お酒が好きな方というのは、なかなかお酒がやめられないものです。「最近体の具合が悪いから」と言って三日ぐらいお酒を休んでも、次の日に誘われたら、また飲みに出かけてしまいます。
年末ですので、みなさんも忘年会でつい飲みすぎてしまったなんてことありませんか。いや、飲みすぎてもいいんです。お酒を飲んで一年の嫌なことを全部忘れてしまおうっていうのが忘年会ですから。
けれど、大晦日(12月31日)の晩ぐらいは、家族でゆっくり過ごしたいものです。福茶でも飲みながら除夜の鐘の音を聞いて、「ああ、今年も終わる。来年も良い年になりますように」なんて平和な気持ちでお正月を迎えるのがいいですね。
ただ、昔は、商売をしている方はそんなのんきなことを言っていられません。その年に借りたお金は大晦日までに全部返さなければなりませんでしたから、貸した方も借りた方も大変です。特に貧乏人は年末になるのが怖くて怖くて……。
さて、東京の魚市場と言えば、豊洲が有名ですが、江戸時代には日本橋にありました。そして、芝浜にも魚市場があって、こちらでは近くで獲れた新鮮な魚を売っていました。
魚屋の勝五郎は、その芝浜の魚市場で魚を仕入れて、商売をしていました。魚屋と言っても、自分の店を持っていたわけではありません。魚を磐台という木の入れ物に入れて、それを棒に吊るして、肩にかついで売り歩くのです。
勝五郎は腕のいい魚屋でしたが、お酒が大好きで、お酒を飲むと仕事をさぼってしまう悪い癖がありました。それで、奥さんとふたり貧乏で苦しい生活をしておりました。
「ねえ、おまえさん。おまえさん。起きて」
「お、おう……何だよ。いい気持ちで寝てるのに。あーあ、ねむい。何だよ」
「何だよ、じゃないよ。早く起きて市場へ行って」
「市場へ?」
「そうよ。もう十日も休んでるじゃない。年末も近いのよ。どうするつもりなの」
「わかってるよ。おまえに言われなくても」
「じゃあ、早く出かけて」
「早く出かけろって言われても、十日も休んでたんだ。磐台が……」
「大丈夫よ。ちゃんと水をはってあるから、いつでも使える」
「でも、包丁が……」
「研いといた」
「わらじは……」
「そこに出てる」
「……」
「さあ、早く履いて出てって」
「ああ、わかったよ……行くよ。行けばいいんだろ」
勝五郎は布団から出ると、出かける用意をしました。
「そんないやな顔しないで……。ほら、わらじが新しくて気持ちがいいでしょ」
「気持ちがいい? よくねえよ。好きな酒を飲んで、布団でゆっくり朝寝してるときが、一番気持ちいいんだ。わらじが新しくて気持ちがいいもんか」
「そんな嫌なこと言わずに、いってらっしゃい」
「あーあ、いってきます」
勝五郎は家を出て、市場へ向かいました。
「うー、寒い、寒い。寒くて、すっかり目が覚めちまった。しかし、魚屋なんてつまんねえ仕事だ。みんな気持ちよく寝てる時間に起きて、こうやって出かけなきゃいけねえんだから……けど、みんなといっしょに寝てたら、仕事にならねえし……。ん、なんだか暗いなぁ。なかなか明るくならねえ」
魚市場に着きましたが、開いている店は一つもありません。
「なんだ。今日は休みかよ……」
そのとき、お寺の鐘が鳴りました。ゴーン、ゴーン、ゴーン……
「あっ、あいつ、時を間違えて起こしたな。暗いわけだ……。まあ、仕方ねえ。浜でもぶらぶらするか。そのうち店も開くだろう」
勝五郎は浜まで行くと、懐かしい気持ちになりました。
「おお、ひさしぶりだ。海のにおいがする。いい気持ちだ 」
勝五郎は海の方へじゃぶじゃぶ歩いて行って、顔を洗いました。それから、しばらく浜を歩いていると、何か足に引っかかりました。
「ん? 何だ、これは……。革の財布か。重い……金だ。大変だ」
