(よぞら)に溶(と)けていった。

「駅まで送るよ」

「ありがとうございます。じゃあ、歌いながら行きましょう」

「やだよ。恥(は)ずかしい」

「ロックミュージシャンが恥(は)ずかしいなんて言っちゃだめですよ」

 

 三日後。丞(じょう)たちはスタジオで次(つぎ)の単独(たんどく)ライブに向(む)けて練習をしていた。休(きゅう)憩(けい)中(ちゅう)、慎吾(しんご)が新しい曲(きょく)を作ろうと言い出した。

「今度の単独(たんどく)ライブは十曲(きょく)だ。どれもいい曲(きょく)だと思う。ただ、どれも速くて強い曲(きょく)だから、ずっと同じような曲(きょく)が続くと、客が飽(あ)きる。変(へん)化(か)があったほうがいいと思うんだ。今までと違う感(かん)じの曲(きょく)を作ろう」

 晴樹(はるき)が慎吾(しんご)に聞いた。

「たとえば?」

「バラードとか」

 それを聞いて、丞(じょう)は頭をかいた。

――バラードか……嫌(きら)いじゃないが、正(しょう)直(じき)作りたいと思わない。新しい感(かん)じの曲(きょく)が必要(ひつよう)なのはわかるが、今までの自分たちの音楽から外(はず)れてしまわないか。ファンが離(はな)れていったらどうする? それに、そもそもバラ―ドなんて作ったことがない。自(じ)信(しん)がない。

 しかし、そのことを口にする前に、葵(あおい)が、

「いいじゃないですか。バラード、やりましょう。ぼくは賛成(さんせい)です」と言った。

「よし。晴樹(はるき)はどう思う?」

「んん~。おれはあまりゆったりした曲(きょく)は好きじゃないけど、やってみてもいいよ」

 自(し)然(ぜん)とみんなの視(し)線(せん)が丞(じょう)に集(あつ)まった。バレットの曲(きょく)はすべて丞(じょう)が曲(きょく)を書いていた。丞(じょう)はペットボトルの水を一口飲んで言った。

「わかったよ! やってみる。けど、時間をくれ」

「次の練習までだ」と慎吾(しんご)が言い放(はな)った。

「おい、次の練習って来週の火曜だろ!? 一週間もないぞ!」

「じゃないと、次のライブに間に合わない」

 たしかに次のライブまであと一カ月もない。慎吾(しんご)が焦(あせ)る気持ちはわかる。しかし、結局(けっきょく)、丞(じょう)が曲(きょく)を作らないことには何も始まらない。

 晴樹(はるき)がニヤニヤしながら言った。

「丞(じょう)さん、ラブソングでも書いてみたら?」

「うるせー! 勝手(かって)なこと言うな!」

 

 丞(じょう)が困(こま)ったときに向(む)かう場所は決(き)まっている。黒沢(くろさわ)楽器店(がっきてん)だ。

「おう。丞(じょう)、どうした? 暗い顔して」

 店長の黒沢(くろさわ)はギターのメンテナンス中だった。

「黒沢(くろさわ)さん。ちょっと相談(そうだん)したいことがあって」

「またギターを預(あず)けるから金を貸(か)してくれとか言うんじゃないだろうな」

「違いますよ! もう二度とあのギターは手(て)離(ばな)したりしません!」

 以(い)前(ぜん)、黒沢(くろさわ)に宝物(たからもの)のアコースティックギターを預(あず)ける代(か)わりに三十万円を貸(か)してもらったことがあった。

「じゃあ、何だ?」

「新曲(しんきょく)のことです」

「ああ、そのことか。この間のライブの打(う)ち上げでおれが慎吾(しんご)にアドバイスをしたんだ。速い曲(きょく)ばかりじゃなくて、スローな曲(きょく)を入れたらどうかって」

「えっ、あのとき! どうしておれに言ってくれなかったんですか!?」

「だって、あのとき、おまえはかわいい女の子と楽しそうに話してたじゃないか。邪魔(じゃま)しちゃいけないと思ってな」

「……」

「ちゃんと連絡先(れんらくさき)、交換(こうかん)したか?」

「してませんよ! おれ、今はバンドに集中(しゅうちゅう)したいんです」

「ふうん。ロックミュージシャンが恋愛(れんあい)の一つもできないようじゃ、いい曲(きょく)、書けないぞ」

 黒沢(くろさわ)さんの言葉がちくっと胸(むね)に刺(さ)さった。

「黒沢(くろさわ)さん、昔(むかし)バンドを組(く)んでたとき、曲(きょく)を作ってたんですよね? どうやったらバラードが書けますか?」

「そうだなあ。おまえは『前に出たい』っていう気持ちが強いから、自(し)然(ぜん)と速いテンポの曲(きょく)ばかり書くんだ。バラードは恋愛(れんあい)の曲(きょく)が多いだろ。それは『この時間が少しでも長く続いてほしい』っていう気持ちがあるからだ。それで、自(し)然(ぜん)とスローな曲(きょく)に仕(し)上(あ)がるんだ。別(べつ)に恋愛(れんあい)じゃなくてもいいが、そういう経験(けいけん)が少しでもあれば、あとは想像力(そうぞうりょく)で補(おぎな)って書けるはずだ」

 帰り道、丞(じょう)はあの夜のことを思い出していた。和奏(かなで)と月を眺(なが)めて歌ったことを。

 

 アコースティックギターを抱(かか)え、ほぼ徹(てつ)夜(や)で曲(きょく)を書き上げた。タイトルは『Half Moon』。遠く離(はな)れた場所にいる二人が同じ月を眺(なが)め、また会える日を夢(ゆめ)見ているという曲(きょく)だ。もちろん半分以上想像(そうぞう)だが、あの夜のことをもとにして作った。最初(さいしょ)は不安な気持ちで書き始めたが、できあがったときにはいい曲(きょく)が書けたと思った。歌詞(かし)もすっと書けた。

 スタジオ練習の日、みんなに録音(ろくおん)した曲(きょく)を聴(き)かせた。聴(き)いているときのみんなの満足(まんぞく)げな表情(ひょうじょう)を見て確信(かくしん)した。この曲(きょく)は傑作(けっさく)だ。

「やったなあ。丞(じょう)」と慎吾(しんご)が言った。

「丞(じょう)さんならきっとできると思ってましたけど、やっぱすごいですね」と葵(あおい)が言った。

「早く練習しようよ!」と晴樹(はるき)が言った。

「おいおい、落ち着けよ。まだ二つ問題がある。一つは、いつものことだけど、英語の歌詞(かし)を日本語に直さなきゃいけない。慎吾(しんご)、ちょっと手伝ってくれ」

「ああ、わかった」

「それから、曲(きょく)を作るときに、ギターを弾(ひ)きすぎて手(て)首(くび)を痛(いた)めてしまったんだ。晴樹(はるき)、悪(わる)いけど、治(なお)るまで代(か)わりにこのギターで弾(ひ)いてくれないか」

「えっ! アコースティックギター? じゃあ、エレキギターは弾(ひ)けないの?」

「おれだって、本当はこのギターはだれにも触(さわ)らせたくないさ。だから、治(なお)るまでの間だけだ」

「う~ん。わかった……やるよ……」

 晴樹(はるき)がぶつぶつ言っていると、葵(あおい)が「はい!」と手を挙(あ)げた。

「いいこと思いつきました! うちの従姉(いとこ)、アコースティックギターが弾(ひ)けるんです。丞(じょう)さんのケガが治(なお)るまでの間、スタジオ練習に呼んで手伝ってもらうっていうのはどうですか?」