勝五郎は慌てて財布を腹掛けにしまうと、急いでうちに帰りました。
「おい、開けてくれ。開けてくれ」
「はいはい、開けますよ。ごめんよ。時を間違えて早く起こしてしまって……あら、どうしたの。真っ青な顔して。けんかでもしたの」
「そうじゃねえ。浜で……さ、財布を拾ったんだ。中を見ると、金がたくさん入ってて……ほら、これだ」
「えっ、お金……あら、本当。いくら入ってるの……」
「さあ、わからねえ。数えてみる」
勝五郎は財布のお金を全部出して、数えはじめた。
「一、二、三……四十二両だ」
「四十二両も……」
「わっははは。これだけ金があれば、借金も全部返して、好きなだけ飲んで、遊んで暮らせるぞ。よし、辰公、八公、寅んべえ、みんな呼んで、お祝いだ。今から風呂屋へ行って、帰りにみんな呼んでくる。酒の用意をしててくれ」
勝五郎は大喜びで出かけて行きました。そして、みんなを連れてくると、飲んで歌って大騒ぎ。勝五郎は酔っぱらって、そのまま畳の上で寝てしまいました。
「おまえさん、おまえさん。起きてよ」
「ん、何だよ」
「何だよ、じゃないよ。そんなところで寝ていないで、布団に入って寝なさい。明日の朝早いんだから」
「明日の朝? 冗談じゃねえ。仕事なんか行かねえよ」
「何言ってるの。仕事に行かないで、どうするつもりなの? 年末も近いのよ」
「おまえこそ、何言ってるんだ。四十二両があるじゃねえか」
「四十二両? どこにあるの? そんなお金」
「うははは、冗談言っちゃいけねえ。おれが今朝浜で拾って来た四十二両だよ。革の財布の」
「何言ってるの? あなた、今朝浜なんかに行ってないでしょ?」
「何!? 行ってない?
おまえが時を間違えて起こしてしまって、まだ市場も開いてないから、浜でぶらぶらしているときに、革の財布を見つけたんだ。それをうちに持って帰ってきて、おまえに渡したじゃねえか」
「……そうだったのね。やっとわかった。どうして急にみんなと昼間からお酒なんか飲んで大騒ぎしたのか。あなた、夢を見たのよ。お金を拾う夢を……」
「えっ、夢」
「そう。夢。うちが貧乏で、お金がほしい、お金がほしいって思ってたから、夢を見たのよ。あなた、ほら、部屋の中を見て。何もないでしょ? この間、辰さんに言われたの。『おたくは何も道具がないから、部屋を広く使えていいですねぇ。ほかのうちと違って、六畳を六畳のまま使える』って。わたし、恥ずかしくて恥ずかしくて……。四十二両もあったら、そんなこと言われるもんですか。今朝のあなたは、起こしても起こしても起きなくて、ようやく昼になって起きたかと思ったら、風呂屋に出かけて、帰りに友だちを連れてきて、酒だ、うなぎだ、天ぷらだ、って飲んで歌って大騒ぎ。何がうれしいのか知らないけど、お祝いだ、お祝いだって言って。結局、酔っぱらって寝てしまって……。いったい、いつ市場に行ったっていうのよ?」
「本当に夢なのか? ずいぶんはっきりした夢だなあ。どうも夢とは思えねえけど……」
「何!? あなた、わたしのことが信じられないの!? じゃあ、その革の財布を探してみたらいいじゃない。床の下でも天井裏でも好きなだけ調べてよ。何も道具のない部屋だから、すぐ調べられるでしょ」
「い、いや、信じるよ。……夢か……そうか、夢かもしれねぇ。いや、夢だ。思い出した。おれは小さい頃から、はっきりした夢を見る癖があったんだ……。しかし、そうすると、金を拾ったのは夢で、飲んだり食ったりしたのは本当か……。年末も近いのに、また金を使っちまった……どうしよう……死のうか?」
「だめよ」
「じゃあ、どうする?」
「働くの。一生懸命働けば、きっとなんとかなるわよ。一度死んで生まれ変わったと思ってがんばろう」
「わかった。今日から心を入れ替えて一生懸命働く。もう酒はやめた」