「その従姉(いとこ)って、もしかして……」と丞(じょう)が言いかけると、

「そうです。和奏(かなで)ねえちゃんです」と葵(あおい)が答えた。

「あ! あの打(う)ち上げのとき、丞(じょう)さんと話してた子? 賛成(さんせい)! 彼女が弾(ひ)いてくれるなら、おれもエレキ弾(ひ)けるし、助(たす)かるよ。ねえ、慎吾(しんご)さんも賛成(さんせい)でしょ?」

「ただ弾(ひ)けるだけじゃだめだぞ。ちゃんとみんなと合わせて弾(ひ)けるのか?」

「はい。和奏(かなで)ねえちゃんが本格的(ほんかくてき)にやってたのはクラシックピアノなんですが、うちの親父(おやじ)にジャズを習(なら)ってたこともあって、みんなと合わせて弾(ひ)いたりするのもできると思います。それに、たしか昔(むかし)バンドでキーボードを弾(ひ)いてたって」

「天才(てんさい)ドラマーの葵(あおい)が言うんだから、大丈夫だろう。よし。じゃあ、とりあえずそれでいこう。次の練習に連(つ)れてきてくれ」

「おい、慎吾(しんご)、ちょっと待てよ。バンドのリーダーはおれだぞ! 勝手(かって)に決(き)めるな!」

「丞(じょう)。そもそもおまえが手をけがしたのが原因(げんいん)でこうなったんだ。おまえに反対(はんたい)する権利(けんり)はない」

 慎吾(しんご)にそう言われると、何も言い返(かえ)せなかった。けど、「手をけがしたのは、そもそもおまえが急いで新(しん)曲(きょく)を作れと言ったからだろ!」と心の中で毒(どく)づいた。

「よかったですね。丞(じょう)さん」

葵(あおい)が意味ありげにほほえんだ。

 

 いつものスタジオなのに、今日はドアを開けるとき、少しドキドキした。

 入ると、すぐに「おはようございます!」という元気な声が聞こえた。和奏(かなで)だ。白と紺(こん)のボーダーのTシャツに細身(ほそみ)のジーンズ。このあいだは下(お)ろしていた髪(かみ)を一つに結(ゆ)っていた。

「おう。今日はよろしく」

「はい、足を引(ひ)っ張(ぱ)らないようにがんばります!」

 ほかのメンバーもそろっていた。みんないつもより早めに来たようだ。

 事前(じぜん)に葵(あおい)を通(つう)じて、デモCDを渡(わた)していたが、和奏(かなで)がはたしてどのぐらい弾(ひ)けるかみんな不安に感(かん)じていた。

 しかし、そんな心配は無(む)用(よう)だった。和奏(かなで)は最初から『Half Moon』を完璧(かんぺき)に弾(ひ)きこなした。弾(ひ)き終えると、みんなから拍手(はくしゅ)が送られた。その後、みんなと合わせて演奏(えんそう)したが、はじめてとは思えないほど息(いき)が合った。

 練習を終え、みんなで近くの定(てい)食(しょく)屋(や)へ夕飯を食べに行った。和奏(かなで)は、よくしゃべり、よく笑(わら)い、みんなと同じかつ丼(どん)を食べた。丞(じょう)は和奏(かなで)と離(はな)れた席(せき)に座(すわ)った。

 店を出たとき、和奏(かなで)が話しかけてきた。みんなはまだ店の中にいて、二人きりだった。

「ごちそうさまでした。かつ丼(どん)、おいしかったです」

 和奏(かなで)の分は、手伝ってくれたお礼(れい)に丞(じょう)がおごった。正確(せいかく)には、慎吾(しんご)におごらされた……。

「今日は曇(くも)っていて月が見えませんね」

「……」

「『Half Moon』の歌詞(かし)って、あの夜のことですか?」

「……悪かったな。勝手(かって)に使わせてもらって。でも、あれは……」

「すごい想像力(そうぞうりょく)ですよね。あんなすてきな歌詞(かし)が書けるなんて」   

 和奏(かなで)は、『Half Moon』の歌詞(かし)を読んだからといって、特に自分のことを意(い)識(しき)したりはしていないようだ。そのことを少し残念(ざんねん)に思う気持ちがないわけではなかったが、とにかくほっとした。

「丞(じょう)さん、一つお願(ねが)いしたいことがあるんですが、いいですか?」

「何?」

「『Half Moon』って、アコースティックギターもいいと思うんですが、ピアノのほうが合うような気がするんです。次の練習で一度キーボードで弾(ひ)かせてもらえませんか?」

「ああ、いいよ」

「ありがとうございます!」

「あのさ。実(じつ)はおれからも頼(たの)みたいことがあるんだ」

「何ですか?」

「『Half Moon』の英語の歌詞(かし)を慎吾(しんご)と日本語に翻訳(ほんやく)したんだけど、うまくメロディに乗らなくて、今、手(て)直(なお)ししてるんだ。ほら、大学で英文学(えいぶんがく)専攻(せんこう)してるって言ってただろ。ちょっと手伝ってもらえないかな?」

「う~ん。翻訳(ほんやく)はしたことがありますが、歌詞(かし)の翻訳(ほんやく)は……」

「だめかな?」

「いいですよ。やってみます」

 

 待ち合わせ場所は、「行きたい店がある」と言うので和奏(かなで)が決(き)めた。カフェ・シューベルトは街(まち)の中央(ちゅうおう)通(どお)りにあった。

 丞(じょう)の向(む)かいの席(せき)で、和奏(かなで)は『Half Moon』の英語の歌詞(かし)と日本語の歌詞(かし)を見(み)比(くら)べ、じっと考(かんが)えこんでいる。窓(まど)の外の桜(さくら)の木に目をやると、つぼみが膨(ふく)らみ始めていた。

 和奏(かなで)はミルクティーをすすったあと、丞(じょう)の目をまっすぐ見て言った。

「丞(じょう)さん。慎吾(しんご)さんが翻訳(ほんやく)した日本語の歌詞(かし)、悪くないと思います。でも、はっきり言って、ちょっと古臭(ふるくさ)いです」

 それは丞(じょう)も思っていたことだ。だが、次の言葉は予(よ)想(そう)もしないものだった。

「これ、女(じょ)性(せい)目(め)線(せん)の歌詞(かし)に直してみてもいいですか?」

――女(じょ)性(せい)目(め)線(せん)の歌詞(かし)!? たしかに、「I」という言葉を「ぼく」から「わたし」に変(か)えるだけで、音の数(かず)も変(か)わるし、印象(いんしょう)も変(か)わる。考(かんが)えつかなかった。けど、自分が考(かんが)えつかないことなら、ファンもきっと驚(おどろ)くと思うし、新鮮(しんせん)に感(かん)じてもらえるかもしれない。

「わかった。やってみて」

「はい。でも、その前に……」

「何?」

「パフェ、頼(たの)んでもいいですか?」

 丞(じょう)が呆(あき)れて「ああ」と言うと、和奏(かなで)はすぐに店員を呼(よ)んでチョコレートパフェを注(ちゅう)文(もん)した。それから、驚(おどろ)くほどのスピードで日本語の歌詞(かし)をノートの新しいページに書き込(こ)んでいった。

 

 三日後のバンド練習。

「この歌詞(かし)、和奏(かなで)ちゃんが書いたの?」

と晴樹(はるき)がノートに書かれた歌詞(かし)を見て言った。

「ああ。信(しん)じられないことに、チョコレートパフェを注文(ちゅうもん)して店員がそれを運(はこ)んでくるまでの間に書き終えたんだ」

 さっき和奏(かなで)のキーボードに合わせて、丞(じょう)が歌ってみせたが、和奏(かなで)の書いた歌詞(かし)はメロディにぴったり合っていた。そして、女(じょ)性(せい)目(め)線(せん)の歌詞(かし)に直したことで、細(こま)やかな感(かん)情(じょう)が描(えが)かれた、すてきなバラードに生まれ変(か)わっていた。