それから勝五郎は酒を、ぴたっとやめて、毎日熱心に働くようになりました。すると、もともと腕のいい魚屋ですから、どんどん客が増えて、表通りに小さい店を持つまでになりました。
そして、ちょうど三年後の大晦日の晩。
「なあ、片付けものがすんだら、こっちへ来いよ」
「はいはい。ようやくすんだところよ」
「ああ、新しい畳は気持ちがいいなあ。こうやって畳を取り替えた部屋で正月を迎えられるなんて幸せだ。それに、もう一つも借金を返すところがねえんだろ。本当か?」
「本当よ」
「大晦日に借金取りが来ねえなんて信じられねえなあ……おい、お茶を一杯くれ」
「はい。ちょうど福茶が入ったところよ。どうぞ」
「福茶か。ひさしぶりだなあ。もうどんな味か忘れたよ……おお、これが福茶の味か」
ゴーン…………ゴーン…………ゴーン…………
「除夜の鐘か……いい音だ」
「ねえ、おまえさん。ちょっと見てほしいものがあるの」
「何だ?」
「これを見て」
「これは……革の財布……」
「中に四十二両入ってる」
「し、四十二両!」
「……ねえ、おまえさん、覚えてない? 革の財布と四十二両」
「そう言えば、三年前に浜で四十二両入った財布を拾った夢を見たことがあったなぁ」
「それ、夢じゃないのよ」
「何!? おまえ!」
「怒らないで! 最後まで話を聞いて。わたし、あのとき、どうしようって思ったの。だって、あなた、明日から仕事もしないで遊んで暮らすって言うし……。困ったなあって思って、あなたが酔っぱらって寝ている間に大家さんに相談に行ったの。そうしたら、大家さんに『拾った金を使えば、お上に捕まってしまうぞ。すぐにおれがお上に届けてやるから、勝五郎には夢だったとウソをつけ!』って言われて……。それで、そのとおりに、夢だ、夢だってウソをついたら、おまえさんはいい人だから本当に信じちゃって……。好きなお酒もすっかりやめて、一生懸命働いてくれた。そのおかげで、こうやって店も建てられたんだけど……おまえさんが雪の朝に早起きして出かけていくときなんかには、いつも心の中で謝っていたの。……このお金は、結局落とした人が見つからないからって、ずいぶん前にお上から戻ってきたのよ。でも、これをおまえさんに見せて、また働かなくなったらどうしようって思ったら……言えなかった」
「おまえ……」
「けど、そろそろおまえさんを少し楽にしてあげたいって思って……このお金を出したの。 くやしいでしょ。自分の妻にずっとうそをつかれて、だまされていたなんて、腹が立ったでしょ……ごめんなさい」
勝五郎は、握りしめた手をひざの上に置いたまま、じっと下を向いて聞いていました
「腹は……立たねえ。偉いよ、おまえは。たしかに、あのとき、この金を持ったままだったら、おれは飲んだり、食ったり、ぶらぶらして、あっという間に全部使っちまった。それか、大家の言うとおり、お上に捕まってたかもしれねえ。おれが今こうやって無事正月を迎えられるのは、全部おまえのおかげじゃねえか。ありがとよ」
「な、なによ。おまえさん。じゃあ、……許してくれるの?」
「もちろんだ」
奥さんは目に涙を浮かべました。
「うれしい……。じゃあ、今日はひさしぶりにお酒を飲んで。実は用意してたの」
「えっ、酒を……いいのか?
」
「いいのよ。ずっと我慢してたんだから。飲んでよ。さあ、どうぞ」
奥さんは勝五郎に盃を持たせ、並々とお酒を注ぎました。
「おお、ありがたい。じゃあ、ひさしぶりに一杯飲ませてもらおうか。ああ、いいにおいだ。では、いただきま……」
「どうしたの?」
「やめた。また夢になると、いけねえ」
〈了〉
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