 演奏(えんそう)を聴(き)いて、みんな満足(まんぞく)したようだ。だが、満足(まんぞく)したのは歌詞(かし)だけじゃなかった。和奏(かなで)のキーボードの演(えん)奏(そう)とコーラスだ。どちらも見(み)事(ごと)に曲(きょく)にはまっていた。

 晴樹(はるき)と慎吾(しんご)は「すげー! いいじゃん!」とすっかり興奮(こうふん)していた。だが、葵(あおい)は静かだった。そして、練習を再開(さいかい)する前に、ぼそっと言った。

「じゃあ、あとは丞(じょう)さんの手が治(なお)るのを待つだけですね」

「……」

 沈黙(ちんもく)がスタジオを包(つつ)んだ。

――みんなが思っていることは手に取るようにわかる。和奏(かなで)をバレットに入れたいのだ。腕(うで)も確(たし)かだし、キーボードやコーラスが加(くわ)われば、音楽の幅(はば)が広がる。今よりファンが増(ふ)えるかもしれない。だが、バレットは男くさいバンドだ。ファンの8割(わり)が男性(だんせい)で、女性(じょせい)にウケる曲(きょく)も少ない。ただ、それがいいと言ってくれるファンも多い。バレットのファンは葵(あおい)のときのように和奏(かなで)を受け入れてくれるだろうか。

 丞(じょう)は和奏(かなで)に、

「悪(わる)いな。まだ少し痛むから、その間はよろしく」

と言った。和奏(かなで)は「はい」とだけ答(こた)えた。その声にいつものような明るさはなかった。

 

 翌週(よくしゅう)のスタジオ練習に、和奏(かなで)は来なかった。『Half Moon』は、晴樹(はるき)が丞(じょう)のアコースティックギターで弾(ひ)いた。だが、間違えてばかりで練習にならず、仕(し)方(かた)なく別(べつ)の曲(きょく)の練習に切(き)り替(か)えた。練習中、みんなの表情(ひょうじょう)は曇(くも)ったままだった。

 練習後、慎吾(しんご)と晴樹(はるき)がスタジオを出ていったあと、心配(しんぱい)そうな顔(かお)で葵(あおい)が聞いてきた。

「丞(じょう)さん、まだ治(なお)んないんですか? ライブまで間に合いますか?」

「ああ、だいぶ痛(いた)みは引(ひ)いてきたから、大丈夫だ。心配(しんぱい)するな」

「そうですか。それならいいんですが……」

「何かあったのか?」

「いや、実は、和奏(かなで)ねえちゃんが『もう練習には行かない』って」

「そうか……」

「引(ひ)き止(と)めないんですか?」

「本人(ほんにん)がやめたいって言ってるなら、無(む)理(り)に引(ひ)き止(と)めたりしないさ」

「いいんですか? 和奏(かなで)ねえちゃんはバンドに誘(さそ)ってもらえるのを待ってるんですよ!」

「……」

「和奏(かなで)ねえちゃんは、ピアニストになるのが夢(ゆめ)だったんです。小さいころから必死(ひっし)でがんばっていました。将来(しょうらい)、有名なピアニストになったら、海外コンクールで優勝(ゆうしょう)したとき、英語でスピーチしなきゃいけないからって、英語も一生懸命(いっしょうけんめい)勉強してて。でも、いくらがんばっても、大きなコンクールで入賞(にゅうしょう)できなくて……。中学までは必死(ひっし)で続けたけど、あきらめたんです。それで、深(ふか)く傷(きず)ついて、ずっと悩(なや)んでいて、高校や大学では友だちとバンドを組んだり、ジャズをやってみたりしてたんですが、やっぱり満足(まんぞく)できなかったみたいで……。そのとき、両親が『少し音楽を離(はな)れてみたら』ってイギリス留学(りゅうがく)をすすめてくれたんです。留学(りゅうがく)している間もいろいろ悩(なや)んでたみたいです。けど、むこうで暮(く)らすうちに、ようやく気持ちの整(せい)理(り)がついて、また大好きな音楽の世界に戻(もど)って来たんです。だから、和奏(かなで)ねえちゃんは決(けっ)して天(てん)才(さい)なんかじゃありません。迷(まよ)って悩(なや)んで努(ど)力(りょく)してやっとここまで来たんです。ただ、それを周(まわ)りに見せないようにしているだけで。はじめておれたちの前で弾(ひ)いたときも毎晩遅(おそ)くまで練習してたって、後でおばさんから聞きました。歌詞(かし)の翻訳(ほんやく)もきっと何回も何回も繰(く)り返(かえ)し曲(きょく)を聴(き)いて考(かんが)えていたんだと思います。じゃなきゃ、そんな短(たん)時(じ)間(かん)で書けませんよ!」

「あ……」

「和奏(かなで)ねえちゃんは、きっとおれたちと同じようにこのバンドにかけたいって思ってるんです。でも、また自分の夢(ゆめ)が壊(こわ)れてしまうんじゃないかって不安なんです……。丞(じょう)さんはどう思ってるんですか? はっきりしないのは、和奏(かなで)ねえちゃんにとっても、バレットにとっても良くないですよ」

「おれは……」

 言葉が続(つづ)かなかった。しばらくすると、葵(あおい)はため息(いき)をついて、何も言わずに帰っていった。

 スタジオを出たあと、丞(じょう)の足はなぜか公園へ向(む)かった。

 桜(さくら)が満開(まんかい)だった。夕方なのに公(こう)園内(えんない)は花見客(はなみきゃく)であふれ、屋(や)台(たい)も出ていてにぎやかだった。

 丞(じょう)は屋(や)台(たい)でビールを買い、芝生(しばふ)の上に腰(こし)を下ろした。手(て)首(くび)を痛めて以(い)来(らい)、しばらくアルコールは飲んでいなかった。ビールを一口飲んだ。空には三日月(みかづき)が浮(う)かんでいた。

 

 ライブまであと一週間。丞(じょう)の手(て)首(くび)のケガは回復(かいふく)し、ギターが弾(ひ)けるまでになった。『Half Moon』の演奏(えんそう)もなんとかこなせた。だが、みんな練習に集中(しゅうちゅう)できないでいた。

 練習前にみんなに伝(つた)えてあった。

「きのう、和奏(かなで)にメールした。今日の練習に来てくれって。今日、和奏(かなで)が来たら、みんながいる前で本人の意思(いし)を確認(かくにん)して、正式(せいしき)にバレットのメンバーとして迎(むか)えるか決(き)めたいと思う」

 みんな黙(だま)ってうなずいた。だが、結局(けっきょく)、練習が終わるまで和奏(かなで)は来なかった。

 スタジオを出るとき、葵(あおい)が丞(じょう)に言った。

「丞(じょう)さん、すみませんでした。おれ、余(よ)計(けい)なことしちゃいましたね」

「気にするな。おまえは悪くない。それに、どんな経験(けいけん)も音楽になる」

「丞(じょう)さん……。あ、ギター持ちますよ。治(なお)りかけなんだから、まだ無理(むり)しないほうがいいですよ」

「これぐらい大丈夫だ」

 階段(かいだん)を上がろうとしたとき、上の階(かい)からコツコツと靴音(くつおと)が聞こえた。帽子(ぼうし)をかぶった和奏(かなで)が階段(かいだん)の途中(とちゅう)で足を止めた。

 外は曇(くも)り空(ぞら)で今にも雨が降り出しそうな天気だった。

 丞(じょう)は和奏(かなで)に言った。

「どこかコーヒーでも飲みに行こうか」

「ううん、ここでいいです。謝(あやま)りに来ただけですから」

 練習に遅(おく)れたというわけではないのは、服装(ふくそう)を見てもわかった。髪(かみ)も下ろしたままだ。

「ごめんなさい。わたしが中(ちゅう)途(と)半(はん)端(ぱ)にバンドにかかわったばかりに、かえってみんなに迷惑(めいわく)かけてしまって」

「そんなことないさ」

「もう大丈夫ですよね。手も治(なお)ったみたいだし……」

「……」

「さよなら」

 和奏(かなで)は帽子(ぼうし)を目深(まぶか)にかぶりなおし、背(せ)を向(む)けて歩(ある)き出した。だが、そのとき、和奏(かなで)が向(む)こうから来た自転車を避(よ)けようとして、段(だん)差(さ)につまずいた。そして、バランスを崩(くず)し、そのまま車道(しゃどう)に倒(たお)れてしまった。そこへトラックが猛(もう)スピードで走(はし)ってきた。

丞(じょう)が駆(か)け出す。

 パッパー! トラックのクラクションが鳴(な)った。

はっとした和奏(かなで)が起き上がろうとする。

「あぶない!」

 キキーッ!! ブレーキの音が響(ひび)く。

飛(と)びついた丞(じょう)の両腕(りょううで)が和奏(かなで)の肩(かた)をつかんだ。

 バン! トラックが何かにぶつかる音がした。トラックが止まり、窓(まど)から中年(ちゅうねん)の運転手(うんてんしゅ)が顔(かお)を出した。

「バカヤロー! 気をつけろ!」

そう叫(さけ)ぶと、そのまま走(はし)り去(さ)っていった。

丞(じょう)は和奏(かなで)を抱(かか)え込(こ)むようにして道(どう)路(ろ)に倒(たお)れていた。慎吾(しんご)たちが駆(か)け寄(よ)ってきた。

「丞(じょう)! 和奏(かなで)ちゃん! 大丈夫か!?」

「ああ」

「よかったあ。……けど、丞(じょう)さん、ギターが……」

と晴樹(はるき)が後ろの方を指(ゆび)さした。

 道(どう)路(ろ)の端(はし)にギターとふたの開いたギターケースが転(ころ)がっていた。和奏(かなで)を助(たす)けようとしたとき、とっさにギターケースを放(ほう)り投(な)げてしまった。さっきの音はトラックがギターケースにぶつかる音だった。ケースのロックが外(はず)れ、中からギターが飛(と)び出していた。

 丞(じょう)は立ち上がり、ギターのそばまで行った。ネックが曲(ま)がり、弦(げん)も数本切れていた。ボディーには真(ま)新(あたら)しい傷(きず)が何本もついていた。丞(じょう)は深(ふか)く目を閉じた。

痛々(いたいた)しい姿(すがた)のギターをそっとケースに収(おさ)め、みんなのところへ戻(もど)ると、和奏(かなで)は目をうるませていた。

「ごめんなさい。わたしのせいで大切なギターが……」

「気にするな。修(しゅう)理(り)すればいいだけだ。それより、ケガしてないか?」

「はい、平(へい)気(き)です。でも……」

「よかった。指(ゆび)でもケガしたら、来週のライブに間に合わなくなるからな」

 和奏(かなで)の目から涙(なみだ)がこぼれた。

「ほんとに……ほんとにわたしでいいんですか?」

「ああ、バレットにはおまえが必要(ひつよう)なんだ」

丞(じょう)がそう言うと、ほかのメンバーも続いた。

「歓迎(かんげい)するよ」

「行けるとこまでいっしょに行こうぜ!」

「よろしくね。和奏(かなで)ねえちゃん」

 和奏(かなで)はあふれる涙(なみだ)を手でぬぐい、大きくうなずいた。

 こうして、バレットに和奏(かなで)が加(くわ)わった。

 

 丞(じょう)は信(しん)じることにした。バレットのメンバーとファンを、そして、自分自(じ)身(しん)を。いろいろなものを抱(かか)えて上(のぼ)っていく、それだけの強さがこのバンドにはある。いや、まだ十分あるとは言えない。だが、そうありたい。和奏(かなで)が加(くわ)わり五人になったバレットは、きっと今より強くなれる。

 

 単独(たんどく)ライブ当日(とうじつ)。いよいよ新生(しんせい)バレットの幕(まく)が明(あ)ける。

 開(かい)始(し)直(ちょく)前(ぜん)、ステージ袖(そで)でいつもののように丸(まる)くなってメンバー同(どう)士(し)で声をかけ合う。

「今夜のライブ、強(つよ)気(き)で行きましょう!」

「葵(あおい)もずいぶん言うようになったなあ。晴樹(はるき)も負(ま)けるなよ!」

「もちろん。そういう慎吾(しんご)さんこそ、実は一番びびってるんじゃないですか?」

「うるせー! 一曲目のイントロ、間違えるなよ!」

「任(まか)せてください! 丞(じょう)さん、歌詞(かし)、ちゃんと覚(おぼ)えましたか?」

「おう! 日本語も英語もばっちりだ。和奏(かなで)も気(き)合(あい)入れてけよ!」

「はい!」

「よし、いくぞー!」

「おおー!」

 

 会場は超満員(ちょうまんいん)。前列(ぜんれつ)のあたりは昔(むかし)からのファンがほとんどだが、はじめて聴(き)きに来てくれた客(きゃく)も多いようだ。やはりノースバウンドのライブに出演(しゅつえん)した影響(えいきょう)が大きい。

 ライブが始まると、一曲目から観客(かんきゃく)は総(そう)立(だ)ちで、会場は熱気(ねっき)と興奮(こうふん)に包(つつ)まれた。

 三曲目が終わり、MCで丞(じょう)が和奏(かなで)を紹(しょう)介(かい)した。和奏(かなで)が丁寧(ていねい)におじぎをすると、会場からは温かい拍手(はくしゅ)が送られた。

 四曲目。ステージのライトが暗くなり、和奏(かなで)が『Half Moon』を弾(ひ)き始めると、観(かん)客席(きゃくせき)がざわついた。

 

 丞(じょう)が語(かた)りかけるように歌い出す

 慎吾(しんご)のベースが心(しん)臓(ぞう)の鼓(こ)動(どう)に重(かさ)なり

 葵(あおい)のドラムが力(ちから)強(づよ)く物語(ストーリー)を進(すす)めていく

 晴樹(はるき)のギターが哀(かな)しげに鳴(な)いた

丞(じょう)のまっすぐな想(おも)いをのせた歌声は

 和奏(かなで)の月(つき)明(あ)かりのようなコーラスに照(て)らされ

 切(せつ)なさをつれて聴(ちょう)衆(しゅう)の胸(むね)を震(ふる)わせた

 

 全十(ぜんじゅっ)曲(きょく)を歌い、最(さい)後(ご)のアンコール曲(きょく)は「Good Luck!」をカバーして歌った。

 「Thank you ! 」と叫(さけ)び、手を振(ふ)りながらステージを降(お)りた丞(じょう)は、鳴(な)り止(や)まない拍(はく)手(しゅ)の音にこのバンドの未(み)来(らい)を感(かん)じた。

 楽(がく)屋(や)までの通(つう)路(ろ)。前を歩く和奏(かなで)の背(せ)中(なか)で結(むす)んだ髪(かみ)が揺(ゆ)れている。和奏(かなで)があの店に行きたがった理(り)由(ゆう)を丞(じょう)は知っている。あの店のパフェはアイスの上に半円形(はんえんけい)のホワイトチョコレートがのっている。そう。それがまるでHalf moonのように見えるのだ。

 またあの店に行こう。甘(あま)いものは苦手だが、和奏(かなで)となら食べてみるのも悪くないかと丞(じょう)は思った。

(完)

トウキョウタワー★★★

Created By ondoku3.com 「 東 ( とう ) 京 ( きょう ) タワー」   私 ( わたし ) の 家 ( いえ ) の 居 ( い ) 間 ( ま ) の 壁 ( かべ ) には、 大 ( おお ) きな 東 ( とう ) 京 ( きょう )...